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京都 四条高倉の占庭から

結婚を敬遠する男性目線の意見から考えてみました

よしなしごと 読書

以前、このブログにも書きました、歌人でエッセイストでもある穂村弘さん。

サラリーマンでもあり、長く独身でもあった人で、

恋愛だとか、結婚だとかには非常におよび腰だったので、

結婚されたと知った時は、えええっ!と本気で驚きました。

 

で、今日は穂村さんがまだ独身だったころに書かれた著書から、

恋愛・結婚に関する興味深いくだりをピックアップしてみました。

こんなに否定的だったのになあ~という思いとともにお届けします。

 

まずは『世界音痴』から「恋の三要素」について。 

 

穂村さん曰く、それは <ときめき> <親密さ> <性欲> なのだそうです。


 『このうちふたつが維持できれば、その恋は続く。
  一般的には、時間の経過と共に<ときめき>と<性欲>の値は減少し、

  <親密さ>は増大する。二対一で不利なのである。』


ということらしい。
彼のなかでは、恋した末に結婚しても、<ときめき>と<性欲>の値は、

どんどん減少してしまう。
けれども減った状態の生活を堅持し”それに一生近づかない”ことはできない。
だから、恋はできない。
と、振り出しに戻ってしまうのでした。

この三要素。
<ときめき> <親密さ> <性欲> は、 

「昂揚」「情」「扇情」に置き換えられるんじゃないかと思うんですよ。
彼の言う通り、しぶとく残るのは「情」ですね。
ケッコンすれば、これにシガラミだのカスガイだのが付随してきます。
ますます厄介になり、雁字搦めになります。
コレだけが残り、恋もへったくれもなく日々を送っているヒトビトの

なんと多いことか。
でも、それは決して悪いわけじゃない。
そういう状態は、逃れられないけれど、自ら選んで動かなくてよい。
という、そこそこ心地よいぬるま湯でもあるわけで。

 

次に『もうおうちへかえりましょう』から、

「男と女はわかりあえるか」について。

 

 『テーマそのものが、女性の側からのニーズに基づいたものであって、 

  世の中のほとんどの男性は、そんなことを考えたこともない…』


と断言しています。

女性は”完璧なシンパシー”に対する強い憧れもっているようで、

「男女間の完璧なシンパシー」に対して支払ってもよいと思う対価は、

女性側の平均値がおよそ「命の半分」で、男性側は¥6300くらいであろうと、

彼は推察します。
なので、


 『これではギャップが大きすぎて取引が成立しそうにない。』

 

のだそうです。

これは、目からウロコでした。
男と女は、ホンマに違う生き物なのだなぁ。と素直に納得できました。
きっと「大切なもの」「失いたくないもの」にも、

反対に「どうでもいいもの」にも大きな開きがあるのだろうな。と。

女の価値観で、男の不実をなじるのは間違いなのかもしれません。
しかしだからと言って、すべてを容認する気はさらさらありません。
妥協ではなく、歩み寄る誠意というものくらいは、

要求してもバチはあたらんでしょう。
わからんもん同士が、ともに暮らし、ともに生きていくのですから、

そのくらいの努力は不可欠であろうと思います。お互いに。 

穂村弘さんは、自虐のひとです。
でも、彼はそんなダメな自分のダメな部分を甘受しています。
決して、自分が嫌いではないのです。むしろ好きなのでしょう。
彼はきっと、人つきあいやもろもろのことをソツなくこなせる人になんか、

絶対なりたくないのです。むしろ嫌悪しているのかも。

なので、どんなに一見、悲惨な状況なり性癖を露悪的にぶちまけていても、

「かわいそうに」という気にはなりません。
わっはっはー、うっそー、ありえへんやろーーーと、遠慮なく笑えるのです。


自分にまったく自信がないくせに、自分が好き。
ってひとは、ほんとにいいです。
自信満々でもなく、卑下しながら肯定しているひととは、

こちらもラクにつき合えるんですよねぇ。

結婚して、安心した穂村弘はおもしろくない。
という感想を書いているひともいましたが「ちくま」の連載は毎月おもしろいので、

そんなことないよ、とわたしは思っていますけどねー