京都 四条高倉の占庭から

自分のお葬式を想像して

先週、ヨーガで瞑想しているとき、なぜか自分のお葬式が浮かんできて、

泣いてしまいそうになりました。

わたしは死ぬことをそれほど怖いとは思っていません。

もう太古の昔から、生まれてきた人が全員経験してきたことなので、

たぶん、自分も順番がきたらできることなのだろうと思っていて。

ただ、痛かったり苦しかったりしたらイヤだなあ、と

それは恐れていますけれど、死ぬこと自体は、

ま、しょうがないよなあと思うほかないですし。

 

で、なんで自分のお葬式を想像して泣きそうになったかというと、

家族がひどく嘆き悲しんでいたからなんです。

 

そうだろうなあ。

わたしが急に死んでしまったら、途方に暮れるだろうなあ、

と思うわたしは、おめでたいのかもしれません。

けどまあ、母、夫、息子、妹、義弟と、

結構、頼りにされているという自負はあるわけで、

死んだら死んだで、みんななんとかしていくに決まってはいるのですが、

その時は、困ったなあ、どうしよう、って思うんじゃないかな、と。

 

頭に浮かんだ自分のお葬式で嘆き悲しんでいる家族の姿を見て、

ああ、なんてかわいそうなんやろう・・・・

って思って、その哀れさに泣きそうになってしまうわたしって、

おめでたいというよりは、しょってるというのかな。

 

それが頭に浮かぶまでは、お金をかけたお葬式なんて考えられなかったし、

家族だけでしめやかに、リーズナブルにしたらええやん、と思ってたんです。

でも、そうしたら、余計に家族は、どっぷり悲しみに取り込まれるんちゃうか、

と、不安になってきたんですね。

それよりかは、たくさんの人にお知らせして、

遠方の方には申し訳ないので、お近くで時間の都合のつく方に来ていただいて、

みんなで、

「みゆきさ~~~~~ん!」

って呼んでもらったり、ちょっと涙ぐんでもらえた方が、

残された家族は、却って、しっかりせねば、と思うんじゃないかしら、と。

家族だけで、家族を喪ったつらさに耐えるよりは、

社会の中のひとりの人間としてのわたしを送る役をする方が、

つらさは目減りするんじゃないかと考えるようになりました。

 

ですので、もし、わたしが急死するようなことがあれば、

SNSでバンバン拡散してもらって、

できるだけたくさんの人においで願いたいです。

祭壇などにお金をかけるのはもったいないので、

そのへんは超チープにやっていただきたい。

けれど、ひっそりしめやかに、ではなく、賑やかなくらいでどうかよろしく。

できれば、なんでもよいので白い花を一輪ご持参いただけると、

とてもうれしいです。

もちろん、お香典などはナシで。

 

だけど、おばあちゃんになってからその日を迎えるのであれば、

親族だけで、静かに、ほっこり送ってもらいたいなあと思います。

 

どうぞ、親族及び、周囲のみなさま方、

そういうことで、よろしくお願いしますね。