京都 四条高倉の占庭から

カードを伏せる? オープンにする?

三連休の初日、中日は占庭の営業日でして、最終日の昨日だけ、

家でのんびりしていました。

で、買ったままになっていた小豆を炊こうと思いついて、コトコト。

小豆のいいところは、洗ってすぐに炊けるとこですね。

火の通りも他の豆に比べると早いですし。

 

小豆の茹で汁には利尿作用があり、むくみ取りに最適、と読んだことがあったので、

茹で汁を残しておきまして、飲んでみました。

思ったほどアクは感じず(もちろんアク抜きした後の茹で汁ですョ)、

コクのある、どっしりした風味があり、ちょっと意表を突かれるお味。

ほー と思いながら、何度かに分けて飲んだのですが、

想像を超える利尿作用があり、そらむくみも撃退できるわ、と。

むくみがちな方、勝負を賭けたい日の前に、小豆の茹で汁、

いいんじゃないでしょうか。

何度も夜中にトイレに起きるので、睡眠の質は落ちるかもしれませんけれども。

 

さて、今日は少し、占いのお話を。

初対面だけに限らず、気心が知れるまでの間、相手に対して、

自分のカードを伏せておくタイプの方と、最初にオープンにする方がおられます。

猫型、犬型という分け方で、お話ししていきましょう。

猫型の人は、心を許せるかどうか確認できるまでは、一定の距離をとり、

差支えないカードだけを表にしておつき合いをされます。

犬型の人は、最初にお腹を見せて敵意や他意のないことを表したいので、

手持ちのカードを伏せるようなことはなさらない。

占庭のお客さまにもそれは言えて、占いに来られているんだけれども、

カードを小出しにされる方、できる限り情報開示してくださる方といろいろです。

 

猫型の方は、用心深く、自分のテリトリーをむやみに荒らされたくない、

というお気持ちが強いです。

いつでも身をひるがえすこともできるよう、相手の出方を見て、

自分のカードも開いていく感じ。

こちらのメリットは、いい関係が作れなかった場合のダメージが小さいことで、

デメリットは、誤解されてしまったり、本来の自分を出しそびれてしまうこと。

 

犬型の方は、自分のこともわかってほしいし、相手のこともわかりたい、

という気持ちがストレートに出るので、早く距離を縮めやすいメリットがあります。

基本的に、相手を認めたいし、いいところを見つけたいという善意の人が多い。

デメリットとしては、安く見られてしまったり、相手ペースにはまりやすいこと。

 

どちらも一長一短あり、どっちがいいとか、どっちのタイプがイイ人であるとか、

そういうことはないんですよね。

このあたりはもう性分ってもんで。

 

ただ、占いのお客さまとしましては、カードは伏せないでいてくださったほうが、

こちらもやりやすいし、いい答えにたどり着きやすいんですよ。

たまに本心ではないことをおっしゃる方もおられるので、

希望要望に沿うように運気を活かしていくには? 

というスタンスで占っているわたしは困ってしまうこともあるんですね。

ほんとうは別れたくないのに「別れようと思ってるんです」とかおっしゃると、

こちらとしましては、別れなくてもいいのに、という相性であっても、

本人が別れようと思うとおっしゃっているのだから、

どうにかいい別れ方ができ、次のよい運気につなげていただくには?

という思いで占うことになりますのでね。

本来、目指すべき道筋とは違う方角へ向かって努力することになってしまいます。

 

ですので、占いに来られる方は、できるだけたくさんカードをオープンに

なさっていただきたいです。

占庭は何でも話せる「場」なんですよ。

何を言ってもいいし、どんな希望をぶちまけてもいい。

それが可能かどうか、よいことなのかどうかは、気になさらず、

とにかく手持ちのカードを広げて見せてください。

よい占いはそこから始まるのだとご理解いただけるとうれしいです。

「婚姻制度と不倫」again

芸能人や政治家などの不倫報道が続いています。

こんなにニュースになるなんて、そんなに他人の不倫って気になるものなのかしら?

