京都 四条高倉の占庭から

祝・しいたけさん「あさイチ」ご出演&「新社会人のみなさんへ」again

今朝のNHK「あさイチ」の占い特集に、しいたけ占いのしいたけさんがご出演。

密着取材もあったとお聞きして、

 えっ! ついに顔出し!? 

と一瞬思ったんですが、それはないなー と。

じゃあ、どういうカタチで出られるのかしら? 

とたのしみにしていました。(え、そっち?)

 

すると「しいたけ占い12星座の蜜と毒」のイラストを3D化したお人形にし、

声だけは生声、という登場の仕方でありました。

そのお人形が実によくできていてですねぇ。

あれ、お金かかってるだろうなー

どこが作ったんやろ。

NHK? 出版社? しいたけさんの自腹? 自腹なら経費で落とせそうだなあ。

とそんな下世話なことを考えながらたのしく拝見しました。

 

司会者やゲストからの質問に、その場で答えてらしたんですが、

よくあるコメンテーターのように、カメラの前で喋るほうが、

実は何倍もラクなんだろうなあ、と思いましたね。

顔が出ていれば視聴者は、その表情や身振り手振りからの情報も得られるので、

おっしゃりたいことを正しく理解しやすくなるんですよ。

だけど、あの表情のないお人形では、声に集中するしかなくて。

そうすると言葉と声のトーンなどの情報に限られてしまい、

まんま「言葉勝負」ってことになり、結構やりにくかったんじゃないでしょうかねー

いかな天才的な文章力のあるしいたけさんをもってしても、

それはやっぱちょっと不利ではないの? 

と、なんか勝手に親戚のおばちゃんみたいなキモチで要らん心配をしてしまったり。

 

けれども、しいたけさんの個性はちゃーんと出ていたので、ひと安心。

(だからおばちゃんじゃないってば)

 

 

さて、4月も2週目を迎えましたね。

新生活を始められた方も多いと思います。

毎年、この時期、思うことは同じなので、昨年に書いたことを

新社会人の方にお読みいただけるとうれしいなと思い、againしておきます。

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

  

緊張感がほどけてくる頃は、うっかり体調を崩したりしがちです。

平日もできるだけ睡眠を確保し、休日にはしっかり休養してくださいね。

飛ばさず、自分らしく、の、精一杯で今週もがんばりましょう。

名古屋へ遠足

本日は4月5日ということで、ブログを更新しておかないと。

4年前のこの日、西陣にあった店舗から現在のところへ移転オープンしました。

四条高倉のこの店舗での営業は今日から5年目に入るということです。

こうして、維持していけているのは奇跡みたいなもので、

ひとえに応援してくださるみなさまのおかげです。

ありがとうございます。

これからも精進します。

 

だからというわけではないのですが、今朝はお隣の大丸京都店7階にある

ふたば書房さんで開催されている「世界のカードフェア」に寄り、

新しいタロットカードを買ってきました。

絵柄の雰囲気も色合いもやわらかくて、いい感じ。

いままで、いろいろなタロットカードを買ってみましたが、

今回のカードがいちばんのお気に入りです。

どうぞよろしくね、というキモチ。

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さて、臨時休業させていただきました一昨日は、夫の所用につき合って、

名古屋へ行ってきました。

で、初めて、熱田神宮へお参りしてきたのですが、

由緒正しい立派な神社でありながら、なんだかとてもフレンドリーな感じのする、

おおらかにぱあっと開いた雰囲気の、リラックスできる場でありました。

 

本宮の横手から、裏側に向かって伸びる「こころの小径」を歩いていると、

水場がありましてね。

「お清水」と書かれた立て看板には、このような説明が。

 

湧き水の中にある苔むした石は享禄の古図(1529年頃)にも描かれている楊貴妃の石塔の一部との説もある 

三度水をかけて祈願すると願い事がかなうとか

この水で肌を洗えば綺麗になるといわれている

 

傍には柄杓が立て掛けられていて、これであの中央部の石をめがけて

水をすくって掛けよ、ということらしい。

うむ。

せっかくなので、これはやらねば。

と、柄杓を手にしたものの、たちまち頭に思い浮かぶ願い事がなくて。

えっとー えっとー と思うものの、どうしても叶えたい何かが、

いまのわたしにはない、ということがよくわかりました。

なんちゅうありがたく、しあわせなことでしょうかね。

結局は、家族仲よく健康で、というところに落ち着くわけですけれども。

 

