京都 四条高倉の占庭から

愛し愛されて生きるのさと小沢健二もうたってたよね

「『想われて結婚する方が幸せ』っていいますよね?」

と、ご自分に言い聞かせるようにおっしゃるお客さまがおられます。多数。

また、

「人は『愛されるより愛する方が幸せ』なんですよね?」という方も。

 

これねー 一概にこっちが幸せなんですよ、とは言えないです。

自分がどれくらい好きな人に想われるのか、っていうところが重要だし、

ちっとも愛されない人をひたすらに愛しても幸せとは言えないだろうし。

一番の問題点は、そうおっしゃっている方が、

そう信じようと無理されているところなんですね。

最初から無理してたら、続きませんよねぇ。結婚生活は。

 

わたしが最初の結婚の失敗から学んだことは、

「愛したり、愛されたりじゃないとダメ」

ということでした。

「愛したり、愛したり」でも「愛されたり、愛されたり」でもダメなんですよね。

それを教えてくれたのは田辺聖子さんの『苺をつぶしながら』でした。

つらい日々を送っていたときに、これを読んで涙が止まりませんでした。

おいおい泣きながら、ああ、そうやったんか、

と憑き物が落ちたような気持ちにもなりました。

わたしはただ愛されたかっただけなんや、って。

そして、

「もう、愛したり、愛したりはやめよう」

と、すうっと心が定まったのでした。

たくさんたくさん読んだ本の中で、一番わたしを変えた本は、

間違いなくこの『苺をつぶしながら』です。

救われました。ほんとうに。

 

結婚に限らず、家庭生活っていうのは、お互い譲り合ったり、

支え合ったりしながら、日常を過ごしていくのが理想です。

あくまで理想。

そこには、傷つけ合ったり、なじり合ったり、なんてことも、

自然発生してくるわけで、そこをまたなんとか修正していくのも、

共同生活のめんどくさい醍醐味とも言えます。

人間関係の軋轢は人を成長させてくれます。

つらかったり、苦しかったりするけれど、

悩んだ分は、たぶん大きくなれるんだと思います。器が。

でも、そこに「愛したり、愛されたり」がなかったら、かなりつらい。

 

人間はひとりでは生きていけないものなので、

男女間に限らず、身近な人と愛し愛されて暮らしたいものですよね。

 

「愛したり」に比重がかかっている方、

「愛されたり」の方が大きい方、いろいろでしょう。

うまくバランスが取れてる関係なんて、神業なのかも。

あっちに傾いたり、こっちに傾いたりするものに翻弄されながらも、

だれかを愛さずにいられないのも人の性。

難儀だけれど、すばらしいとも思うわたしはオプティミストなんやろなあ。

懲りないともいうけれど。