京都 四条高倉の占庭から

ご褒美

真夜中から未明にかけ、台風が通り過ぎていきました。

自宅周辺は、雨はそれほどひどくなかったのですが、かなりの暴風で、

その音がすごくて眠れないほどでした。

東から西へと移動する台風なんて初めて。

なんだかすごく違和感があります。

それだけ、お天気は西から変わっていくもの、と刷り込まれてるってことですね。

 

苗場ではちょうど、FUJI ROCK FESTIVAL が開催されてるんですけど、

台風が直撃したわけではないのですが、大嵐になっていたようで、

テントが壊れたり、飛んだり、浸水したりで大変なことになっていたみたいです。

先日の豪雨で、京都大作戦も中止になってしまいましたし、

野外フェスはほんまにお天気頼み。

それが醍醐味でもあるのかもしれませんが、大嵐ではつらすぎますね。

 

台風はいまも西へと進んでいます。

岡山に妹がいるのですが、思ったより静かな様子だということです。

何もないときであれば、これくらいの規模の台風は心配ないのかもしれませんが、

あの豪雨災害の後ですしね。用心の上にも用心をしておかなければ。

 

そんな台風前夜の昨日、うれしいことがありました。

息子が大学でバレーをしていた時の同期の子の結婚式が京都であり、

久し振りに集まったから、ということで、占庭の空き時間にちょこっと、

5人が顔を見せに寄ってくれたんです。

31歳はもう「男の子」とは呼んじゃいけないのかもしれませんが、

9年か、10年振りくらいに会った子たちは、やっぱりかわいくて。

面影があるというよりは、むしろ、あの頃のまんま、って感じでした。

次のお客さまが来られるまでのすき間時間だったので、

大急ぎでそれぞれの近況なんかを聞きまくりました。

時間があれば、ひとりずつ手相を観たり、カード引いたりもできたのですが、

そういう日に限って、たまたま忙しいんですよねぇ。

残念でした。せっかく来てくれたというのに。

 

わたしは教育ママではなかったのですが、スポ根ママみたいなところはあって、

試合を見に行くのが大好きだったんです。

中高大と、ずっとバレー部だった息子の試合は、都合がつく限り、

どこへでも行っていました。

なので、それぞれのチームの同級生は言うに及ばず、先輩、後輩の子たちの名前も、

ほぼみんなわかります。

ずっと試合を見に行っていると、どの子もこの子もかわいくなってきて、

ウチの子もヨソの子もなくなるんですよ。

チームの子たちが愛おしくてしょうがない。

どんなスポーツ観戦よりも楽しみでした。

 

そんな思いをさせてくれた息子に、とても感謝しています。

それはわたしにとって、しあわせな時間であり、季節でした。

そしてこうしてまた、久し振りにみんなの顔を見られて、どれほどうれしかったか~

 

こういうのをほんとに「ご褒美」っていうんやな、と感じたひとときでありました。

みんな、ありがとうね。

毎日暑い話題ばかり

日本中が灼熱にさらされていますね。

この暑さは「気象災害」にあたるのだそうです。

初耳です。

それだけの異常な暑さということなのでしょう。

けれども、なんかちょっと体が暑さに慣れてきたところもあります。

まだしばらくは続くらしいので、長期戦と覚悟すべし、と

体がギアチェンジしたのかもしれません。

 

今日も40℃近い酷暑のなか、祇園祭の後祭で、山鉾巡行が行われています。

朝、四条大橋を渡ると、前方の四条烏丸の交差点前に、

カメラがずらっと並んでいました。

四条通は交通規制で車も歩行者も通っていません。

このガランとした光景は、こういう時しか見られないものなんですよね。

その四条通の日陰ができる南側の歩道には、巡行を待つ観光客がずらり。

それでも前祭ほどの人出ではなく、ゆっくり見られます。

 

暑いので巡行を見るつもりはなかったのですが、用事でちょっと外へ出たところ、

ちょうど大船鉾がやってきました。

暑そ~~~

f:id:uraniwamiyuki:20180724142015j:plain

 

f:id:uraniwamiyuki:20180724141957j:plain

(相変わらず上手に撮れないスマホ写真)

