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京都 四条高倉の占庭から

女の顔

だいたい40歳くらいになると、顔に出るなあと思うんです。

性格が。

それも特に女性。

 

そんなことを考えてたら、そうや、昔、藤本義一さんが、

『女の顔は請求書』『男の顔は領収書』っていう本を書いてらして、

おもしろかったよなあ~と思い出して、

ちょこっと「女の顔」の方を読んでみたら、やっぱりめっちゃおもしろくて、

ああ、こんなこと朝からしてたらあかん!とあわてて本棚に戻しました。

 

わたしは高校生くらいから、自分の容貌コンプレックスがひどくて、

随分長いこと、そこから抜けられませんでした。

若い頃っていうのは、女性はかわいいか否かで、あらゆる扱いが違ってきます。

そりゃもう、あからさまに。

もちろんそれも一長一短あるわけですけれど、

どういうたって、かわいい方が何かと有利。

ええ、ええ、だいぶソンしてきましたとも。

でも、どんなに美しい人でも、年齢には逆らえません。

経年劣化はだれにも等しく訪れます。

 

そこで若かったワタクシは、ふと思ったわけです。

「オバサンになれば十把ひとからげでオバサン枠だ。

 そこでやっと同じ土俵に立てるんちゃう?

 勝負はそれからだ!」って。

ああ、早く40歳くらいになりたい~

と願っていた若かりし頃。

 

30歳くらいの頃かなあ。

小説の中で、主人公が女の先生に言われた言葉がずうっと記憶に残っていて。

「40歳になったとき、あなた自身がまあまあ幸福だと思えたなら、

 あなたの人生は概ねアタリだということね」

というようなお話で。

それを読んだとき、

 そうか、いままではなかなか過酷であったけれども、

 40になったときには、まあまあ幸せでありたいなあ。

と思ったのでした。

同じ頃に、デザイナーの稲葉賀恵さんが雑誌で、

「いつかヨシエ・イナバを着られるようになりたい」

 そう思ってもらえるブランドでありたい。

と話してはるのを読んで、

 よしわかった!40歳を目標に!

と単純に、でも強く、心に誓ったのでありました。

 

で、40になったときどうだったか?

たぶん、客観的に見たら、全然幸福そうではなかったと思うんですけど、

わたし自身は、まったく不幸だとは感じてなかったんですね。

そりゃあ、上を見れば、頂上が見えないほど果てしなく上はあり、

下は、まあすぐそこ、みたいな状況ではありましたけれど、

それでも、元々自分に甘いわたしは、

自分なりにベストを尽くしてきたんちゃうか、っていう思いもあって、

この40歳はOKや、って思えたんですね。

40歳でそう思えた自分が、すごくうれしかったです。

で、そう思うと、なぜだか、

きっとこれから、もっとしあわせがやってきそう!

という気にもなって、なんともおめでたい40歳でした。

 

そうそう、ヨシエ・イナバのお洋服はというと、

50代も半ばになりましたが、まだ全然、手が届きません。

が、それもヨシです。

いつかそんな日が来るかもしれないという希望をもっていられますからね。

 

同窓会なんかに行きますと、かつて美しかった人は、

やっぱりいまでも美しい人が多いんですよね。

でも、イケズな人は、ケンのある美人になってはったり、

高慢な人は見下す目つきがバレバレやったりで、

やっぱり歳とると出るんやなあ、性格や根性が・・・・と思います。

若い内はその若さと輝くばかりの美貌の下に隠れているものが、

ひと歳とったら、じわじわ露わになってくるんですよねぇ。

 

美貌でチヤホヤされている若い人も、いつかはオバサン枠。

いまのチヤホヤはいつまでも続かへんのよ~

かわいくて魅力のある、いい顔のオバサンになりましょね。