京都 四条高倉の占庭から

素直であること

春の嵐が去り、桜はもう散ってしまったかと思っていましたが、

木屋町の桜はまだじゅうぶんに残っていました。

電車から見える八幡の背割堤もピンク色にこんもり霞んでいます。

まだお花見、いけますね。

 

青空が戻った今朝、出勤前に知恩院さんにお参りに。

どこも桜がきれいですねぇ。

ほんといい季節。

納骨堂の前の蓮の池にも花びらが浮かび、風流なことでした。

 

がしかし、ここで、うっかりお線香で火傷する、という間抜けっぷり。

なんでそんなことになるんでしょうかねぇ。

我ながら情けない~

まあ、言うてもお線香なので、大したことはないんですよ。

大したことはないのに、ヒリヒリするのが腹立つしー

という、朝でありました。

 

先日、このブログで新社会人の方へ向けて書いたのですが、

それに通じることがあるなと思い出したので、続編っぽく書いてみますね。

仕事、勉強、スポーツなどすべてに共通する上達への近道は、

「素直であること」なのだそうです。

これは、いままでそれはそれはたくさんの方からお聞きした話。

職場のデキる先輩だったり、部活の顧問だったり、音楽関係の指導者だったり、

一匹狼的な教師だったり。

その方たち、みなさんがね、揃いも揃って強烈な個性の持ち主で。

取り組み方、伸ばし方、とにかく我も強いし、ガンコだし、、、、って人ばかり。

そんな「我が道を行く!」タイプの人をもってして、

「一番伸びるのはどういう子ですか?」という質問に、口を揃えて、

「素直なこと」とおっしゃったんですよ。

それがすごく意外で。

 

最初はとにかく自分であれこれ考えず、とにかく言われる通りにやってみる。

言われたようにできるようになってから、アレンジし、チャレンジし、

ということができるようになるわけです。

素直であることは、よい基本・基礎を作れる、ということのようでした。

たしかに、よい基本・基礎は最初に築いておかねばならないもので、

そこをないがしろにして先走ってしまうと、結局は遠回りになってしまう、

ってことは案外あることです。

 

バスケットで言うならば、どんなにシュートがうまくても、

パスやドリブルがヘタだと試合には使えません。

ルールも覚えなければならず、チームワークも必要です。

それは時間をかけて経験を積み、身に着けていくしかありません。

スポーツで考えると、基本・基礎が重要ということは、

とても素直に理解できますよね。

けれども渦中にいると、

 

毎日、こんな同じことばかりの練習はおもしろくない。

もっと違うことがやりたい。

自分はすでにできるということをわかってほしい。

 

など、競争心や自己顕示欲から、枠をはみ出たくなることもあります。

そこを愚直に言われたことができるよう努力できるかどうか、が、

先の成長を左右することにもなる。

これは、忍耐せよとかいう、いわゆる精神論ではなくて、

すごく理論的な話だなと思うんですよ。

 

いままで出会った、数多くの非常に個性派の人たちから聞いた、

「素直であることが成長への近道」という言葉は、説得力がありました。

なので、ほんとにそうなのだろうなあ、ってわたしも信じているのです。

手相を書き足したりはしません

まさに花嵐の本日。

冷たい雨も降っています。

せっかくの満開の桜も、散ってしまいそうですね。

今年は「絶好のお花見日和!」っていう日が少なかったように思います。

見頃はほんの数日ですものね。

 

我が家の小さな胡蝶蘭が三度目の花を咲かせました。

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自由に伸び放題にしていると、こんな風に横へ横へと伸びていった花の茎・・・・

 

アップでもご覧ください。

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夫が咲いた花を見ながら、

「ランみたいな花だねー」と感心したように言うのですけれどね。

 

ランだよ!

