京都 四条高倉の占庭から

「事情があります」ZAZA

ぐっと冬らしくなってきている今日、このごろ。

昨日は最寄駅の近くの駐車場に車を停めて出掛けたのですが、

夜遅く帰ってきたときには、フロントガラスが凍っていてびっくり。

そこまで寒いとは感じなかったんですけどねぇ。

 

しかしまあ街中の師走、しかも週末の夜となるとすごい人出でした。

御堂筋のイルミネーションを数年ぶりで見ましたが、

このピンクの電飾は、えっと、どうなんでしょうか・・・・?

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(と訴えるに足りない、いつもながらの写真ですみません。)

木に巻きつけられた光よりも、落ち葉が敷き詰められた足元のほうが、

ずっと美しく感じました。

御堂筋といえば、イチョウですもんね。

 

で、夜にそんな賑やかなところへ行った理由はと申しますと、観劇のため。

大好きな”満員劇場御礼座” (通称・満劇さん)の、年に一度の公演が、

今年は道頓堀 ZAZA HOUSEであったのです。

今年は、というのは、毎年、東京と大阪で交互に公演されているから。

劇団員さんのほとんどが会社員で、それぞれ関東、関西で働いてらっしゃいます。

それでいて、年に一度、集まって数日間の公演を打つというのは、

それはそれは大変なことだと思います。働き盛りですもの、いろいろとね。

 

「おもしろいよ」と勧められて観に行くようになってから、7,8年でしょうか。

この年に一度のお楽しみを心待ちにしています。

今回の公演は「事情があります」というタイトルのもとに、

 

第1話 ハンカチ男

第2話 はなしあい

第3話 あの日の人魚姫

第4話 風変わりな未来

第5話 あなたの妹

第6話 巡査部長 二宮ソンタク

 

という、まったく関連性のない6つのオリジナルなお話が展開されます。

 

わっはっは! という笑いではなく、クスクス、フフフ、という笑いの底に、

ペーソスも潜んでいて、ただ笑えるだけの芝居じゃないんですよねぇ。

身につまされる瀬戸際でユーモアに転じさせるところが、

満劇さんの持ち味のように感じます。

 

しかし、ユーモアとペーソスって、最近聞かなくなりましたね。

(まだ死語ではないですよね? けどもう瀕死?)

劇団員の年齢層も高めですし、そんな昭和チックな言葉で語りたくなるのですが、

内容は実に現代的(第1話は未来的でした)。

どんなにバカバカしいキャラクタのように見えても、

それが知性に裏打ちされているのでイタくならない。

おお、もうひとつ思い出しました。

ウイットに富んでいるのです。

(これも久々に聞きましたよねぇ。まだこの時代に生きている言葉でしょうか?)

 

満劇の役者さんはみんな大好きなのですが、たまに客演される、

ババロワーズの高瀬さんがまたいいんです。

今回も素晴らしかった。

この高瀬さん、他所で出てらっしゃるのも何度も観ているのですが、

満劇に出てらっしゃる高瀬さんが、なぜかわたしは一番好きなんですよねー

出演してらした第5話の「あなたの妹」は、すごく練られたお話で、

よく考えついたものだなあ、と唸りながらもどこかおかしいのがいい。

あの力技のようなお話を成立させたのは、高瀬さんの熱演もありますが、

「妹」役の緑ファンタさんの、えも言えぬ説得力があってこそ。

あの不敵なまでの存在感。素敵。

 

第6話の「巡査部長 二宮ソンタク」は、ソンタクを揶揄する、

淀川フーヨーハイさんの看板芸(?)ともいえる無責任キャラ全開です。

以前の作品のなんでも肯定する「肯定ペンギン」のペンちゃんと同じニオイ。

細長い体型を持て余すように、長い手足を振り回しながらの演技は、

もうそれだけでウレシクなってしまいます。

華があるんですよねぇ。なんだか不思議な華が。

もちろん内容もサイコーでした。

フーヨーハイさんばかりが目立つようですが、ライス大さん、あべの金欠さんの

律儀な演技があるからこそ、ですよね。

板挟みとか、八つ当たりされるキャラとか、そういう困らされる役、

金欠さんになんでこうもぴったりなんでしょうね。

 

他の話もとてもおもしろかったのですが、長くなるのでこのあたりで。

公演は明日までで、チケットもまだあるようです。

お時間ある方、いかがですか?