と不思議でしょうがないんですけれどもね。

当事者と家族にとっては大問題でしょうけれど、

赤の他人が断罪したり、そやしたりするのは、どうかと思うんですよねぇ。

 

先日もキョンキョンの不倫報道がありました。

その時思ったのは、

 キョンキョンって変わらへんねんなあ。

でした。

アイドルだった若い頃は勝手に髪を切ってしまったり、結婚したり、

既成のアイドル路線は行かず、ワガママと紙一重の独断専行の数々。

それをカッコイイと見せるだけの魅力もあったし、支持者も多かったんですよね。

今回の突然の公表も、それを思い出させるものがありました。

「世間から何を言われてもいい。罰は受ける」

という覚悟はよくわかりました。

芸能人として、そういうはみ出し方はアリなのかもしれません。

 

が、今回のことは自分ひとりのことではなく、相手があり、

さらに相手には妻子がいらした。

公表することでキョンキョン自身は、

 わたしは逃げない。

という態度を見せはった。

 

でも、わたしはそこにスカッとした潔さを感じることはありませんでした。

 そうすることでスッキリしたのはあなたひとりだけだよね?

という気持ちがどうしても拭えなくて。

 

で、以前にこのブログに書いた不倫の話を読み返してみました。

そうすると、今回のことは、不倫のマナーからひどく逸脱していたんやな、

と、わたしの不快感の原因がわかりました。

いや、不倫にマナーもへったくれもないやろ! と思われるかもしれませんが、

わたしは、

 不倫は何が何でも絶対ダメッ! 

というほど厳しいスタンスでもないんです。

占庭のお客さまの中でも、不倫で泣いている方、逆に精神が安定された方、

苦しむ人、元気になる人、いろいろですのでね。

 

けれども、不倫に手を染めるのならば、せめてこれくらいは考えて覚悟しようよ、

と言いたいことを書いたのがこちらです。

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

うん。やっぱりいろいろ考えさせられます。

不倫を擁護する気はさらさらありませんが、

ただバッシングし、他人のプライバシーを暴露しておもしろがるのも、

たいがい下劣なことです。

その輪の中には入らないようにしたいです。

 

占い師なもんで、ついキョンキョンの命式を観てみました。

昨年から、きっとメンタルがブレブレやったんでしょうね。

もう少し発表を待っていれば、ソフトランディングも可能だったんじゃないかと

思わずにいられませんでした。

節分ですね

占い上では、この節分で酉年が終わり、明日の立春から戌年が始まります。

 

申酉天冲殺だったみなさん、終わりましたね。

ちょっとホッと息を抜いてください。

2年間、いかがでしたか?

申酉天冲殺の方はこの時期に離婚される人も多いですし、

人間関係全般がギクシャクしやすいので大変だったかもしれません。

停まっていた運気がやっと流れ始め、そこはかとない閉塞感も、

徐々に晴れていくでしょう。

ただ、戌年になって、いきなりパーーーッと晴れ渡るというのではなく、

少しばかりの歓迎しない変化が残る可能性もあるので、

ちょっとだけ用心もなさってください。

けれども、あってもそれは長くは続きませんので怖がらなくて大丈夫。

今年はスローに、次の新しい10年の流れに乗っていきましょう。

 

さて、明日から2年間の天冲殺に入られる戌亥天冲殺のみなさん、

ちょっと怯えてらっしゃいますか?

運気が停まると聞くと、不安にもなってしまいますよね。

けれども、天冲殺は「悪いことが起きる時期」ではないので、

過ごし方に気をつけていただければ、そんなに恐れる必要はありません。

特に、戌亥天冲殺の方は、申酉天冲殺の方のように人間関係がもつれるなど、

目立った影響は出てきません。

ただ、普段から悩みや葛藤を抱きやすい傾向があり、

この時期にこじらせてしまうことはままあるので注意が必要です。

考え込んで悩みを生み出し、それを熟成し、ガスを膨れ上がらせることのないよう、

うまく気分転換をし、煮詰まらないよう気をつけましょう。

メンタルさえそこそこ安定していれば、比較的穏やかに過ごせるはずです。

 

また、今年来年にめぐり来ているふたつセットの星は、おひとりおひとり違うので、

それらのそれぞれ別の影響、対処方法につきましては、個別にお訊ねください。

 

昨年の節分に書いた、天冲殺の方へのこの2年間の過ごし方のポイントを

コピペしておきます。

 

まず、来年以降の10年間を見据えて、

 自分はどうしたいのか?

