京都 四条高倉の占庭から

生きる意味なんて考えるのは意味がないと思っています

特に就活中の学生さんたちとお話ししていると、

みんな、すごく何かや、誰かのために役に立ちたいと思ってはるんですよね。

自分の持てるものを活かして社会で活躍して、認められもしたいし、

それに見合った報酬も受け取りたい。

それを人は「成功」って呼ぶのでしょうかね。

とにかく「失敗」はしたくない。

失敗はカッコ悪いし、損だし、やり直すのはめんどくさいし、大変だ。

親御さんを安心させたい、喜ばせたい、という人も多いです。

どれも正論だし、間違ってはいません。

 

そういうお話を聴いていて、いつも思うのは、張りつめてるなあ、ってこと。

「こうでないと」と思い詰めてはって、

それで視野を狭めている場合もあるくらいです。

 

こんなことを若い人に言うのは、批判もあるかもしれないですけど、

人間は、誰もが何かを成し遂げるために生まれてきたんじゃないと思いますよ。

昔から、いろんな偉人もおられたし、市井の賢人も数限りなくおられたでしょう。

でも、それは、膨大な数の人間のなかの、ごくごくごくごく一部の人。

99.9999・・・%の人は、ジタバタとすったもんだを繰り返して、

悲しんだり喜んだり、傷ついたり癒されたりして一生を終えたのだと思うのです。

そうして、命が尽きるまで、とにかく命を捨てないで生きる。

それが大命題やと思うんですよねー

というか、それができたらもう、誰もが大したもんやと思うんです。

極端に言えば、生きる意味とか、そんなに真剣に考えなくていい。

受けた命が尽きるまで生きる。

それだけです。

 

その間に、自分がしたいことをする人もあれば、誰かの手伝いをする人もある。

楽しく生きたい人もあれば、困難を乗り越えて大きくなりたい人もいる。

迷惑をかけたり、かけられたり、助けてもらったり、助けさせてもらえたり。

意味なんて考えなくても、自然にそこにあるんじゃないかなあと思います。

みんな何らかの役割を果たしていますよね。

 

こんな風なもんで、向上心がないとか、覇気がないとか言われるわけですけど、

そんなことでわたしは怯みませんよ。ふふふ。

だって、ただ生きて死んでいくだけでも、大仕事ですもん。

 

もちろん、そこに自分なりの付加価値をつけていくのは良いことです。

でも、そのつけ方や、大きさは、人それぞれなんだから、

それはダメだとか、そんなもんじゃつまらないとか他人が言うのは、

お門違いな場合も結構あるんじゃないかと思います。

 

あまりにも前向き、上向きな人たちに押されて、

そうじゃないと乗り遅れる、人生を間違ってしまう、、、、

と焦らなくていいと思いますよ。

若い内にパッと花咲く人もあれば、ゆっくり咲いていく人もあります。

命のある間、自分なりに充実させていけるよう、

好奇心を持って、努力と工夫を続けていれば、

そこそこいいセンまでいけるんじゃないかしら、

とわたしは思っています。