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京都 四条高倉の占庭から

わたしのせい

人間関係で悩んだことないの、

というおめでたい人も稀におられますけれど、なかなかそうはいきません。

家族であろうと、他人であろうと、人間が二人以上になると、

大なり小なり、そこには必ず軋轢とストレスが生まれるもの。

だから、そこここにあるんです。人間関係のいざこざというのは。

 

人間関係の一番厄介なところは、

正しければいいってもんじゃない、

っていうところじゃないかと思います。

AさんとBさんの「正しい」がほぼ同じであれば、まずモメません。

(「正しい」を「正義」としてもいいですよ)

AさんとBさんの「正しい」に齟齬がある場合、

そのどちらもが間違っていない、ということも起こりうるんですね。

そうなると、どちらかが譲らないと、話し合いは決裂するしかない。

もしくは、一旦棚上げして曖昧なまま、しばし放置する。

これも立派な一時的解決法です。

状況は刻々と変化していくもので、人の心だってそう。

必ずただいますぐに白黒つけるのが最も良い策とは言えません。

 

「正しい」と同じくらい困るのが、「悪気がない」ってやつ。

悪気がなかったらいいってもんじゃないんですよねぇ。

そもそも悪気って、あんまり姿を現さないもんでしょ。

見るからに悪気、悪気バレバレなんて、却って悩みませんよね。

悪者決定やもん。

 

「悪気があってやってるんじゃないから・・・・」と言うときは、

不本意だけれど、相手の未熟さを受け容れるしかあるまい、

と思っているわけです。

非常に不本意なんですよ、たぶん。

しぶしぶです。

そうして、オトナは自分なりに納得できるガマンの仕方をしようとするんです。

 

もうひとつよく登場するのが、

「わたしも悪かったから・・・・」です。

わたし「も」、と言っている時点で、相手の方がより悪かったと思っているんです。

けれども、そう思ってガマンしようとする。

そんなことを繰り返していると、

「わたしがこうしなかったのが悪かった」

「わたしが気づかなかったのが悪かった」

「わたしがわかってあげられないのが悪かった」

と、どんどんわたし起因でガマンするクセがついてしまいます。

そう言ってしまうと、なんかスッキリ解決したような気になるんです。

誰も傷つかないし、八方丸く収まる。

と勘違いしてる。

 

いけませんねぇ。

わたしが「わたし」を貶めて、傷つけてどうするんですか。

何も解決なんてしてません。

自分でつけた目に見えない傷は、静かに積もっていきます。

血も出ないし、ひりひりもしないけれど、

魂は確実に傷ついているということ、ほんとはご自身がわかっているはずです。

 

たしかに、自分が悪かった、という場合もありますよ。

けれども、それが口ぐせになってるような人は要注意。

誰かのせいにしないこと、責めないことは立派なことだけれど、

何もかもをそういう決着でごまかしてはダメ。

嫌われようが、周りに迷惑をかけようが、カッコ悪かろうが、

モメでても自分の魂を守ろうとする気概も、忘れないでくださいね。

 

あ、なんか今日はちょっとカッコイイこと書きましたかね、わたし。