 どうなっていきたいのか?

という意思と望みを意識していってください。そして、

 そのためには、何が必要なのか?

 どんな準備や計画をしておかねばならないのか?

をなるべく現実的、具体的に考えていきましょう。

 

この時期、結果や、成果に対する評価を期待する時期ではありません。

必死にアウトプットしたところで、手応えを得るのは難しいでしょう。

2年間、ご自身の中をもう一度、磨き直してくださいね。

 

では、その手順をまとめておきましょう。 

まず、これまでの自分を省みる。

反省すべきところは反省し、変えていく努力、補填する努力をしていきましょう。

ここで、もうひとつ大事なのは、がんばってきた部分を褒めてあげること。

きちんと褒めて、そこをもっと伸ばすにはどうしたらよいのかを考えます。

要は、等身大の自分自身を再確認するということですね。

過大でも過小でもない認識をするための、客観的な目が肝要となります。

 

現在のご自身を正確に把握できたならば、その自分をワンランクUPさせるぞー!

という意識を明確に持ちましょう。

どこをどうUPさせたいのかがわかると、どこからどう手をつけていけばよいのか、

道筋も見えてきます。

 

後は、地道な努力を続けるだけ。

その努力に対する評価は、自分自身が下す正当な判断のみです。

他人に、褒められようが、くさされようが、一喜一憂せず、

この期間は、サラーっと流してください。

あくまで自分目線で、ご自身を見つめることです。

 

そうして怠らないでいると、再来年の節分が明けるころには、

いまよりももっとピカピカになった自分で、また流れ始める新しい次の運気に

うまく乗っていくことができるのです。

 

運気が滞っている最中に、ものごとがスイスイ流れるはずがありません。

うまくいかなくて当たり前。

しんどさを感じることがあっても、そう考えて焦らないことです。

焦って、あーでもない、こーでもない、を繰り返すと、体力は消耗するわ、

気力は萎えるわで、ロクなことになりません。

つらいですが、辛抱のし時だと言い聞かせながら、やり過ごしてください。

 

また、お墓参りなどの先祖供養も忘れずに。

 

結果を出そう、評価を得よう、勝負に出る、という外向きのチャレンジではなく、

今後のために勉強する、資格を取る、お稽古事を始めるなど、

ご自身の内側を底上げするためのチャレンジは大いになさってください。

レベルアップのための2年間を上手にお過ごしくださいね。

 

滞り感や閉塞感を感じられたら、占庭へおいでください。

客観的な現状と、これからの心の持ち方のお話をいたします。

しんどい時は占いに頼ってみるのもひとつです。

というか、そういう時のために占いはあるようなものですしね。

文学賞と『こちらあみ子』

このブログを書くようになって丸2年が過ぎました。

1年目はマメに更新していたのですが、だんだんと間遠になって、

最近はポツンポツンとしか更新できていません。

今年は昨年よりは更新の努力をしたいなと思っています。

どうぞおつき合いください。

 

今日は久し振りにカテゴリ読書で。

昔は頭がおかしいんちゃうかってくらい、本を読まずにいられなかったのですが、

それもだんだんとフツウの本好きくらいになって、いまやごくフツウの読書量。

子どもの頃は小説家にも憧れていましたが、いつごろからか、

自分で物語を書くなんてことは、まったくしなくなりました。

それだけ自分で何かを生み出す欲求が薄くなったということでしょうかね。

 

それは年齢のせいだと思っていたのですが、わたしよりも年上の友人が、

先日、文学賞を受けられ、やっぱ年のせいじゃなかったな、と改めて感じました。

創り出す情熱があるかどうか、ってことなんですね。

 

ずっと小説を書いてらっしゃるのを知っていたので、受賞はものすごくうれしくて。

ご自身は案外、それほど喜ばれてなかったんですけど、わたしを含め、

周囲の人間たちの尋常ならざる喜び方といったら、もう大騒ぎでした。

長年の努力が実った喜びというよりは、こうして続けてこられたことが、

いちばんよい形で報われはったと思えて、うれしかったような気がします。

世の中捨てたもんじゃないな、と思えるようなうれしさというか。

 

わかりにくいですかね?