オススメです。


mangeki.com

 

年末年始休業のお知らせ

11月のバタバタが夢のように、12月に入り、グッと落ち着いている占庭です。

だいたい毎年、暮れになるに従って、お店はガラガラになっていきます。

世間が気忙しくなってきて、みなさん、占いどころじゃない、ってことですね。

そりゃそうですよねぇ。

わたし自身、年内にしてしまいたいあれやこれやが山のようにあります。

ま、その大半は毎度のことながら時間切れになってしまうんですけれども、

それも含めて風物詩みたいなもので。

 

これが年が明け、1月、2月となると、占い稼業は繁忙期に入ります。

新しい一年の運気を知っておこう、ってことですね。

そのように、何も心配事はなくても年に一度はいらしてくださるお客さまも、

たくさんいてくださるって、ありがたいことですね。

 

少し早いのですが、みなさまもご予定がおありだと思いますので、

年末年始休業のお知らせをしておきますね。

年末は26(火)まで、年始は6(土)から、通常営業いたします。

例年のように休業中も柔軟に、できる限り対応してまいりますので、

ご要望がございましたら、個別にご連絡くださいませ。

 

休暇で帰省される方、京都へご旅行の方など、この時期でないとだめ、

って方もおられますものね。

わたし自身が、久し振りにお顔が見たいなあ、と思うお客さまもおられ、

楽しみにもしています。

ただ、今回も新年のイベント占いにお声掛けいただきましたので、

三が日のご要望にはお応えできませず、申し訳ありません。

 

また、メールや電話での鑑定は、金融機関の休業中はご入金の確認ができないため、

対応に日数がかかってしまうこともありますので、ご了解くださいませ。

 

お問い合わせにつきましては、占庭HPのこちらからどうぞ ↓

kyotouraniwa.web.fc2.com

 

気が早いようですが、今年もあと3週間ほど。

インフルエンザも流行ってきているようです。

それなのに、ワクチンの不足で、予防注射もできないのだそうで。

みなさまも、睡眠時間を確保して、体調を崩さないようご用心くださいね。

GEAR と はふう

昨日は電車がずいぶん空いたなー って感じで、

今日は道、ガラガラやん、ということで、京都の観光シーズンは一段落しました。

(一段落をひとだんらくと言う人がおられますが、いちだんらくが正解ですよ)

 

街路樹もどんどん葉を落としていってますね。

遠くへ目をやった時、あー あんなところにイチョウの巨木があったのね、

という発見のある季節も終盤。

イチョウの木の下は、黄色のじゅうたん状態になっています。

 

個人的に、ものすごーくつらかった時期が、ちょうどこの時季で。

あの時も、空は高く青く澄んで、イチョウは胸に沁み入るような黄色だったなあ。

と毎年、思い出してしまいます。

わたしは生きていたくないほど悲しくてつらいというのに、

季節はそんことお構いなしで進むし、空もイチョウも鮮やかに美しい。

このまま冬まで泣き暮らすわけにはいかないよなあ、

とだんだん思えるようにもなっていったのでした。

 

それから幾星霜。

その時には思いもしなかった土地に暮らし、京都で占い師になろうとは。

人生っちゅうのは、ほんとにわからないもんですね。

あの頃のわたしに言うて聞かせてやりたいくらいです。

やっぱり生きていないと、ってことですねぇ。

 

ここ数か月、しばらくエンタメから遠ざかっていたのですが、

12月は私的エンタメ月間で、小劇場に数度、足を運ぶ予定です。

こういうのって、なぜか時期が重なるんですよねぇ。

 

で、まず、そのひとつ目、京都・三条御幸町のGEARへ行ってきました。

ずっと前から、一度行ってみなくっちゃと思っていて、やっと。

”ノンバーバル(言葉に頼らない)パフォーマンス” と銘打ったこちら、

いったいどんなステージなのか、予備知識はまったく仕入れずに観たのですが、

非常に楽しかったです!