でもこれ、三度掛けなさい、ってことなんですけど、

石に命中するのが三度なのか、めがけて水を掛けるのが三度なのかが、

ハッキリしないんですよねぇ。

どうなんやろなあ・・・・とわからないままに手を合わせてきました。

 

そして、おみくじを引いたら、なんと、わたしと夫の番号が同じ。

どうも今年の運勢、夫とわたしは一蓮托生のようです。

 

夕方からは別行動になり、わたしは名古屋在住の知人と晩餐。

おいしいお店に詳しい方なので、今回も安心してお任せです。

が、新しくできたという名古屋駅のKITTEがみつからない・・・・

というモタモタはあったものの、待ち合わせ時刻までにはなんとか

たどり着けました。

 

「鶏だしおでん さもん」はかなりの人気店らしく、

予約してくださっていなければ入れなかったかも。

車だったので、ビールが飲めなかったのは残念でしたが、

メニューが幅広く、ユニークで、どれもおいしく大満足でしたよ。

「ふたりで半分ずつにして、いろいろ食べたほうがいい。

 おいしいものがいっぱいある」

という留学生っぽい店員さんのアドバイス通りにしたのですが、

おでんだねのひとつひとつが、実にダイナミックな大きさで提供されるので、

ほんまにそうしてよかったです。

日本語はたどたどしいけれど、ハキハキ、キビキビしていて、

要所要所で的確な助言をくれるデキる店員さんに感心してしまいました。

すばらしー

お味、盛り付け、雰囲気、料理人、スタッフと、欠点のないお店で、

そら人気出るわ~ と納得のお店でした。オススメです。

 

名古屋駅周辺は新しいビルが建ったり、建て直されたりしているようで、

なんだかもうピカピカです。

知らない街を運転したり、歩いたり、というのは楽しいですね。

また彼女の案内で「名古屋めし」探索に行きたいなあ。

という日帰り遠足の楽しい一日でした。

「不完全な恋」again

お客さまとお話ししていて、ライブやフェスに行くのが好き、

という方には、いつも、

 どんな音楽を聴いているの?

 誰のファン?

と訊ねます。

これは占い的な意味はなく、まったくのわたしの興味から。

 

ジャニーズやK-POPの人気はやはり根強いですね。

ファンの年齢層が広いというのが強みなんでしょうねー

意外なところでは、30~40年前の和ポップスや和ロックなどを

演っている若い人のバンドがあるんだそうで。

「昭和の音楽は、いい曲があるんですよね~」

とおっしゃっていました。

 

そうかー

わたしのようにどっぷりと昭和に生まれ育った人間には、

30~40年前の曲は過ぎ去った「昔」のもので古くなったイメージなわけですが、

若い人にとっては、生まれる前のもので「初耳」なんですよね。

あれです。

ファッションと同じで、一周回って新しい、ってやつでしょうか。

平成の時代に生まれ育った人たちには、肌感覚のない昭和という時代に、

ノスタルジーを感じたりするのかもしれませんね。

現実に生きていた者とは違う、ノスタルジックなイメージを抱く、というか。

 

思えば昭和の人間は、大正時代にロマンを感じたりもしたわけで、

次の元号が何になるかわかりませんが、その時代の人はまた、

平成という時代に何らかの思いを抱くようになるのでしょうかね。

 

さて、春休みということで、街中を歩いてらっしゃる方もファミリーや、

年若いカップルが多い、今日この頃です。

ちょうど一年前にも同じようなことを思って書いていたなー

一年、あっと言う間やなー

と思ったところで、今日はそれをagainします。

 

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

去年に比べると、うんと桜も早くて、すでに満開ですね。

半袖Tシャツどころかタンクトップ姿の外国人も見かけます。

今日明日がお花見のピークでしょう。

咲き誇る満開の桜の木を見るよりも、散りゆく一枚一枚の花びらのほうに、

わたしは命を感じるんですよねぇ。

疎水や路肩を埋めていく花びらは、ほんまにうつくしい。

わたしにとっての見頃はこれからです。

春分の日だというのに

早々にソメイヨシノ開花宣言もあったお彼岸なのに、強烈な寒の戻り。

おまけにものすごい風で、一旦気を許した身に寒さがしみ入ります。

でももう、さすがにこの寒さが最終ではないかしら・・・・

と気持ちは春へと逸ってしまうわけですけれどもね。

 

