中島らもさんが好きでした。
小説もエッセイも、おもしろかったですねぇ。
一番おもしろかったのは『西方冗土』かな。大笑いしました。
らもさんの描く関西は、カンサイという感じで、
身軽で、無責任で、こすっからさも笑ってごまかした気になれる、ちゅうか。
それでいて、ブラックな部分も潜んでいてね。
ただ、おもしろいだけ、テキトーなだけではないところに、
惹かれたんだと思います。
大変な才能と、ダメさ加減にも。
これは語りモノです。
紙一重を貫き通したヒトやってんなあ。
としみじみ思いました。
普通に考えたら若死にですけど、ようここまで生きはったわ。
というのが、わたしの感慨です。
だって、こんな無茶苦茶なヒト、いませんから。
灘高も”卒業生”って言われたくなかったやろなあ。お気の毒。
部室で酒飲んで、タバコ吸うて、シンナーでラリってたとか、
そんなことオープンにしてほしないわなあ。
こどものころIQが185もあったらしいけど、
勉強漬けの小学生が、大きくなっても成績が伸び続けるハズがない。
でも、頭はおかしいくらい賢かったのは賢かったんやと思います。
読んでいて、ものすごく納得できたのは、小説を書くとき、
巨大なフローチャートを作って、すべて完成した状態で、
それを原稿用紙に落としていく方式だったということ。
ひらめいたり、なんとなく書き始めたら神が降りてきて書けるとか、
そんなタイプじゃあなかったんですね。
ここに秀才の片鱗が残っていますね。
でも、実際に書き始めるときにはすべてができあがっているから、
書いていくのはとても退屈でめんどくさかったらしい。
それも、らもさんらしいなと思います。
なんべんも死にかけて、生きてるのが不思議なくらいな人やったんです。
神様に愛されてたし、身体も「下品」なくらい丈夫やったようです。
が、神様も限界やったんでしょうね。
「エエ加減にせぇ~~~」とキレはったんでしょう。
亡くなる1年くらい前にTVに出てはったんですが、
よう生きてるなぁ。。。。と、思うくらい、何歳かわからん老人並みの様子でした。
一緒に見ていた息子と「らもさん、アカンやろ・・・・」と絶句しました。
なので、酔っ払って階段から落ちて死んだらしい。
と聞いたときも、らもさんらしいて、もうよかったんちゃうかな、
と思ってしまいました。
そりゃ、まだまだおもしろいものを書き残せる作家でしたけれど、
もうええやろ。って。
本人も、いつ死んだってエエって思ってはったでしょうしね。
(2007/10/1)
その後、奥さんが書かれた『らも』も壮絶なものでした。
想像以上に異常な人生であり、異形の夫婦でありました。
あの奥さんがあり、らもさんがあったし、
らもさんだから、あの奥さんだったのか、とも思いました。
あの知性と、あの異常さが同居してた、というのが、
なんともえらいことでしたわね。