小さな専用劇場ならではの魅力がいっぱい。

マイム、ブレイクダンス、マジック、ジャグリング、ドール(女性パフォーマー

の5つの演目を取り入れた物語が、セリフなしで繰り広げられます。

登場人物も5人だけ。

それで飽きさせることなく、1時間半のステージを走り抜けるのです。

若いパフォーマーのみなさんの一所懸命さと、サービス精神が、

びっしびし伝わってきます。

ライブはこうでなくっちゃね。

 

老若男女、誰もがわかって、みんな同じように楽しめるエンターテイメントって

なかなかないですよね。

GEARはまさにそれを実現したステージでした。

ネタバレになってはいけないので、詳しくは申しませんが、

実に素晴らしい内容、仕掛け、構成になっていて、オススメです。

 

www.gear.ac

(チケットは直接、劇場に電話してみるのが取りやすいようでした)

 

このチケットは夫が取ってくれたので、じゃあランチはわたしがご馳走しよう、

と、こちらも以前から、一度行ってみたいと思っていた「はふう」さんへ。

とてもディナーへ行けるお店ではないんですが、

わたしたちにしては、ランチでもかなりの奮発モードです。

 

周到に朝ごはんを早めに食べておいてですね、開店の11時半前に待機。

とにかく待つのが苦手なので、そのための段取りはバッチリです。

店先に出してあるランチメニューを見ながら、悩む悩む。

初回はやはり人気メニューから攻めねばなるまい。

ということで、夫はステーキ丼、わたしはビフカツにしました。

飲食店で食べ物の写真を撮るなんてこと、実はめったにしないんですが、

これは撮られずにはいられへんわ、、、、とパシャリ。

 

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絶妙な火の通り具合。すばらしー

お味噌汁もアツアツで、サラダもたっぷり。

小鉢の切り干し大根も、ひと味凝っていました。

ということで、こちらもオススメです。

hafuu.com

 

と、本日のブログは京都プチ観光案内でした。

人生の底

京都の紅葉もそろそろ終わり。

今日明日で人出も落ち着くのではないか、とラジオも言っていました。

いよいよ冬の到来です。

 

レンタル着物で京都観光、という人も多いのですが、

冬場は見てるこっちまで寒くなりそうな感じ。

外国の方などは、和服の上にダウンコートを着てたりして、

そらそやわなあ、と同情してしまいます。

和服用の防寒グッズも併せてレンタルしてあげればいいのに~

と思うわけですが、熾烈な価格競争の中、そうもいかないのでしょうか。

 

 

占い師というのは、人様の悩みや迷いを聴く仕事なので、人の胸の内には、

つらい話、悲しかったこと、ゆるせない思いがあることを

他の職業の方よりは、たくさん知ることになります。

それらは、多くの人が、誰にも言わずに胸にしまっているものなのですが、

こんなに多種多様であり、厳重に秘められているものなのか、

と驚かずにいられません。

誰のこころの中にも、傷があり、その傷を他人のこころの傷と比べることは

できないんですよね。

要するに、自分の傷がどれくらい大きく深いものなのか、

相対的に把握することは不可能である、ということで。

 

ですので、ものすごくつらい思いをされていても、

「自分なんか大したことない。もっとつらい人はいっぱいいるもの」

と思う人があれば、たったひとつの思いに囚われてしまって、

自暴自棄になってしまう人もおられます。

もちろんメンタルの強さにも個人差がありますから、

なおさらこころの傷み具合というのは、測れるものではありません。

 

ツイッターで流れてくる中にも、思わず声をかけたくなるような、

つらさがにじみ出ているつぶやきがたくさんあります。

仕事で、家庭問題で、人間関係で、といろいろな場にあって。

 

 そんなに自分を責めないで

 あなたのしてきた努力を貶めないで

 他人の評価に振り回されないで

 

と願わずにいられません。

 

きっとだれにも「人生の底だな」と感じる時があるのだと思います。

わたしはたかだか56年しか生きていませんが、

振り返って、いつが一番つらかったかなー と考えるに、

それは24歳だった、と明言できます。

その一番つらかった24歳当時、それがその後30数年を加えても底であるとは、

まったくわからなかったわけですよ。

まさかそんな若い時に、半生のどん底に沈んでいるとは思いもしません。

そんな人生の序の口で底を打ってるてねぇ。

 