お客さまや知人に、

「知らない人と会って話すって疲れますよね。しんどくないですか?」

とよく訊かれます。

そのたびに、

「いやー それが仕事なんで」

と笑って答えるわけですが、たしかにこれが仕事ではなく、

私的に毎日、初対面の方と会話しなさい、ってことであれば、

そりゃもうクタクタになりそうだなあ、と想像できます。

でもね、それが「占い」のための対面であり、会話であれば、

案外、クタクタにはならないものなんです。

 「お仕事ですから」というプロ意識でくたびれないのではなく、

「話す」ということが、お客さまとの共同作業だからなんだろうな、

と思っています。

 

占い師は、お客さまと「占い」を通して何らかのよい「答え」にたどりつきたい、

という共通の目的をもって、暫時、タッグを組むわけです。

お互いの「理解しようとする努力」と「理解してもらおうという努力」が、

占いにおける「会話」です。

お会いして話をする、というところが出発点なので、

そこをしんどいと思っていては、何も始まらないし、解決への糸口もつかめない、

ということになってしまいます。

 

もちろん、初対面のお客さまとお会いするときは、

「どんな方かなあ?」と思ったりもするし、不安になることだってあります。

けれどもなんせ仕事なもので、そんなことは言うてられないし、

「どんな方かなあ?」が、占い師的好奇心となって勇気を与えてくれもします。

わたしはそれを楽しいと感じるし、まあ、あれです。

詰まるところ、やっぱりこの仕事が好きなんですね。

占い師って、いわゆる儲かる商売ではないですし、好きでないと続けていけません。

好きでやっている仕事であっても、悩んだり、つらいなあと思う日も、

あるにはあるんですよ、当たり前ですけど。

でも、それ以上に楽しいこと、うれしいこと、ありがたいことが、

たっぷりある、ということですね。やめられません。

 

でね、これは占い師だけのことでもないかな、と思うんです。

わざわざ人と会話をするのは、めんどくさいかもしれません。

人間関係を広げていくのは、怖くもあるし、不安だったりもしますよね。

けれども、そこで立ち止まったままでいるのは、もったいないなー

と思うんですよ。

人と関わっていくことで、ややこしいことに巻き込まれたり、

難儀だなあとうんざりしながら、知る真実、なんてのもままあります。

そうしながら知らぬ間に成長していたりもするわけで。

 

今は、SNSマッチングアプリなど、さまざまな出会い方がある時代です。

出会いはさまざまでも、相手を知ること、自分をわかってもらうことの基本は、

やっぱり会って話すところから始まるんじゃないかしら。

なにしろ「会話」っていうくらいですしね。

大事にしたい人との大切なやりとりは、できればメッセージの文章で済ませず、

電話で直接話す、顔を合わせる努力をする、

ってことをおろそかにしたらあかんのですよ。

ええ、気詰りなことであればなおさらに。

こういう便利な世の中だからこそ、手を抜かないのが「気持ち」ってもんでしょ。

わたしの贅沢

いきなりの春も春。

なんてうららかな陽気でしょうか。

一週間後にお彼岸を控えて、ちょっと勇み足なんちゃう?

と季節に問いかけたいような月曜日です。

 

今日は占庭の定休日で、わたくしはヨーガのレッスンに行っていました。

わたしが通っているお教室は、最初に30分余りダンスして、

その後、みっちりスクワットの後、そこから1時間余りをヨーガ、

という2時間強の充実レッスンです。

 

で、ですね、じわ~っと体を曲げたり、伸ばしたりしてるとね、

あちこちの滞りやこわばり、痛み、違和感、不具合、みたいなものが、

言葉少なに訴えてくるので、

 

 ああ、しんどかったよね。

 ここのところ忙しくて、酷使してたよね。ごめん、ごめん。

 ちょっと無理させてしもてたなあ。

 

と自分の体でありながら認知していなかったこと、

薄々わかっていながらスルーしていた部分に気がつきます。

 

そこで超当たり前なことにハッとしたりするんですよ。

 

 わたしの体も心もひとつしかない。

 そしてこれはどちらもわたしのものだ。

 

ということとかに。

だれよりも自分が労わらねばならず、だれよりも愛しんでやらねばなりません。

それをするりと忘れてたことに気づかされるわけです。

 

家族のため、恋人のため、仕事のため、スケジュールのためなどに、

無意識に自分を置き去りにしたり、ないがしろにしてしまうことは、

実はとても多いことだと思うのです。

そして、それで気力や生活が充実することだってあるわけで、

その水面下の無理や疲労にはなかなか気づきません。

それらが積もり積もって、心身に不調を来してしまうまでは。

 