 

忘れた頃に水やりだけしてたのですが、それでもこうして咲いてくれて、

なんともうれしいです。

 

時々、

「手相をマジックで書き足すといいんですよね?」

と訊かれることがあります。

本も出ているんですってねぇ。

そういう本が売れる、というのは、なんとなく理解できます。

が、その説を支持するかというと、それはちょっとダメでしょう、

と申し上げるしかないですねぇ。

フツーに考えて、理想の手相を書いて、理想の人生が手に入るのなら、

過去の人、みんなそうしてきたと思うんですよねー

でも、そんな「常識」や「習慣」はないわけで。

 

中には、手相を整形手術する人までおられるそうです。

そこまでいくと、そんなに手相って信頼されてるの!?

という驚きが勝ります。

そうなさった方の、その後の人生をぜひともお聞きしたい。

 

手相観としましては、マジックやボールペンで書き足したくなる線って、

どういうのだろうなあ、という興味はあります。

おそらくは、玉の輿線とか、金運の線とか、幸運の星マークとか、

ハッピーな感じの恋愛線、ってところでしょうか。

変わったところだと、霊感線とか欲しいという方もあるかもしれません。

書き足して状況が変化するのであれば、ストレス線とか、疲労線などを

パテみたいなもので埋めてしまう、という手もあるのでしょうか。

うーーーん。

 

けれどもですね、効果があった、という方も、実際におられるだろうな、

とも思うんですよ。

それは書いたから、それで運勢が変わった、ということではなくて、

そうまでして、願わずにいられない念でもって、その方自身の意志を強め、

方向性を明確にして、努力もなさったのではないかと思うからです。

よく言われる「引き寄せ」の法則も似たような流れなのではないでしょうか。

 

わたしは「念ずれば必ず夢は叶う」とは思わないし、

「身の周りに起こることは、すべて自分が願って引き寄せたことである」

とも考えません。

そんなに単純なことではないはずですよね。

たぶん、最初にそういうことを言い広められた人も、

そこだけを切り取られて一人歩きしていくとは、考えてらっしゃらなかったんじゃ

ないかと思います。

心に思うだけですべてがハッピーエンドに導かれるなら、

世の中に悩みも苦しみもなくなります。

そんなにイージーなわけがないとみんなわかっていながらも、耳あたりのいい、

誰でもできそうなことは受け入れられやすいし、広まりやすい。

それだけ、ではないはずなんですね。

けれども、「あきらめてしまったら終わり」ということは確かです。

だから、あきらめてはいけないのですけれどね。

そこをわかりやすい、おいしそうな話に変換されてしまうのは、

なんだかなあ、と思ってしまうのです。

 

けれども、そんなわたくしですが、世界中の人が平和を願う気持ちを

持ち続けることには大きな意味と力があると思っています。

それは、いつか世界平和が実現する、ということをあきらめてしまわない、

という決意を持ち続けるということです。

あきらめてしまったら終わり、ということは確かなのですものね。

ご縁を感じるって?

お天気が回復し、京都のお花見は今日がピークでしょう。

京阪電車の特急は満員。

ですので、各駅停車でゆっくり座って来ました。

桜もきれいですが、鮮やかな黄色のレンギョウ、真っ白なユキヤナギも美しい。

そうそう、四条通のアーケードの照明に、ツバメが巣作りを始めていましたよ。

春爛漫ですね。

 

毎年、この桜のシーズンはお店が暇です。

たぶん、心が浮き立つ季節で、ゆっくり悩んだり、落ち込んだりしてる場合じゃ

ないんでしょうね。

占い師の出る幕ではない季節ってことなんだなあ。

案の定、ヒマヒマだった昨日、久し振りのお客さまが来てくださいました。

お仕事で遠方へ転勤なさっていたのですが、帰任されたのです。

特に今すぐ占ってほしいことがあるわけでもないのに、お顔を見せてくださるって、

ほんとにうれしいことでね。

転任先でのこと、帰ってらしてこれからのことなど、いろんなお話が聴けて、

とても楽しいひとときでした。

 

占庭のような占い師ひとりだけの小さな店でも、いろんな方がおいでになります。

そのたくさんのお客さまの中で、ご縁を強く感じる方もあれば、

するっと通り過ぎていかれる方もありまして。

それは当然のことですね。

 