うーんと、がんばりに対する成果、というような「達成感」「成功感」とは違って、

真っ当な、人の想いに対し祝福がもたらされた、

って感じの温かさがあったんですね。

それはそれは予想をはるか超えるうれしさに包まれたのでした。

自分でも、何がそんなにうれしいのか謎なくらいで。

その幸福感は、どうもご自身よりも周囲の人たちの方がより強く感じられたようで、

不思議なものですね。

受賞されたその方のこと、みんな大好き、ってことも大きかったのですけれどね。

自分にはとてもできないことを成し遂げてくれはって、ありがとう!

みたいな気持ちもどこかにあったかもしれません。

自分は何もしていないのに、とにかくとても誇らしい。

思えば自分勝手な感情ですね。

 

今日、ご紹介する『こちらあみ子』は太宰治賞を受賞した作品です。

占庭のお客さまで、小説を書いてらっしゃる方がおられるんですけれど、

この作品を読んで、その才能に衝撃を受けて、もう書くのをやめようと思った、

と話されていました。

そう。

新人賞ですが、すごく力のある作品です。

 

『こちらあみ子』今村夏子 著

あみ子は知的障害があり、母親は継母。 

兄は中学からグレて暴走族に。 

父親の影は薄く、責任感も希薄。 

外側からみた家族の形は、実にステレオタイプな不幸であり、

薄っぺらいのだけれど、物語は実にリアルで、切なくてたまらない。 

みんなやさしくて、いい人間だということがわかるから。 

この、やさしくていい人間という陳腐きわまりない言い回しが、

ぴたりと嵌りながら、ぎゅうっと胸締めつけられる静かな物語というのは、

大したものだと思います。 

社会に適応できずに排除される人間は、ただの異物なのか? 

傷つくこと。 

傷つけられること。 

赦そう、受け容れようとすればするほど乖離していく思いというのもあるのだなあ。 

がんばったってどうしようもないこともある。 

がんばりすぎて罪悪感でがんじがらめになる人だってあるでしょう。 

やさしいってどういうことなんだろ。 

人が誰かと関わりながら生きる、その関係性に正解なんてあるんだろうか。 

もう一篇の「ピクニック」にも同じような問いかけがされているような気がします。 

(2013/1/6)

 

「絶対」の多い人

今日、おいでになったお客さまは、明石から。

占い目的で来られたのではなく、京都でお寿司を食べるためにいらしたんですって。

お寿司なら明石の方がおいしいんちゃうかと思ってしまうのですが、

京都のあるお店に一度行って以来、他では満足できなくなったのだそうです。

所在を聞きましたら、占庭からもほど近い場所にあるお店なのですけれど、

お値段を聞いて目が飛び出そうになりました。

いやあ、久し振りですよ。目が飛び出そうになった、というのを体感したの。

こういう古典的な言い回しは、ほんと的確ですね。

 

さて、今日は「絶対」のお話を。

会話の中に「絶対こうなるやん」「絶対あかんに決まってるし」というように、

絶対の多い人っておられませんか?

誰でも何気なく使っている言葉で、

絶対! ということで、主張がより強められます。

「正しい」と自信を持って訴えたいときに用いられるものですね。

それはよいのですが、そこに「これ以外はありえない」「他は受け容れない」

というような排他的なニオイがすると困ったことになってきます。

 

そもそも「絶対」ということは、あんまりないものなんですよね。

いままでもう数えきれないほど「絶対」に裏切られてきました。

自分が使った「絶対」が予想外の展開で裏切ってくれたこともありました。

「絶対」と訴えておきながら、それがまったく「絶対」ではなかった時、

とても恥ずかしい。

絶対ではないことに絶対だと言って譲らなかったことが恥ずかしい。

想定が甘かったこと、視野が狭かったことが恥ずかしい。

深く反省します。

その度重なる「絶対」の不正使用によって、ものごとやひとの気持ちに

「絶対」というものはめったにないものなんだなあ、と学んできたわけです。

どんだけ自分では確かな「正義」だと信じたとしても、

他人の「正義」はまた別の確信を持って構築されているのだな、と。

 

ですので、わたしは「絶対」をなるべく使いたくない。

絶対は絶対でないこともある。というか、ないことが多いとわかっているし、

恥ずかしい思いはなるべくしたくないからです。

けれども、そんなことはおかまいなしに口ぐせのようにお使いになる方もあります。

それを聞いていると、だんだんわたしの方が恥ずかしくなってしまうのは、

ほんまに大きなお世話やなあと思うわけですけれど、止められない。

 