ヨーガのよいところは、自分の心や体と対話できる、ということだと思っています。

わたしのやり方はですね、

まず体の隅々まで届くような呼吸をしていきます。

そして時間をかけ、ゆっくりと体を折ったり、曲げたり、伸ばしたりしつつ、

しんどい部分にぶつかったら、そこを撫でさするような気持ちで労わります。

「そかそか、ここがつらかったんやね」

と話しかけるように。

そうしてゆるゆるほぐしながら、

 ああ、気持ちいいなあ~ 

と心と体が思わず声を漏らすようにもっていけたなら、もうオッケー。

カッコいい形になっていなくても、不完全でもいいんです。

自分の体に問いかけながら、できる範囲でやっていれば。

あの人みたいに、素敵なポーズを決めたい、とかは考えなくてヨシ。

 

そうこうしていると、どれだけ肩に力を入れて過ごしていたか、

息を詰めた毎日であったか、が浮かび上がってくるんですねぇ。

で、ムダに入っている力を抜いて、できるだけいつも通りの

フラットな自分へ返っていくよういざないます。

 

それらを誰の手も借りず、自分自身でできる、

というところがヨーガのえらいところだと思うんですよねー

心身を一旦、バラバラの部品に分解してしまって、

またそれらをあるべき場所に戻して組み立てていくような作業を

レッスンの時間内でやっているような感じでしょうか。

 

週に一度、2時間余りを自分の心身のためだけに使うなんて、

すごーく贅沢なこと。

それをさせてもらえているいまをほんとにありがたく思っています。

人間関係の風通しと 受け容れるキャパの問題

なんだか急に春めいてポカポカ陽気になったと思ったら、

今日はまた冬に逆戻り。

何をどれくらい着ておけばよいのか迷いますね。

季節の変わり目はいつもそんな感じで、オロオロしてしまいます。

 

しばらく前に、カードを伏せておきたい人と、躊躇なくオープンにされる方がある、

ってことを書いたのですが、その続編です。

 

カードを伏せておきたいかどうかは、手相にもよく出ます。

いわゆる秘密主義だったり、相手によって心の開け具合を調整する人は、

感情線が閉じてしまっている場合が多いのです。

要するに、人間関係の窓やドアがキッチリ閉められた状態で、

スースーと風が通らなくなっている様子だと想像してみてください。

 

「Aさんにはここまで話しても大丈夫だけど、Bさんにはやめとこう」

というように、非常に用心深い人づき合いをしてらっしゃる。

なかなか自分の「素」を出していくことができず、心を開くのが苦手。

そもそも、心を開くってどうやって?

という方も少なからずおられます。

 

そういう方に、

とにかくオープンになりましょう! 

と言ったって、簡単にはいきません。

それに、

なぜオープンにする必要があるの? 

ってことですよね。

 

人間関係を閉じると、余計な傷を受けること、与えることが激減します。

ややこしいことに巻き込まれることも、ね。

 

「もう誰も傷つけたくないし、不毛に傷つきたくもないの」

という気持ちになってしまうことがあるのも、よくわかります。

けれども、そうして過ごしていると、無意識の内に、

助けてくれる人をも拒絶することになり、

また、誰かを助けてあげられる機会も喪うことになるんですよね。

ラクになったつもりが、実はとても生きにくくなってしまっていた、

ということにもなりかねません。

どうしたって、人間は誰かと関わりながら生きていく生き物であり、

社会のなかで孤立してしまうのは、デメリットの多いことです。

 

カードを伏せておきたい人の手相を観ていて不思議に思うのは、

「ひとを受け容れるキャパ」自体は大きい人が多い、ということなんです。

これだけ、ひとを受け容れられる素地があるのに、なぜ?

と思わずにいられません。

よほどつらい目に遭いはったのかなあ。

ひとを信じて裏切られるのはもうたくさん、ってお気持ちなのかもなあ。

と思ったりするのですが、それならばなおのこと、心を開いていっていただきたい。

もうね、ガッチリ受け止めてしまったからには、最後まで責任をもたねば、

とか思わなくていいんです。

さらーっと受け容れて、

「あ、違うな」「もうしんどいな」

と感じたらさっさと手放して、さらーっと流していけばいいんです。

手にしたら、ずうっと掴んでおかねばならないわけではありません。

責任を持って、面倒見続ける義理もないのです。

人間関係って、とても流動的なもの。

固定的なものだと考えてしまうと、裏切れないとか裏切られたくないとか、

思ってしまって息苦しくなってしまいます。

そこで「受け容れて、流す」方式をマスターされると、ぐっとラクになるはずです。

 

では、ひとを受け容れるキャパが狭い方はどうなのか?