ご縁を強く感じるって、どういうことなのでしょう。

なんとなく、お互いに心をゆるせる感じ、ってことかしら。

その、すんなり感というか、言葉が自然に沁みていく感覚というか、

そういうことは、そこはかとなく感じられるもので。

 

そうなってからの距離の縮め方というのも、人それぞれで、

友だちのようになっていく方、遠い親戚のような関係になる方、

いつまでもゲストと占い師という距離が変わらない方。

ほんとうにいろいろです。

目に見える距離感が変わらなくても、お互いの信頼度っていうのは、

ちゃんと構築されていくものだなあということも感じます。

占いは一期一会なのですが、そこから心の深いところをふれ合える瞬間もあって、

ああ、いい仕事だなあ、って思えます。

 

もちろん、力足らずで満足いただけなかったと感じる場合もあります。

いくら言葉を尽くしても、まるで壁に向かって話しているように感じられ、

まったく心に届いていないということが痛いほどわかる時。

せっかくおいでいただいたのに、と申し訳ない気持ちになります。

けれど、それもこれも、ご縁なのだろうな、とも思うのです。

いつもいつも必ずしもマッチすることはない。

けれども、そこから学ぶこと、感じることもあり、成長の糧になる場合も

きっとあるのでしょう。

 

「起こることすべてに無駄はない」

とは、よく聞く言葉ですが、それを噛み締める瞬間です。

意味がないように思えるご縁にも、きっと無駄はないのでしょう。

「正」からも「負」からも、得るもの、知ることはあるのですね。

 

楽しいことばかりの中で成長していくのは、至難の業。

しんどいこと、つらいことの前に立ち尽くすところから、

人の成長は始まるのかもしれません。

そういう意味で、まさにピンチは飛躍のチャンス。

と、自ら叱咤激励して、乗り越えていかねばならない時っていうのは、

誰にも訪れるのだと思います。

そんな時は、勇気をもって前を向くだけ。

過去は何もしてくれませんから。

新社会人のみなさんへ

最近、つくづく思うのが、ハブラシの優秀さです。

面積においても、そのブラシの強靭さにおいても、

タワシの方が威力を発揮するに違いない!

としか思えないにもかかわらず、あの毛ほどのブラシ、

しかも使い古しのハブラシが、よりゴミ・汚れを排除し、よい仕事をしてくれます。

それでいて、つつましやかな佇まい。

ハブラシ、えらいー ハブラシ、すげー

と心の中で大絶賛です。

水回りの掃除で、大活躍のハブラシを褒め称えながら、

これならば、歯の隅々までキッチリ磨けて当然である。

安心して任せられるというものだ。

という気持ちにもなるのでした。

 

さて、4月の第一週目が終わろうとしています。

新社会人のみなさんにとっては、長い一週間だったのか、あっと言う間だったのか。

いずれにしても、自分では気づかない疲労が蓄積しているはずなので、

とにかく夜、早めに就寝してくださいね。

眠くなくても早い時間にお布団に入りましょう。

フル回転した脳をまずは休めてあげてください。

 

毎年、就職する若い人にしている話があります。

それは、

「デキる新人になろうとしないこと」です。

どんな人も、とにかく、がんばろう!と思って入社されます。

同期入社の人が多い会社であれば、そこで負けないようにしよう、

と思う人もいるでしょう。

できれば、上司や先輩に、

「お、こいつデキるな! やるな!」と思われたいと考えたり、

そう思わせたい、という密かな野心を抱いたりもするでしょう。

そこそこ自信のある人、目指すところが高い人ほど、そうなります。

 

そうすると、まず何をしてしまうかというと、組織の悪いところ探しです。

これは無意識の内にやってしまうのですけれど、

組織の穴、不具合、理不尽、非効率さなど、目につく悪いところが、

もう気になってしょうがない。

まず、やらなければならないこと、覚えなければならないこと、

身に着けねばならないこと、よりも、そっちへ目が行ってしまうのです。

そして、

 こんなこと、こうすればよいのではないか?

 どうして、こんなまわりくどいことを。

 組織の中に埋もれてしまうと、こんなことすらわからなくなるの?

