京都 四条高倉の占庭から

学校の勉強は役立つ?

学校で習った勉強なんて、社会で役に立たない、

とよく言われますが、まあ大半はそうかな。

教養っていうのは、姿かたちがないですしね。

目に見えて役立つというのはあんまりない。

でも、思わぬところで役立つことがあるんですよねぇ。

 わたしは数年、仕事で手描きPOPを作っていたんですけど、

大きな看板サイズのものを描くときは、

漢字が何文字で、かな文字が何文字かを数えて、

方程式を使って配置していました。

漢字の方を少し大きな枠取りにしておくと収まりがいいんです。

まさか、こんなところで数学が役立つとは思ってなくて、

なんか愉快でしたよ。

 

学校の勉強で何が鬱陶しいって、宿題。

こんな役に立つかわからないようなことをするよりか、

やりたいこと、楽しいことが、いっぱいあるのに・・・・

とだれもが思いますもんね。

ウチの息子も小学生の頃、やっぱり訊いてきました。

どうして宿題はやらないといけないのか?

定番の質問です。

子どもには子どもの理屈があり、あながちそれが的外れでない、

ってことは多々ありました。

わたしは別に、子どもがしたくなければ、せずに行って、

先生に叱られてみるのも悪くないと思っていたんですが、

「しなくていいよ」と言ってしまうのも無責任だし、

「宿題はしなくちゃいけないものなの!」

みたいな問答無用の押し付けは、もっとしたくなかった。

で、ここは正直に大人の理屈で子どもに訴えたほうがよかろう

と思いました。

 

あのね、宿題、めんどくさいよね。

やってもやらなくても大して変わりはないかもしれないし、

あるかもしれない。

したくないからしない!という意思でやらないなら、

それもアリ。

けど、大人になって働くようになったら、

宿題以上にめんどくさくて、理不尽で、

どうでもええようなことやけど、やらないといけないことが、

山のようにあるんよねー

大人になったときに、そういうことで困らないように、

訓練はしといたほうがいいと思うんやなあ。

急にはできないと思うから。

宿題はそういう「いやでもとりあえずやらんとあかんモン」の練習や

と思ってやっとけば、どう?

宿題が役立つかどうかはわからんけど、

その練習は必ず役立つとは思う。

 

そう話しましたら、子どもながらにそこそこ納得してくれたみたいで、

それ以降は、宿題をする、しない、でイライラすることはなくなりました。

きっとガスが抜けたんでしょうね。

オトナになっても、意味だとか、理由だとか、原因だとか、

考えても正解が出てこないことって、ほんまに山ほどありますよねー

正解がない、ってことも多い。

そこを突き詰めて考えることにも、これまた意味があるのかもしれないけど、

グズグズ悩むよりかは、とりあえずやってみたらスッキリするかも。

やらない為の意味探しだったり、理由探しだったりってことも多いでしょ。

やってみて、やっぱり納得いかないからもうやらない、

というのなら、それはかなりスッキリな解決で、それもヨシ。

やってみてまだ悩むなら、そこからまた試行錯誤して、

軌道修正してる内に、まあまあ行くべき正しそうな道が、

見えてきたりするんじゃないでしょうか。

不平不満のイライラは、考えれば考えるほど増します。

どこかで決着をつけて、その渦の中から脱出しないとね。