 

こちらも通りすがりに撮りました。

f:id:uraniwamiyuki:20180724142023j:plain

 

気の毒なほどのよいお天気なんですよねぇ。まぶしい。

 

ニュースで嵐の松本さんや二宮さんが西日本豪雨災害の被災地を訪問して、

愛媛、広島、岡山に五千万円ずつ義援金を渡されたというのを読みました。

すごいですよねぇ。

他にも芸能人や、いわゆる有名人の方たちが、ボランティアに参加されたり、

義援金を送ったりされています。

エラい政治家が視察に行くよりか、ずっと喜ばれると思います。

自分の腹を痛めない税金投入よりか、義援金や作業ボランティアのほうが、

ずっと自発的だし、気持ちが感じられますもんね。

売名行為だとか言う人もいますけれど、くだらない雑音です。

五千万円を読んだ後に、個人での義援金なんて桁が違いすぎて、

なんだか申し訳ないなあ、と夫と話していたんですけれど、

自分たちの気持ちですればいいんじゃないか、ということで、

我が家は縁の深い倉敷市義援金窓口に送ることにしました。

これぽっち、自己満足みたいなもんだなあ、とも思うのですが、

この暑さのなか、心身つらい思いで復旧活動をされている多くの方に、

小さな小さなエールのつもりで送ります。

どうか体調に留意され、この難局を乗り切ってくださいますように。

ガマンせずに泣いちゃってください

昨日、歩いていた大阪駅周辺で、電車のレールが高温になっているので、

遅れや運休が出ている、というアナウンスがさかんに流れていました。

何線がそうなっているのかが聴き取れず、どこかなあ、と思っていたら、

自分が乗って帰るJRの路線がまさにそれ、でした。

快速は鈍行になり、鈍行は運休になっていました。

7月の半ばでこれでは、この先が思いやられます。

あとは家に帰るだけ、という場合はそれほど急ぎませんが、

通勤・通学や、待ち合わせなどのときは、暑さの上に消耗が加わり、

しんどいことですよねぇ。

 

本日の京都は、祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行です。

ここまで灼熱の巡行はちょっとなかったのではないでしょうか。

夕方からは神幸祭

夕方と言えど、まだ日がある内ですから暑さに違いはありません。

関係する方々、観覧のみなさんの健康が心配なほどです。

くれぐれもお気をつけて、と思います。

 

占いに行って、泣いてしまう。

ということは、珍しいことではありません。

占庭でも、泣いてしまわれるお客さまは多いので、ティッシュを置いています。

そのためのティッシュです。

遠慮なくお使いください。

 

たまに、泣きそうになるのをぐっとガマンされる方もおられます。

恥ずかしいとか、カッコ悪いとお感じなのでしょうけれど、

ガマンしなくていいです。

いえ、ガマンしないでください。

 

昔、青春ドラマなんかで「涙は心の汗だ!」みたいなセリフがあって、

クサイよ、こっぱずかしいよ、と思っていましたが、

あれは案外、的を射ていたのではないかと、いまになって考えます。

 

暑いとき、うまく発汗できない人は、熱が体にこもってしまって、

とてもつらいと聞きます。

熱中症にもなりやすい。

泣きたい気持ちを抱えている状態は、もしかしたら心の熱中症みたいな状態なの

かもしれません。

心のなかにこもっているものの正体はいろいろだと思いますが、

その熱を多少なりとも発散させるために、涙が役立つのかもしれない。

「泣くことは、心のデトックスになる」というのもよく聴きますが、

これも同じようなことを指しているのでしょう。

そう考えると「涙は心の汗だ」が、ほんまやなあ~ と思えてきます。

 

誰にも話せなかったことを吐き出して、気が緩んで泣けてくる方、

話している内に、自分がどれだけつらかったのかがわかってきて泣いちゃう方、

悲しみ、怒り、後悔、不安など、涙の理由はそれぞれですが、

泣くことで、よけいにしんどくなってしまった、という方は、

いままでおられませんでした。

それならば、泣きそうになったときに、ガマンは要らないと思うんですよ。

占庭では、わたしとふたりだけです。

泣いたって、誰にも見られません。

どうぞ遠慮なく、涙とともに熱も発散させてお帰りになってくださいね。 

タロットを学ぶ目的

梅雨明けとともに、とんでもない猛暑がやってきています。

被災地の方々のことを思うと、ほんとにまずは体調を崩されませんように、

と祈らずにいられません。

 

