京都 四条高倉の占庭から

視える人

たまにおられますよね。

視える、という方。

ふつうの人には見えないものが視えてしまう。

いわゆる霊視と言われるものですね。

わたしはそういう超能力的なもの、まったくありません。

霊的なものを感じるということも、ほとんどないですね。

ただカンはいいのだろうとは思います。

なんとなくわかってしまう、ということもたまにあるので。

けれどもそれは、ちょっとした占い師的カンであって、

トクベツな能力が備わっているわけではありません。

 

いままで幾人か「視える」という方にお会いしました。

 視ようとせずとも視える方

 視ようとすれば視える方

 なんとなく視えることがあるという方

 祓うことができる方

いろいろです。

どのお人もウソをおっしゃってないのはわかりました。

きっとホントなんだな、って。

やっぱりそういう方は眼がちょっと違いますしね。

 

その中でも、すごいなーという方がおふたりおられました。

(どちらもそれを仕事にはしてらっしゃらない方です)

なので、わたしはそういう能力がある方も、

世の中にはほんとにおられると知っています。

けれども、そういう力が自分にも備わってほしいか?

と訊かれれば、どうかな。

そんな能力があれば、お客さまがどんどん来てくれはって、

大繁盛間違いなしだろうから、そこはいいなあ。

だけど、やっぱり望まないですね。

理性的な観点からは、

そういう特殊能力をコンスタントに、誰に対しても、いつでも発揮できる、

というのはなかなか難しいんじゃないかしら、

と思えるし、本能的には、

そんな怖そうな能力は欲しくない、

と思ってしまいます。

扱いかねるんじゃないか、っていう恐怖心というか。

 

ま、そういう能力というのは、望むと望まないに関わらず、

ある人にはある、っていうものですしね。

たまたまなくてよかったな、と思うことにしときます。