と考えがちです。

そう気づける自分は優秀である、とどこかで思ってしまうんですねぇ。

 

けれども、入社してすぐに気づけるようなモンダイが、

新入社員によってカイゼンされるくらいであれば、

たぶんとっくの昔にどうにかなっているはずなんですよ。

そうはいかない事情や、からくりや、必要性があるということなんですね。

それは、時間の中で経験を経て、なるほどなあ~とわかること。

なので、もし、気づくことがあったとしても、それは口にしないこと!

ということを毎年話しています。

それは、長いものには巻かれよ、という意味ではないんですよ。

何もしなくていい、というのではないんです。

気づいたダメポイントは、手帳に書き留め、温めておく。

そして、自分なりに対策や、改善方法を考え、それもメモしておく。

で、半年後、1年後、もしかしたら、もっと先になるかもしれないけれど、

それを提案し、実行できる実力がついた時に、自分が変えていくぞ!

と思っておくべし、ということです。

これ、案外難しいですよ。

 

それと、本当にデキる人っていうのは、組織の良いところに気づける人なんですね。

 このシステムは素晴らしい!

 よくこんなにうまくできているものだ。

とわかる人は、たいへん頭がいい。頭がやわらかいとも言えます。

まずそこがわからないと、悪いところを良くしていくのは難しい、

ということでもあります。

 

けどね、めっちゃデキる新入社員なんて、かわいくないですよー

それに、最初に「デキる」イメージをつけてしまうと、後がしんどい。

「すごいヤツが入ってきたなーって思ったけど、案外そうでもなかったな」

と言われるのは、結構つらいものがあります。

それよりは、

「ホント最初はどうなるかと思ったけど、やれるようになったやん」

と後々、がんばりを評価される方が、ずっとイイ。

ですので、最初はちょっとできないキャラで入っていった方がいいのかも。

 

会社というのは組織です。

組織の中には、いわゆる「正義」とは微妙にズレた不文律もたくさん存在します。

それらを受け容れたり、かわしたり、撥ね返したりしながら、

どう自分なりに折り合いをつけ、よい仕事をしていくか。

もしくは労働の対価を得ていくか、です。

 

もしかしたら思い描いていた「働く」とは違うものにぶつかってしまうことも

あるかもしれませんが、ポキンと折れてしまわないように、

撓う(しなう)力を身に着けていってくださいね。

決して自分を責めすぎて、ギリギリまで追い詰めないようになさってください。

 

まだ社会に出たばかりで、できることなんて知れています。

どんなに周囲の期待が高かろうが、大きかろうが、

それを額面通り受け止めて、全力疾走しないことです。

全力疾走が続かないことくらい、ふつうに考えればわかることですものね。

ふつうな自分のままでできることを精一杯やっていきましょう。

快復しています!

自宅近くの桜は満開になり、昨夜からの雨で花びらが少し落ちてきたところも。

それでも、今日の中学校の入学式は満開の桜に祝福されて、よかったですねー

例年だと散ってしまっていることも多い日程で。

お天気がちょっと残念でしたが、こんなに暖かい入学式も珍しいのじゃないかしら。

だいたい体育館が冷え冷えとしてるんですよねぇ。

なんてことを真新しい制服に身を包んだ新入生と、華やかな保護者の方が

連れ添って歩いて行かれるのをベランダから見やりながら思い出していたのでした。

 

そろそろレンゲも咲き始めました。

そうそう、去年活躍していた「エコ除草」のヒツジさんたちが、

また職務に復帰しているのも見かけました。

いやあ、春の風景というのも、バラエティに富んでいますね。

 

先日、このブログにも書きました帯状疱疹ですが、ぐっとよくなっています。

なにしろ病院に行ったときにはピークを過ぎてたらしいので、

後はよくなるしかありません。

それでも、

この痛みがいつまで続くのかしら・・・・とうんざりもしていたのですが、

やわらいでくると、加速がつくかのように、ぐいぐいよくなってきました。

いまはもうかゆみが残っているくらいで、痛みで目が覚めてしまう、

なんてことはなくなって、夜もぐっすり眠れています。

ご心配をおかけしました。

もう大丈夫です!