いまから思えば、まだ世間も、しがらみも知らない若さだったので、

却ってよかったのかな、と思いもします。

体力もあったし、絶望するには残り時間が長すぎました。

客観的に見て、ひどくシビアな状況である、しかし、自分にはそれほど非はない、

ということさえ自覚がなかったので、我が身を責めこそすれ、

恨む気持ちは湧いてきませんでした。

ただ、死にそうなくらい悲しかっただけで。

 

何が言いたいのかといいますと、若くても、実はどん底っていうことだってある、

ってことなんです。

「まだ若いくせに何言うてんねん」なんて、よく知りもせず言う人もいます。

コトの原因を「若さゆえの未熟さ」と決めつける人もいます。

もちろん、それが正しい指摘の場合もあるけれど、そうでないことも多い。

 

ですのでね、そんな風にお説教されたり、見下されたりしても、

それを全身で受け止めなくてもいいですからね。

くれぐれも反省は、ほどほどに。

 

だいたい、そんな風にあれこれ言いたがる人ほど、口だけで何も助けてくれません。

耳に痛いことを言ってくれる人はありがたいのですが、

それが、ただ叱りつけ、スポイルしているだけの言葉であれば別です。

 

聞きいれる言葉か、捨ててよい言葉か、選別が難しいですよね。

難しいけれど、難しいと投げ出さず、そこはちょっとがんばって考えてみましょう。

自分をちゃんと守るために、その思考力は必要です。

『絶叫委員会ー表現とコミュニケーション』を拝借します

なんと明日から師走だそうで。

四条通は先週あたりからクリスマスソングが流れてはいますが、

ここ数日、いっときの寒さがちょっとゆるんでいるので、

全然そんな感じがしないんですよねー

気を引き締めて過ごしていかないと、あっちゅう間に新年が来てしまいそう。

 

さて、久し振りに拝借シリーズを。

今日は、穂村弘さん『絶叫委員会ー表現とコミュニケーション』を拝借します。

『絶叫委員会』は筑摩書房のPR誌「ちくま」の連載ものです。

毎月、穂村さんと、岸本佐知子さんのエッセイがとってもたのしみで。

 

今回、なるほどな~~~ と思ったのはですね、言葉についてのお話。

 穂村さんは歌人で、言葉を使う仕事をしているのだけれど、

 

どんな場合にも自在にそれをくりだせるわけじゃない。

適切な言葉が見つからなくて絶句することもある。

 

と。 

 それは何かというと、年賀状に一筆添える、というのが苦手なのだそう。

 

相手の心に触れるような、自然な温かさをもった挨拶ができない。

どうしてなのか。

考えれば考えるほど変に屈折して気持ち悪くなってしまう。

 

読者としましては、年賀状で屈折して気持ち悪くなってしまうあたりが、

すごく穂村さんらしいなと思ってしまうわけです。

で、ご両親や奥さんはそのハードルを軽々と越え、むしろ楽しそうである、と。

 

この違いはなんなんだ。仮にも私はもの書きなのに。

と不思議に思っていた。

 

私が普段仕事で使っている言葉は表現用のツール。

それに対して年賀状に書き添える言葉はコミュニケーション用のツール。

両者はまったく別のものなのだ。

 

そ、そうだったのか~~~

「表現」のための言葉と、「コミュニケーション」のための言葉がは別モノである、

という観点は非常に納得できます。

 

読みながら、

わたしは年賀状に一筆添えるのは、そんなに苦痛じゃないな、

と思っていたのですが、それはコミュニケーション用の言葉を

日頃使い慣れているだけのことでして。

だって、占うってことは、まさにコミュニケーションですから、

それ、仕事やん、ってことですよ。

逆に、自らを「表現」するための言葉を繰り出すシーンはないわけで。

 

ふつうに生活しているところでは、コミュニケーション用の言葉が大半です。

 そうすると日常に表現の言葉はないのか? というとそうでもなくて。

何気ないコミュニケーションの中でも、

ハッとするような「表現」をされる人もおられて、

おおっ! 