「絶対」が口ぐせの人は、正しいことが好きな、まじめな人が多いです。

責任感も強いし、他人に迷惑をかけないようにと準備も怠らない。

そこで築いたご自身の「絶対」は絶対守りたいのですね。

ですので、周りの人に対しても、疑いなく、良いこととして伝えたい、

善意による「絶対」もたくさんあります。

時には誰かの正義を否定するために使われてしまうこともある。

その良し悪しの判断が難しいところ。

 

一番最悪な「絶対」は、何らかの失敗の後で、

「絶対そうなると思ってたわ」と吐き棄てるパターン。

前もって言うならともかく、起こってから、勝ち誇ったように言われる絶対は、

後出しジャンケンのようなものでしょう。

失敗したところへそう言われて反感を持たずにいられますでしょうか?

それこそ絶対、素直に聞けませんよねぇ。

でもこれ、誰でもついやってしまいがち。

特に、上の立場から、たとえば親、兄、姉、上司、先輩などにそう言われて、

「ああ、そうだった」と反省したり、「そう言ってくれてありがとう」と感謝したり

できるはずがないです。

でもね、これ、おそらくほとんどの人が、親から言われたことあると思うんやなあ。

イヤでしたよね? 

その時、なんともいえず悲しかったですよね?

だから、せめてそれを自分のお子さんには言わないでほしいんです。

いや、つい言うてしまうんです、誰だって。

それはしょうがないことなんやけど、

もし、言ってしまった時には反省してほしいし、できるなら謝ってあげてください。

 

まあ、ちょっとわたし自身が「絶対」に対して過敏なのかもしれないんですけど、

この少し支配のニオイもする言葉は軽々に使わないほうがいいなと、

日頃思っているので、書いてしまいました。

黙って座ればピタリと当たる! のではなく

寒い日が続きますね。

今年はふだん雪がつもらない地域でも突然大雪が降ったりするかも、

と天気予報で言っていましたよ。

雪に慣れない地方の人間には、ちょっとした雪でも大騒動です。

大雪が降ったらもう、なるべく家から出ずに過ごしたい・・・・

といまからびびっているワタクシです。

 

ところで、みなさんはホース氷って聞いたことあります?

わたしは動画を見て初めて知りました。

こんなことになるんや~ と感心してしまいました。

www.youtube.com

 

これ、ずーーーっと見入ってしまいませんか?

まだまだ知らないことはいっぱいあるんだなあ。

 

さて、もう1月も半ばです。

月前半、占庭はとても忙しくさせていただき、ありがとうございます。

おなじみのリピーターさん、初めましての方、たくさんおいでくださいました。

一度来られた方や、ブログをお読みくださっているお客さまは、

わたしがどういうスタンスで占っているかをよくご存知なのですが、

まったく未知の状態で来られる方の中には、

「何よ、このたよんない占い師は」と思われてしまうこともあるようです。

わたしには、未来を予知できるとか、将来が視えるなどの特殊な能力はありません。

ゲストの方の生年月日で導いた命式から運勢を観、手相、人相を観、

それらから想定できる範囲で、ご質問に答えていきます。

命式ではわかりづらい直近の流動的なことに関しては、

タロットカードを引いて、それを読んでお伝えします。

もちろん中にはわからないこともあるので、

その場合はわかりませんとお話しします。

運勢は決まっているけれど、運命は決まっていないとわたしは思っています。

これから起こることが決まっているとは思っていない占い師なのです。

未来を予言するのではなく、持ってらっしゃる運勢を生かして、

これから起こることに対処していってください、とお伝えしたい。

占庭のお客さまの大半の方は、そこのところをよく理解してくださっていて、

その上で、お話しいただけるし、こちらの話も聞いてくださいます。

それはすごく恵まれた、ありがたいことなんですよね。

 

けれども、中には、

占い師ならばこれから起こることがわかるはず。

カードを引けばそこに明確な答えが見えるはず。

とお考えの方もおられます。

そういったお考えの方には、わたしの占いはもの足りなく、

ガッカリなさることもあると思います。

 