明日からの三連休は、京都は祇園祭のハイライトみたいな期間で、

ものすごい人出となります。

こんなこと大きな声では言えませんが、小さいお子さんとかね、

歩行者天国に連れておいでにならないほうがいいです。

大人でもしんどいですし。

まだ、昼間に山や鉾を見て回られて、上にあげてもらったりするほうが、

暑いのは暑いですけれど、楽しいのではないかと思いますよ。

 

占庭ではタロット占いのマンツーマンレッスンを開講しています。

マンツーマンなので、おひとりおひとりのペースでレッスンを進め、

予定のカリキュラム(なんていうほどのもんじゃないですけど)が終了すると、

レッスンも修了となります。

その後、リーディングの練習に通われる方もおられますし、

あとは自分で練習します、という方もいらっしゃいます。

不思議なのは、修了される生徒さんが続くと、

ちょうどまたそのころから、新しい生徒さんが来てくださるようになるんですよね。

なので、レッスンが毎日ぎちぎちに詰まっているということにもならず、

生徒さんが途切れることもなくて、とてもありがたいです。

 

新しくレッスンを始められる方には、

「どうしてタロットを勉強したいと思いはったんですか?」

といつも訊ねます。

「いつか占い師になりたくて」というお答えが多いのですが、

なぜ占い師になりたいのか、の理由はさまざまなんですね。

「歳をとってもできそうな仕事だから」

「副業にしたいから」

という、収入目的の方も多数おられるのですが、

占い師って一部の非常に有名な方を除いては「儲かる」商売ではないので、

おそらくは、ふつうにどこかへお勤めに出られたほうが、

収入としては有効に得られるんじゃないかなあと思います。

とお話しすると、ちょっとガッカリされてしまうのですけれどね。

 

ほかには、

「占いを通して、経験を織り交ぜたアドバイスができれば」

「自分も苦労が多かったので、つらい人を助けてあげたい」

という方もおられます。

他者のために、という動機は素敵なのですが、ちょっと危うさもあります。

 

経験を織り交ぜたアドバイスは両刃です。

タロットカードを引き、たまたま出たそのカードを読んで、

ゲストの方へとお伝えしていくのがタロット占いなのですが、

そこに経験からの視点が入ってしまうと、ズレます。

自分で感じたことをゲストのことを思ってアドバイスしようとすると、

リーディングを無意識にそちらへと誘導してしまいがちになるんですね。

カードのリーディング結果を伝え、その後に、ご自分の考えをゲストに話してみる

というのならばいいかな、と思います。

 

「助けてあげたい」はもっと怖い。

占いで誰かを精神的に助けてあげることはできないと思うんですよ。

もっといえば、誰かを助けてあげることは誰にもできないと思っています。

弱ったメンタルを立て直すことができるのは、

やっぱり最終的には自分自身、ということなのだろうと思います。

だから、そこを目的にすると、占う側の人までもつらくなってしまう。

だって、助けてあげられない場合はともに苦悩するしかなくなりますしね。

 

いろんなお話を聴いて、占って、お話しして、その間に、

ゲストの方が、ちょっとラクになりはったり、スッキリされたり、

ということは結構あります。

お店に入って来られた時よりも、お帰りになる時のお顔のほうが晴れていたら、

占い師にとって、こんなにうれしいことはありません。

けれども、それは、結果的にそうなることがある、ということで、

それを目標にして占うのは、ちょっと違うかなと思うのです。

わたしはゲストの方を救ってあげられる力が自分にあるなんて、思っていません。

ちょっとほっとされたり、気を楽にしてもらえたらいいなあ、

とは思っています。

そして、占いっておもしろい、使えるね、と知っていただけるとうれしいです。

 