 

水ぼうそうに罹ってない方には注意が必要ということで、

一応ブログに書いておいた方がいいかな、と思って書いたのですが、

それで、思いもよらぬ方々からご心配いただき、驚きの連続でした。

 

妹の職場の方が、

「お姉さん、大丈夫?」と訊いてくださって、何も知らない妹が驚いて、

帯状疱疹なんだって?シャンプーかぶれじゃないの?」と連絡してきたり。

いかなぼんやりのわたしだって、さすがにシャンプーかぶれとは間違いません。

かぶれはあんなに痛くないしー

 

また、読んでくださったお客さまが、紹介者のお友だちに話されて、

そのお友だちが、ウチの夫に心配のメールをくださる、というルートもありました。

 

SNS関係でご心配くださった方もたくさんおられましたし、

最後にはもう50年以上仲よしという、一番古い友だちからも連絡がありまして。

多方面から、実に多角的なご心配をいただき恐縮です。

みなさま、ありがとうございます。

 

「ブログ、読んでますよ」とお客さまから言っていただくと、

ありがたいやら恥ずかしいやら・・・・な気持ちになるのですが、

近しい人たちというのは、また格別に気恥ずかしいものですねぇ。

 

それでも、占庭の占い師はこんな感じの人間だということを感じていただき、

その上で、この人に占ってほしいな、と思っておいでいただけるよう、

ありの~ ままの~ わたしで書き続けたいと思っています。

どうかこれからもおつき合いくださいませ。

移転して丸三年になりました

本日の木屋町の桜です。

 

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八分~九分咲きくらいでしょうか。

お天気は今夜から下り坂のようなので、風雨が強まらないことを祈りたいです。

せっかくの桜、ゆっくり咲いて、ゆっくり散っていってほしいですものね。

 

一昨日の夜、バスを降りたら、むわぁっと春の匂いがしました。

植物という植物が萌え、土がモコモコとわき上がるかのような匂い。

その強烈さに圧倒されながら、そうや、そうや、こんな匂いやったね。

春ってホント獰猛で、ちょっとうんざりした気分になってしまうこともある。

ってことを思い出したのでした。

春はねー、やっぱり人のこころを不安にさせたりもしますよね。

なんかついていけないんだなあ。その萌え感に。

その上に、ガラっと環境や生活が変わった方も多い時季ですしね。

うっかり「自分」を置き忘れてしまったりもします。

ゆるゆる慣れていきましょうね。

 

占庭も3年前の昨日、大宮中立売の店舗から、いまの四条高倉へと移り、

再オープンしたのでした。

こちらへ移転してもう4年目に突入ですよ。びっくりしますね。

よくまあ続けてこられたものだと思います。

これもひとえにみなさまのお蔭です。

いつも本当にありがとうございます!

4年目の占庭も、どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、では、これからの占庭をどうしていくべきか?

ということは、これでも結構よく考えてはいるんです。

よく考えるのですが、いつも同じところへ着地するんですねぇ。

「らしくないことはしないでいよう」ってところに。

占庭のモットーは「誠実であること」です。

 

 ・わからないことは答えられませんと言う。

 ・気休めは言わない。

 ・お客さまの進みたい方向に添うための最良の占い活用方法は?

  を徹底して考える。

 

要するにごまかさず、できることにできるだけ真摯に取り組む、

ということでしょうか。

占いというのは、悩みや不安をお聴きするのが第一の仕事です。

まず、聴く。

それから、これからについてお訊ねする。

その、これからをよりよくしていくために、占いをどう役立てることができるか、

をいろんな角度で考えて提示していく。

という流れなのですね。

 