と思ったりすること、ありますよね。

 

それはキラリと光る機知であったり、知性や教養なのでしょう。

カッコイイ。憧れるわー

 

あ、なんか話がちょっとズレてしまいました。すみません。

 

自分が飲み会でのフリートークにうまく参加できないのも、

それがコミュニケーションとしての言葉のやりとりだからじゃないか。

一人だけ異質な言葉で、自然な輪の中に入れず浮き上がってしまうのだ。

 

以前に一度、穂村さんのトークライブに参加したことがあります。

集まったお客さんは、みな彼のファンであった、

ということもあるのかもしれませんが、まったく浮き上がってはおらず、

ほどよい温度のいい空気感が漂っていました。

そうか。

あのライブでの彼のトークは、コミュニケーションよりかは、

表現用であったということなのですね。

ま、それだからこそ、ただの会話にはならず、おもしろかったんですけれど。

 

そして、エッセイは続きます。

 

年賀状よりも、さらに難度の高いコミュニケーションがある。

それは男性用のトイレにおける会話だ。

知り合いが先にいて、後から入っていった自分がその横に立つ場合。

 

この後、そういう際の葛藤が描かれていき、ぷぷぷ、と思わず笑ってしまいます。

男の人は大変だなあ、って。

というか、穂村さん、色々と大変だなあ、と。

なぜタロットだけ?

行楽日和の土曜日です。

今朝、京都方面へ向かう特急列車は週末にあるまじき混雑ぶりで、

この中を立って行くのはしんどすぎる・・・・と思い、

途中で鈍行に乗り換えてきました。

 

某駅に停車し、ドアが開いている時に、

「乗りますので待ってください~~~~!」という声が。

窓の外を見ると、ホームと並行する改札の外の道を

モコモコに防寒対策をされた5~6名の年配の女性たちが、

ポテポテと走っておられます。

電車内の乗客は、

「バスじゃないんだから・・・」

と苦笑。

誰もが、それはあかんやろ~ と思っていたんですが、

なんと車掌さんは待ってあげたんですよねぇ。

 

「え、待つの? さすが関西。東京だったらありえない」

という声が聞こえましたが、それは、

あきらめずに電車に向かって「待ってくれ」と言う乗客にも、

待ってあげた車掌さんに対しても、感じた思いなんでしょうね。

 

いや、わたしもこんなこと初めて見ましたよ。

階段を走って上がっていたら待ってくれたりはしますが、

まだ改札の外を走ってる人を待つってねぇ。

さすがに特急ならばダメだったでしょうけれども。

ほんとまさしく、さすが関西ですわ。

 

さて、今日は朝イチのご予約が入ってなかったので、知恩院さんへお参りに。

いいお天気で気持ちがよかったです。

 

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(納骨堂前の池)

紅葉が朝陽に映えて美しかったんですけどねー

なんでこんなにその美しさが全然伝わらない写真になるかなー

と思うわけですが、ま、せっかく撮ってきたので一応。

 

 

さてさて、今日は占庭でお受けしているレッスンにつきまして。 

現在、初心者向けのタロット教室を開催しているのですが、

生年月日での占いや、手相も教えてほしい、

とおっしゃる方も結構おられるんですね。

以前から、何度かこのブログでも書いてきたのですが、

わたしの生年月日での占いと手相占いは、師匠について学んだのではなく、

まったくの独学です。

子どもの頃から雑多な占い本を山ほど読んできて、

そのなかで「これは!」と思ったものを自分なりにまとめたり、

いくつかの占術をアレンジしたり、データを分析してきたりしたものです。

要するに、キチンとした形を成してはいない亜流ということです。

 

手相についてももちろんたくさんの本を読みました。

が、手相というのは本を読むだけではマスターできないもので、

とにかく数多くの手相を観せてもらわないことには、

わからない部分が大きいのです。

 

ですので、どちらもマスターするには、手間と相応の時間が必要です。

ちょっとレッスンに通っていただいて占えるようになる、

というものではないんですよねー

そして何よりも、わたしがうまく説明することができそうにないんですよ。

自分にだけわかるようなまとめ方しかしてないですし、

そもそも誰かに伝えたいとも、伝えようとも考えたことがないので。

 

