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京都 四条高倉の占庭から

子育て論あまた

子育て論とか、子どものしあわせ論とかいうのは、

そりゃあもう、掃いて捨てるほど出版されています。

そもそも、家庭の事情やら、経済状況やら、住環境、親の個性、子の個性、

その他もろもろ、個々の実情があるのだから、

「こういう子育てがよろしい」という正解なんて、あるはずもなく。

どんな風に育つのがよいのか、どう育てるのがよいのか。

良しとする考え方も千差万別でしょう。

 

昔、清水義範さんが自著『幸せになる力』について、こう語っておられました。

 

「親は、自分の子に幸せになってほしいはずなのである。

 人が幸せを掴むために必要なのが、学力といい学歴だけだなんて、

 とんでもなく視野の狭い考えである。 

 子どもにあってほしいのは、幸せになる力である。

 たとえばそのひとつが、自分に自信が持てて、自分を好きでいられる、

 というような生きる上での力だ。

 学力なんかより、そういう力を子に持たせたいではないか。 

 うまく社会の中で生きていく力もほしい。

 障害にぶつかった時に、それを乗り越える力もほしい。

 人間はひとりひとり別物なんだ、とわかっている想像力もほしい。 

 そういう力こそ、幸せになる力であり、

 親が子どもにつけてやらなければならないのはそれなのだ。 

 そのことを私は子ども自身に伝えたかった。

 おそらく多くの子は、自分が幸せになるために

 どういう力を身につければいいのかわかってないだろうと思うから。

 そして、ぼくは勉強ができないからダメなんだ、と思っていたりする。  

 そういう子どもや、その親に、こういう力を持てば幸せになれるんだよと、

 語りかけてこの『幸せになる力』という一冊ができた。

 かなり心をこめて、真剣に語ってしまった。」 

 

なるほどなあと感心しながらも、その本を読んでいないので、

そうするにはどうすればよいのかが、

そこにどう書かれているのかは知らないんですけれどね。

無責任な紹介の仕方ですみません。

でも、こういう考え方はいいな、って思ってて。

 

いい学校を出て、いい会社に就職して。

そういういわゆるエリートコースを羨む風潮は、今も昔も変わらないけれど、

そうすれば、しあわせが約束されるとは、誰も思ってはいなくて。

もちろん、そういう安定した仕事に就いて、安泰な生活を約束すれば、

いいご縁がある。

というのは、可能性とか確率で言えば、高くなるのかな。一般的には。

 

「しあわせな生活」という概念も、人それぞれ。 

でもね、清水さんもおっしゃってるけれど、まず学力ありき。まず学歴ありき。 

を大前提にしてしまうと、却って選択肢を狭めてしまうんじゃないかな。

職人になって一流の仕事をするようになる子だっているでしょう。 

勉強は苦手だけれど、商売の勘はすばらしい、って子だっているはずです。 

いろんな選択肢があって、いろんなしあわせの形があるのです。 

自分なりに満足できる生き方を選べて、あたたかい家庭を得られたなら、

これに勝るしあわせがあるでしょうか。

 

が、ここで必ずや反論として出てくる、

自分なりに満足できる生き方を選ぶために、学力が必要なんである、

という説も、説得力があるんですよね。

けどまあ、わたしは学力が必要というよりかは、

学びたいという意欲が大切かと思っています。

学問だけではなく、もっと広く、興味をもって深めたいという気持ち、

っていうことで。

学歴は資格のようなものです。アイテムのひとつとも言えるかな。

あるに越したことはありませんが、それだけでは勝負できない。

 

学力、学歴を重視するかどうか、そこに焦点を当てて意見を述べ合っても、

お互い納得できず、水掛け論になるだけですよね。

そう。世の中には、相容れない意見、見解というものがあるわけです。

そこを受け容れた上で、考える。

ここはひとつ寛容になってみましょう。

どっちが正しい、相手が間違っているという論点に囚われるよりも、

もっと、ぐーーーんと視野を広角にしてみるといいと思います。

親も子も、間違わないことに神経質になってしまうと、

どんどん世界が小さくなってしまいます。

 

そもそも「『しあわせ』にならなければ敗者」みたいな強迫観念も、曲者です。 

長い一生の間には、しあわせなときもあれば、

とんでもなく苦しいときだって必ずあります。 

挫折したり、諦めたり、流されたり、妥協したり、そんな負の時を乗り越えて、

それでもなんとか生きていかなければならないのが、大方の人生でしょう。 

だからこそ、誰もが「しあわせ」を感じたいんだなあ、きっと。

それで、誰かの本を読んだり、えらい人の話に感心したりするわけです。

どこかでちょっと安心したくて。

 

ああ、一生なんて、ジタバタしてる内に過ぎていくんだろうなあ、

と、またもや考えてしまいますね。

だけど、それも人間らしくていいか、とも思います。