京都 四条高倉の占庭から

町内会 子ども会 PTA

かつて、ひとりで子育てしていたころ、市営住宅に住んでいました。

収入の少ない人向けのところだったので、家賃は格安ですが、

住んでいる人たちも、いろいろと個性豊かな問題の多い団地でした。

50世帯が3棟、計150世帯をまとめていたのは、

光を放つかのような見事な禿頭の町内会長さんでした。

いつも笑顔で、堂々としていながら気さくで、実によい会長さんでした。

 

町内会、子供会、PTA、どれもその役員など、できれば避けて通りたいものです。

わたしも、そういうめんどくさいことは大嫌い。

なるべく、関わらずに生きていきたいと思っていました。

けれども、住んでいれば町内会の役は順番に回ってきます。

月に一度の集会にも出ねばならず、その集会のお茶出し当番も回ってきます。

分別ゴミの日にゴミステーションに立つ当番も、月イチの草取りも。

夏祭りには揃いの浴衣で盆踊りもせねばなりません。

もうイヤでイヤでしょうがなかったですね。

それでも、会議に出、お茶くみをし、ゴミ当番、草取りも嫌々やっていたら、

周囲の人もよく見えるようになりました。

信用できる人、用心の要る人、よく働かれる人、口だけの人、と。

高齢者世帯の多い団地だったので、わたしなんて超若手です。

その超若手が至らぬなりにマジメにやっていると、感謝されることも多くて。

嫌々やっていたことに感謝されると、なんだか申し訳ない気持ちになったものです。

 

わたしはフルタイムで働いていたし、子どもは学童保育がなかったので、

学校から帰ったら野放しです。

ひとりっ子の息子はあまり友だちとも遊ばず、よくひとりでフラフラしていました。

団地のおばあちゃんとおしゃべりしたり、

近所の公園で見ず知らずのフィリピン人からトマトをもらって食べていたり、

学区外まで歩いていって、迷子になって知らない人に車で送ってもらったり、

いま思えば、よく事故にも事件にも巻き込まれなかったもんですが、

それも持って生まれた強運さかもしれません。

公園で虫捕りをしていて、ハチに刺されたときも、

近所の人が家に連れて行って、薬を塗ってくれ、お昼までご馳走になってたりして。

めんどくさい近所づき合いに助けられることもたくさんあったわけです。

「アンタとこの子、あんなとこを歩いてたで」とか、

ダイエーのフードコートに水筒とお弁当持って行ってお昼を食べてたで」とか、

近所のお年寄り情報で、ビックリしたこともたびたびでした。

 

子ども会もね、ほんとに入りたくなかったんです。

けど、息子が「ぼくもソフトボールしたい」とか言うし、

父親がいない分、そういう体験もした方がいいのかなあ、と、

これも渋々入りました。

苦手なお母さんもいたし、他所の地区の子ども会とのつながりもあるし、

子ども会に入らない家庭も多いので、必然的に役はすぐに回ってきます。

仕事でヘトヘトになって、やっとたどりついた週末の休みに、

廃品回収の手伝いがあったり、イベントがあったり。

心身消耗するわけですよ。

けれど、ここで学んだことはむちゃくちゃ多かったんです。

子どもが、ではなくて、むしろ親のわたしの方が。

 

廃品回収は、子ども会の資金稼ぎなんですが、

ただ、古紙や空き缶を集めて業者へ渡せばいい、というのでもなくて。

足の悪いお年寄りは、古紙をゴミステーションまで出すのが困難です。

それを元気な子どもらが、2階、3階のお家から持って降りる、

それがどれだけ喜ばれることか、わたしは知らなかった。

そして、自分がしたことで喜んでもらえる体験をした子どもが、

どれだけ誇らしく、うれしそうであるかということも。

 

回収場所を軽トラで回って、それを公園に積み上げて、また回って。

そういう作業のときに、ラクをしようとする子どもも大人もいます。

子どもたちは、ちゃんと見ていて、

マジメな大人とズルイ大人がいるということを自然と学習します。

「あんな大人はイヤだなあ」

と思えば、そういう大人にはなりたくないと思うでしょう。

 

子どものトラブル、親のトラブル、そりゃあいろいろありました。

けれど、そのめんどくさいトラブルをどうにかなんとかするのが、

そういう集団活動の一番の学びどころでもあるんですよね。

 

PTA活動だってそうです。

文句を言うくらいなら、自分たちがやった方がマシ、

ということも、やってこそわかります。

地域の情報を得ることができたり、先生の本音が聞けたり、

悪いことばかりじゃないんです。

 

ただね、どれもほんっとに、メンドクサイ!

誰もが避けて通りたいのは当然です。

でも、わたしはどれもやってよかったな、と思っています。

嫌々やったけど、そこで教わったものはたくさんあるし、

子どもも育ててもらいました。

わたしひとりじゃ教えられないことが、たくさんありましたからね。

親の価値観、先生の価値観だけじゃない、

ヨソの大人の一貫性のない価値観に触れるのも、

子どもには、とてもよい刺激になるでしょう。

そこで、子どもは子どもなりに考え、取捨選択もしているのだと思います。

それは「社会」に触れる一歩でもあるんですね。

 

ですので、子育て中のみなさん、ちょうど今時分、

 「役」が当たってうんざりしてるの。なんてアンラッキー。

と思ってはる方もたくさんあると思います。

どうせやらねばならないなら、そこからたくさんのものを得てください。

いい経験だったな、と振り返れる日がきっと来ると思いますよ。