占いは占う側とゲスト間の相性もあります。

どなたにも満足していただける占いを提供するのは、難しい。

そこの満足確率の高い占い師が、よい占い師という場合もあれば、

確率は低いけれど、一部の人にとっては最良の占い師という場合もあるのでしょう。

けどまあ、それらも結果的にそうなる、というわけで、

詰まるところ、誠心誠意占って、お客さまに託す、に尽きるんじゃないでしょうか。

自然の脅威

先日、関東が梅雨明けしたらしい、とブログに書いた後に、

東海から九州に至る広範囲で、信じられない豪雨が続き、

各所に甚大な被害が出ています。

被害に遭われたみなさまのお気持ちを考えると、胸が痛いです。

梅雨前線の雨で、こんなひどいことになるとは、想像もできませんでした。

 

占庭のあります京都も、桂川や鴨川に氾濫の危険が差し迫り、

近畿の交通網も大きな影響が出ました。

けれども、堤防が決壊するような大きな災害には至らず、ありがたいことでした。

 

わたしは以前、40年倉敷市に住んでいましたので、

ニュースやツイッターで流れてくる真備の惨状に唖然とするばかりで。

わたしが住んでいたのは、倉敷でも南端の海に近い地域だったのですが、

十数年前に倉敷市編入合併された真備町は、反対の北端の地域です。

水島臨海工業地帯で働く方も多く、南北へ延びる高梁川の土手の道を

朝夕、たくさんの車が行き交っていました。

それはそれは気持ちのいい道なんですよ。

わたしも何度となく車で走ったとこのある、あののどかな風景が・・・・

近くに住む友人の無事は確認できたのですが、

いまはもう疎遠になってしまった、かつて職場で一緒だった人たちの顔が、

浮かびはすれど、連絡の取りようもなくて。

広島も、愛媛も、島根も、土砂崩れや洪水で大変な被害が出ています。

元の生活に戻れるのは、先になってしまうと思いますが、

全国からの支援も受けながら、少しずつ元気を取り戻していただければ、

と思います。

暑さが厳しくもなってきているので、どうか体調を崩されませんように。

 

地震や洪水など、天変地異が多すぎますね。

備えをしておくことと、いざという時の早めの避難は、

心しておかないとと思います。

 

そして、災害時の情報の取り扱いについて、今回もいろいろと考えさせられました。

拡散してよい情報、自重すべき情報、の判断って難しいですね。

よかれと思って拡散して、それが逆効果になる場合だってあるので、

善意であっても、結果的にはよいことにつながっていないことも多いみたいで。

情報を受け取る側も、発信する側も、そのあたりについては慎重な判断が必要、

ということも痛感しました。

 

豪雨の後、梅雨明けし、真夏の陽射しが厳しい京都ですが、

今日から祇園祭の鉾建てが始まっています。

朝、四条大橋を渡るときに、注連縄を渡した笹が設えてあり、

ああ、神輿洗の水の汲み上げなんやな、とわかるくらいには、

わたしも祇園祭に慣れてきました。

四条大橋から汲み上げられた鴨川の水は祓いを受け、

今日の夕刻に行われる、神輿洗に用いる神用水となるのです。

今週末からは宵々々山、宵々山、宵山と、三連休、すごい人出になるでしょう。

一週間後は、山鉾巡行です。

京都だけでなく、日本中を鎮めていただきたいと祈る思いです。

耳ちくわ

関東はもう梅雨明けしたかも、ということらしいですね。

入梅が早かったので、明けるのも早かったんでしょうか。

長い夏になりそうですね。

京都は7月1日から一か月間、祇園祭で、八坂神社の神事・行事が続きます。

毎年、山鉾巡航のころに梅雨が明けてるかどうか、ってところなのですが、

今年はもうすっかり明けて、夏の陽射しが強烈なのではないかと思います。

その分、蒸し暑さはマシかもしれませんけれど。

 

前々回のブログで、聞きたくない話を聞かねばならない時は、

心に空っぽのバケツを下げて行くというのもひとつの手です、

ということを書きました。

同じように「耳ちくわ」も使っていただけたらな、と思うのです。

ちくわの穴は素通しなので、話しを素通りさせよ、という意味ですが、

もしかしたら「耳ちくわ」は関西特有の言い回しかもしれません。

「耳ちくわやで」と言われたら、

いちいち気にせんと、聞き流しておくんやで、

ということです。

 

