京都 四条高倉の占庭から

熊本の方へ お見舞い申し上げます

昨夜の大きな地震から、熊本ではまだ強い余震が続いているようで、心配です。

実は、倉敷に住んでいたころ、たいへんたいへんお世話になっていた、

Mさんという方が、ご主人の定年を機に、故郷の熊本へ戻ってられていまして。

それも、今回、震度6強の一番大きな余震があった宇城市にお住まいなので、

もう昨夜から心配で心配で。

けれども、こういうときは、電話を掛けてはいけないものだし、

どういう状況かわからないときに、メールを送っても迷惑だろうか・・・・

と今朝までガマンしていました。

幸いにも、わたしはいままで大きな災害に遭った経験がないので、

被災された方の気持ちがわからないんです。

それどころじゃないのよ!と思うものかもしれないし、

こういうときこそ、連絡で元気が出たり、頼み事ができたりするかもしれない。

 

で、朝になって、ニュースを見てから、ショートメールを送りました。

そしたら、すぐに電話がかかってきて、無事が確認できました。

携帯の着信にMさんの名前が表示されただけで、もう涙があふれてきて、

取った電話に声がなかなか出なくて。

それはMさんの方もそうで、お互い言葉にならず、びーびー泣いてしまいました。

ご夫婦が住んでおられるお家はまだ築10年ほどなので、

倒壊の心配はなかったのですが、中はめちゃくちゃになってしまったそうです。

ご主人の上にタンスが倒れてきて、胸を打ってケガをされているけれど、

なんとか大丈夫な様子でした。

 

けれど、

「怖かった~~~~!!!」という言葉がすべてで。

ほんとに、どんなに怖かったろうかと思います。

そうして自分の家も大変なのに、今朝は町内のお年寄りのお家を回って、

避難の手伝いをしてらしたようで、相変わらずだなあと、

そこはちょっと笑ってしまいました。

ほんとにほんとに、いい人なんです。

 

13歳年上のMさんとは、5年間、同じ職場で働きました。

わたしの息子がまだ2歳になる前から小学校へ上がるまで。

ひとりで子どもを育てていたわたしを不憫に思って、

それはもう身内以上によくしていただきました。

こんなにお世話になった方はいません。

 

息子が小学校入学のとき、Mさんちのお嬢さんの、

もう使わなくなった学習机をもらうことになり、

わたしの白い軽四に載せて、家に持って帰ったのを思い出します。

息子は、組み立て式のシンプルなその机をとても気に入って、

高校卒業まで大事に使っていました。

いま思えば、お下がりの学習机の小学1年生なんて、

それこそ不憫に感じますが、新しいものも欲しがりませんでした。

Mさんご夫婦には、息子もとてもかわいがってもらって、

2歳から大学進学で倉敷を離れるまで、ずうっとお年玉まで頂戴していたほど。

合唱団の発表会にも来てくださったし、

大学に合格したときにはわたしを抱きしめて、

泣きながら一緒に喜んでくださいました。

熊本と大阪に遠く離れてしまって、なかなか会うこともできないけれど、

その恩は、一生忘れられないものです。

 

いい人すぎて貧乏くじを引いてはるようなところのあるご夫婦が、

故郷でこんな災害に遭ってしまわれるなんて、無情なことです

けれど、災害はいつ、どこで、だれに降りかかってくるかわからないもので。

備えをしておかないとと、また改めて思いますね。

どうぞ、早く余震が収まって、水道やガスが復旧され、

ふつうの生活を送れる日々が、早く戻ってきますように。