「占い」「占い師」に対していろんな考えの方がいらして、

いろんなスタンスで占っている占い師がいるので、

そこに齟齬があると残念なことになってしまいます。

そこを占う前にお互い確認できたらいいのになあ、と思うのですが難しい。

どうしたらよいのでしょうねー

せっかく機会をいただいてもご満足いただけないのは大変申し訳ないので、

ともかく、このブログやツイッターで繰り返しお伝えしていくことにいたしますね。

 

改めて考えると、こんな未熟な占い師にもかかわらず、

リピートしてくださる方、お友だちにご紹介してくださる方など、

なんてありがたいことだろうかと感謝でいっぱいになります。

 

わたしは「黙って座ればピタリと当たる!」型の占い師ではありません。

けれども、そうでないことを引け目に感じているかというと、

実のところそうでもないんです。

わたしの占いにだっていいところもあるんちゃうかな、

くらいの厚かましさもあります。

それっぽっちの自負すらなくお店をやっていたなら失礼でしょ、

という気持ちでもあります。

ただ、それが万人にそう思っていただけるものではないということは、

重々わかっています。

ゲストの方と占い師の相性みたいなものも、きっとあるのでしょう。

できればいい関係を結び、よろこんでいただきたい、

という思いは強く強くあります。

そのためには、これからも精進しなければ! 

と胸に誓う1月です。

抱負

みなさま、明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

いまごろ?

ですよね。

自分でもそう思います。1月ももう8日の夜ですもの。

ご挨拶が大変遅くなり失礼いたしました。

 

お正月は元旦に岡山へと向かいまして、2日、3日とクレド岡山さんで、

新春初占いしてきました。

こちらは2年目ですが、今年もたくさんのお客さまで2日間満員御礼。

友人知人も顔を見せてくれて、楽しい二日間でした。

新年早々おいでくださったみなさま、クレド岡山のみなさま、

ほんとうにありがとうございました!

 

半数くらいは、昨年もいらしてくださったお客さまで、

その時にお聴きした話を思い出したりもして、うれしたのしいひと時でした。

「夏も来てください」「来年も来てほしい」と言ってくださる方もあり、

なんとありがたいことか。

そんな風に思っていただけるのは本当にうれしいのですが、

みなさん全員がそう感じてはいらっしゃらなかったろうなあ、とも思うのです。

「なんだ、また去年と同じ占い師かあ」

と思いながらも、とりあえず今年の運勢を聞いておかないと、

って方もきっといらしたでしょう。

イベント占いは、一期一会です。

リピートしたい方は、少数かもしれません。

ですので、やさしい言葉をかけていただいてうれしかったのですが、

心のどこかで、去年と同じ占い師でよかったですか?

という気持ちにもなりました。

 

おひとり15分の占いだったのですが、予約はすぐにいっぱいになり、

時間が合わずにあきらめてお帰りになった方や、

一旦お家に戻って、出直して来られた方もありました。

できれば複数の占い師がいて、お客さまが選べたらよかったのになあ、

と思ってしまったりもしますが、それは企画されるほうのご都合もありますし。

 

6(土)から占庭は通常営業に戻りました。

新年を迎えて、今年はどんな年? どんなことに気をつけたらいい?

と、特に悩みがなくても訊ねに来てくださるリピーターさんや、

挨拶がてら顔を見せてくださる方などが続き、賑やかです。

ご依頼が混み合い、メール鑑定に少しお時間をいただいたりもして、

申し訳ありません。

できるだけ早くお返事いたしますね。

 

昨年の抱負は「そこそこ気前よく生きよう」だったので、

今年は「もっと気前よく生きよう」にします。

「気前よく」と思うことで、あんまりケチケチはできなくなるもんで。

すると、なんだかちまちま考えることが少し減ったような気もするんですよ。

迷った時の判断基準を「気前よく」にすると勢いがつくらしく、

「これでヨシ!」と思って、さっさと前を向ける作用もあるみたい。

もちろん「気前よく」は「身の丈からはみ出さない気前よく」なので、

ええカッコをするのではないんですよ。

よし。

今年も、ええカッコ未満の気前よくで、一年過ごしていくことにしよ。

こんなわたくしですが、これからもよろしくお願いいたします。