その方の場合は、受け容れる間口がせばまってらっしゃるだけでなく、

容量が小さいわけですから、その容量に合わせた人間関係でよいのです。

それは劣っているわけでも、だめなことでもありません。

小さな人間関係でも充実していれば、とても豊かになれるので、

敢えてムリはなさらなくていいと思います。

キャパ自体が大きければ立派というものでもないですしね。

 

けれど、その場合も、風通しはあったほうがいいに決まっているので、

なるべく、周りの人のいいところを心の中で認めてあげる練習をなさってください。

口に出して伝えなくていいし、イヤなところは「そういうところキライだけどね」

と、それも心の中で呟いておいてOKです。

少しずつ、いいところを認めていると、締め切っていたドアや窓に、隙間ができ、

すうっと新しい風が抜けていくようになります。

それはたいそう気持ちのよいものですよ。

事実は小説より奇なことがいっぱい

長年、占い師をやっていると、いろんな方のいろんなお話を聴きます。

「事実は小説より奇なり」という言葉があるように、

信じられないようなことって、まま、あるんですよねぇ。

起こった事象だけを切り取れば、ひどくドラマチックだし、

波乱万丈ぶりなどは、そのまま映画やドラマになりそうに思う方も大勢おられます。

 

けれども、小説より奇なるものは、映画やドラマにはなりにくい。

というか、しにくいんだと思います。

あまりにも突飛で、逆にリアリティがなさすぎて、

「ありえへん」

と違和感を抱かれてしまうんでしょうね。

 

わたしも自分自身の越し方を振り返ってみれば、

ホントに呆れるようなウソみたいなことが、たくさんありました。

他人に話したら「なんですかそれ」って俄かに信じてもらえないようなね。

その、とんでもない状況下にある時って、悲劇のヒロイン的な気分なのか、

というと、そんなことはまったくないんですよ。

なにしろ現実なので、さあ、これをどうしていかねばならないっていうのさ?的な

とんでもなさを回避できなかった現実を目の前にして、心底うんざりし、

ひたすら途方に暮れるだけで。

ヒロインの気分にひたってる余裕なんてないんですよねー

だから、そんな時、占いに行ってみよう、なんて気にもならない。

そういうことができるのは、周囲の人だけで、当事者は、

しばしボーゼンとしてしまうものです。

 

ですので、占い師として驚くような出来事のお話をお聴きするのは、

片付いた過去の話であることが多いです。

まあ、それでもじゅうぶんビックリしてしまうんですけれどね。

もしくは、ボーゼンからやや立ち直り、今後について建設的に考えられるように

なってきつつある回復期の方のお話とか。

こちらの場合は、その方の大きな運勢的なものと、現在の運気、

そしてご自身の希望・要望と併せて善後策を練っていくことになります。

よくぞこのタイミングで来てくださいました! と思えることも多い。

それは、いま、この運気を知ってもらえてよかった! 

と感じられる時がよくあるからです。

 

きっとご自身も方向性に不安や迷いがあり、決断しにくい時に、

じゃあ、占い的にはどうなのかしら? と思いついてくださるのでしょう。

そこはかとない不安が、気のせいの場合だってあるわけですが、

本能的に危機を知らせている場合もあります。

そこを占い師に訊ねてみることで、迷いが吹っ切れたり、安心できたり、

背中を押してもらう、もしくは考え直す機会になったり。

占いで問題を解決したり、状況を変えたりできるほどの力を

わたしは持ってはいませんが、現状と、お気持ちの整理整頓のお手伝い、

今後、目指したい方向はどこなのか?

などは、一緒に探っていけると思っています。

 

と書いてみたものの、さて自分はどうだったか? と考えると、

占いフリークだったくせに、肝心な時は、占ってもらってなかったかも。

え、じゃあ、何を占ってもらってたんだろ?

恋の行方、将来の仕事、まだ見ぬ遠い未来の運勢、とかかしら。

 

なんや~ 

えらいザックリしたものばっかり。

わたしにとって、占ってもらうってことは、

悩みありきじゃなかったのかもしれないですねぇ。

占いを活用するというよりも、楽しいから、という気持ちで。

今になってみれば、転職の時期などに、ちゃんと観てもらっておけばよかったのにー

と、占い師なればこそ思ったりもするわけですけれど。