八つ当たりのお説教や、愚痴、繰り言などをそこに居て、聞かざるを得ない時、

しかも、聞き流すことが一番よい対処法である場合、耳ちくわは有効です。

コツがあります。

耳を覆いたいけれど、それはできないので、

「耳ちくわ、耳ちくわ」と唱えながらやり過ごす、というのではないんです。

それだと全然肩の力が抜けないし、なんだか苦行に近い。

想像するんですよ。

文字通り、自分の耳がちくわになっているところを。

右の耳の穴、左の耳の穴、どちらからも焼き目のついたちくわが

ちょこっと飛び出している図を想像しましょう。

両の耳は、頭の中でつながって1本になっている、長~いちくわ。

右から入ってきた話は、白くてつるつるしたちくわの穴を通過していき、

左からするんと抜けて散り散りばらばらになっていく、と。

 

耳の穴からちくわが飛び出していると考えるだけで、なんかおかしい。

ちょっとちぎって食べてみたいな、とか考えてしまいます。

せっかく、ちくわの穴を滑っていくのですから、話の内容を吟味してはいけません。

それよりか、ちくわです、ちくわ。

わたしの耳からちくわが飛び出てるのよ、ゲラゲラゲラ。

という気持ちになりましょう。

 

それが「耳ちくわ」を発動する際のコツです。

それくらいのくだらなさがいいんですね。

切羽詰まった耳ちくわよりも、ずっといい仕事をしてくれます。

一度、お試しになってみてください。

ぜひ、おもしろがって。

どうぞこのまま

月曜の朝の地震から5日経ちました。

被害に遭われたみなさま、お見舞い申し上げます。

今日の雨もまたつらいことですね。

 

余震が小さく少なくなってきているのはありがたいのですが、

「まだ安心はできない」をずっと胸においておかないといけないって、

消耗するものですね。

自宅は震度6弱のエリアにあるのですが、震源地からはだいぶ離れていたので、

ものすごく揺れはしましたが、倒れたり割れたりしたものは大したことなく、

我が家の周辺は電気・ガス・水道にも問題がなかったので、

被災というほどのものではありませんでした。

いまもまだガスが不通の世帯も数万戸おありですし、

雨漏りで困ってらっしゃるところも多いと思います。

どうかこのまま鎮まってほしいです。

 

身近で大きな地震があったの初めてのことですが、長く関西在住の方には、

あの阪神淡路の震災の記憶が刻まれてらっしゃいます。

今日もお客さまとお話ししていたのですが、

「揺れがあのときのことを思い出させるので、ほんとうにつらい」

と涙ぐんでおられました。

心の傷は癒えたようでも、簡単によみがえってしまうんですよね。

完全に消えてしまうことはないのだと思います。

 

その後、東北の震災があり、熊本もあり、毎日どこかで小さな地震は起きています。

火山活動も活発になっていますし、日本中のどこに住んでいても、

いつどんなことが起こっても不思議ではないのだろうと思います。

 

今回の地震で、いろんなことを考えさせられました。

自分の防災意識を反省もしましたし、災害時の報道のあり方にうんざりもしました。

近所の人と声を掛け合えることのありがたみも。

 

鏡リュウジさんが、災害があった時に「予知していた」とか、

これからの不確かな予言めいたことを発信する占い師を戒めてらっしゃいましたが、

正にそうです。

非常時にそんな情報は、ほんとに一番要らないものです。

ただ不安を広げるだけでしかない。

災害に乗じて占い師がそんな自己顕示をするなんて、やめてほしいです。

 

地震の直後から、家族、親戚、友人、知人、その上にお客さまからも、

安否確認の電話やメールなど、たくさん届きました。

こんなに心配してくださる方があるのかとありがたかったです。

SNSで「無事です」を確認できたり、発信できたりするのはほんとうに便利だな、

と実感しました。

自分の身に降りかからないないとわからないことは、ほんとにいっぱいありますね。

せめて、感じたり、思ったことを忘れないようにしなければ、と思います。