手相占いについては、線の意味など、ふつうに本を読めばわかることを

わざわざレッスンすることはないもんなあ、と思ってしまいます。

線の勢いや、流れ方、手のひらから上がってくる気配のようなものが大事なのですが

それこそどう説明すればよいのか、わかりません。

たくさんたくさんの手相に向き合い、

そのデータの蓄積と経験が知らず知らずに身に着いて、

観る力になっていくものですしね。

 

ということで、レッスンはタロットだけにさせていただいています。

 タロットはわたしも習いに行って身に着けたので、

どういうところが覚えやすく覚えにくいかとか、

知りたい・教わりたいポイントもわかります。

仕事で占ってきた経験も活かせるので、

タロットだったら一緒に楽しみながら、レッスンできるなあ、

と思って始めて、今に至る、です。

レッスン料を安く設定しているのは、他の占術に比べて、

わたし自身のタロット歴がまだ浅いということと、

とにかく気軽に親しんでいただきたいなあという気持ちから。

占庭に通ってくださって、プロの占い師になった方もおられますが、

わたしとしては、プロ占い師を養成したいなんていう野望はなくて、

タロットって、おもしろいの。ちょっとやってみない?

というタロット普及の思いからのレッスンなのです。

栗きんとん愛

紅葉シーズンのピークを迎えている京都です。

道も、交通機関も混んでますわー

けど、今年の紅葉は美しいようですよ。

 

今日は、先日ツイートしていた、栗きんとん愛について語りたいと思います。

まったく占いとは関係のない話です。すみません。

 

初めて和菓子の栗きんとんを食べたのが、6,7年前だったかと思います。

その時、頂戴したのが「すや」の栗きんとんでした。すや

 

栗きんとんと聞いて、ふつう思い浮かべるのは、おせち料理に入っている、

甘露煮の栗と裏ごししたさつまいもがツヤツヤしているものですよね。

なので、初お目見えの時は、

この、ちんまりしたクリーム色の茶巾絞りのようなものが、栗きんとん??

と思ったものです。

へぇ~ と思いながら、まったく何の期待もせずにいました。

が、

ひと口食べてみて、衝撃を受けました。大袈裟ではなく、ホントーに。

 

こ、、、こんなおいしい栗のお菓子があったなんて・・・・!!!

 

という衝撃。

 

それで、岐阜にめっちゃおいしい栗きんとんがある。

という情報はしっかりインプットされていたのですが、

岐阜県の中津川あたりに、おいしい栗きんとんが「たくさん」ある、

ということは知らなかったんですよ。

 

先月、長野へ向かう道すがら、たまたまその中津川を通ったんですね。

そこで、中津川が、どんだけ「栗推し」の土地柄であるかということを

目の当たりにしました。

 

そうか。

「すや」だけじゃないんや。あの超美味な栗きんとんは!

 

欲に目がくらみ、新杵堂や、恵那川上屋の栗きんとんも買ってみました。

それが、いずれももれなくおいしいのです。

どうも中津川では「栗きんとんめぐり」なる町あるき、なんてのもあれば、

一ヶ所で「栗きんとん食べくらべ」できます、なんて商品もあるらしいのです。

すばらしー 行ってみたかった・・・・

ええ。それらは、帰ってきてから知ったことだったんです。

残念。

 

それよりもなによりも、とにかくもう歯ぎしりするほど悔しいのが、

恵那川上屋恵那峡店にある喫茶コーナーへ立ち寄らなかったこと。

 

い、、、、行きたかった・・・・・!!!

 

「里の菓茶房」というそこには、栗好きにはたまらんメニュー目白押しなんですよ!

しかも、上質な栗をこれだけふんだんに使って、このお値段!

  (こんなの京都のカフェだったら、倍くらいしますわよ)

「里の菓茶房」 メニュー紹介 | 商品案内 | 恵那川上屋

 

中津川の栗きんとんは生菓子なので、日持ちがしません。

ですから、お土産にしたくてもすぐに手渡せる人にしか買って帰れないんですよね。

けれど、だからこそ素朴でおいしいのでしょう。

 

ああ、この悔しさ。晴らさではいられません。

来年の秋はかならずや里の菓茶房へ行って、限定メニューを食べるぞ!

と、いまからこぶしを握り締めているわたくし。

こういうことは、忘れないんですよ。ホホホ。