信用できないなあと感じる人には、深い話はできないし、

その人の話も素直に聞けなくて当然です。

占い師は占ってナンボの仕事なので、もちろん占術は要なのですが、

もっと大事なのはその「人」そのものではないかと思っています。

エエ人かどうか、っていうよりは、信用できる人かどうか、ではないでしょうかね。

もちろん占い師がエエ人であるに越したことはないのですが、

そこは人それぞれの好みもあるところですしね。

万人にエエ人と思われる人なんていませんでしょうし。

ですので、そこはあまり考えず、シンプルに、

「わたしはちゃんと誠実に仕事ができているかな?」

ということを自問自答しながらやっていくことにしています。

そうして自分なりに誠意を尽くして、それでもお店が成り立たない、となれば、

そこはもう完全にわたしの力不足、っていうことですから、

潔く認めて、受け容れるこころの準備はできています。

そこは揺るがない部分なのですが、ただこれまでを続けていこう、

ってだけじゃなく、幅を広げる、新しいことにチャレンジする、ということも、

よく考えながらやっていきたいと思っています。

「やわらかくある」ということも、わたしの大切なポイントなので。

 はい。これからもがんばります。

 

と移転後4年目に入るということで、ちょっと決意表明をしてみました。

こういうのは、ちょっとわたしらしくないかな、と思いつつも。

ご注意ください

木屋町の桜は三分咲きくらいでしょうか。

この陽気ですと、あっという間に満開になるかもしれませんね。

今日は本当に暖かい。

 

実はいま、わたくし、帯状疱疹に罹っておりまして。

皮膚科の先生がおっしゃるには、ピークを過ぎたあたりで受診したらしく、

手遅れ気味だったそうです。

いかにも帯状疱疹、という発症の仕方ではなかったので後れをとってしまいました。

無念です。

 

で、水ぼうそうにかつて罹った方、もしくは予防注射を受けている方は

問題ないのですが、どちらもしてないよ、という方には、

水ぼうそうを発症させる可能性もあるそうで。

近々、占庭へ行ってみようかな、と思ってくださっているお客さまは、

どうかご注意ください。

特に赤ちゃんには接しないように、ということですので、

今週いっぱいくらいは、できればそういう方とは接触しないように気をつけます。

 

水ぼうそうも予防接種もしてないよ。

水ぼうそうに罹って、大手を振って、会社(学校)を休みたいよ!

という方は、積極的に接触してみてください。

いえ、冗談です。すみません。

 

しばらく本の話を書いていなかったので、今日はカテゴリー「読書」で。

ブログを読んでくださっているお客さまの中に、たまーに、

「本の話が好きなんです」という奇特な方もおいでになるんですよ。

うれしいです。

 

『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子著 

 

小川洋子さんの小説は、独特の静謐さがあります。 

のっぺりとした静けさではなく、張りつめた、

ギリギリのところでバランスを保っている、しんとした世界。 

けれども音がないわけじゃない。 

風も匂いもあるのです。 

 

抗えず、けれども甘んじるには過酷な現実。 

それを不幸であると断言することは簡単です。 

しかし、その不幸と添うようにして生きていくしかない場合、

それは単体の不幸ではなくなります。 

そのひと全体を支配することになる。 

 

それでもひとは生きていくしかないのですよね。 

 

小川洋子さんの小説には、そういうひとがよく登場します。 

しあわせいっぱいのひとは、現れない。 

現実離れしているようで、リアルなのは、主人公の痛みをどこかで誰もが、

共感できる余白があるからではないかと思います。 

 

ちいさくて、しずかで、すぐに忘れてしまうようなかすかなしあわせを

大切にすること。 

耐えること。 

あきらめても、投げ出さないこと。 

 

それらを教えてくれます。 

声高に自己主張することが、いかに下品であるかも。 

 

主人公の少年は、11歳で成長することを自分の意思でやめます。 

それはすぐに『ブリキの太鼓』を連想させますが、色合いはまったく違います。 

少年は「大きくなると取り返しのつかないことになる」という、

強迫観念にとりつかれてしまったのです。 

その理由はいくつかあります。(でもそれは小説のなかにあるので、書きません) 

どれも、寓話のようなお話です。 

けれどもその悲しみは、とても現実的に思える。 

 

いい作品でした。 

チェスがわかれば、もっと深く愉しめたのだろうな。(少年はチェス指しなのです) 

 

「ミイラ」というのは、登場する少女の呼び名です。 

わたしは彼女がとても好きです。 

(2009/8/25)