京都 四条高倉の占庭から

行きつけ、かかりつけ

今夏は野菜の価格がお手頃でうれしいです。

夏野菜、好きなんですよねぇ。

本日の夕飯登板野菜は、

冬瓜、きゅうり、コリンキー、大根、オクラ、ホウレンソウ。

野菜をたっぷり摂ると、あちこちに油を差したマシンのように

体がスムースに機能していくような気分になります。

 

今、ホホホ座の店主山下賢二さんの『ガケ書房の頃』を読んでいるのですが、

「本屋の原風景」として「こま書房」という町の本屋さんのことが書かれていて、

なんとも懐かしい気持ちになりました。

原風景というのは、それこそいろんなものがあるわけですが、本屋の!

考えたこともなかったけれど、わたしの本屋の原風景はどこだったろうか?

 

小さい頃から本好きだったので、本屋さんは大好きでしたが、

田舎だったので、通っていた小学校の学区内に本屋さんはありませんでした。

いまのコンビニくらいの大きさの、よろず屋風スーパーマーケットの店先に

雑誌が並んでいるくらいのもので。

で、ほんとは子どもだけで行ってはいけないのだけれど、

隣の学区にある本屋さんへ親には黙って行っていました。

自転車で行くこともあれば、歩いて行ったこともあります。

3~4㎞くらいの道のりだったでしょうか。

 

その本屋さんは文具や紙類も置いてありました。

担任ではないけれど、先生のご実家でもあったので、

先生にうっかり見つからないといいなあと思っていました。

いや、見つかったこともありました。

けどまあ、先生にしても家業なもんで、叱責されるほどことはなく。

 

ああ、いいなあ、お家が本屋なんて。

わたしも将来は本屋か、たこ焼き屋へお嫁に行きたいもんだ、と思っていました。

 

その周辺にはあと3軒ほどそこそこの規模の書店があったのですが、

「原風景」といえば、あの間口の狭い、奥へと延びていく、あの本屋さんだなあ。

入ってすぐに雑誌の棚があって、右側にレジ。

左側の壁には一面、単行本が並んでいました。

ええ、もうぎっしり。

いつかは自分もあの漢字だらけの本も読めるようになるんだなあ、

と仰ぎ見る気分でしたね。

そこで、マンガをこっそり立ち読みしたり、児童書の棚の前でわくわくしたり。

 

中学、高校と進み行動範囲が広がるにつれて、

自分の本屋MAPも広がりを見せます。

自転車に乗って、ひとりでうろついては新しい本屋さんを見つけていきます。

実にアナログです。

グーグルマップなんてなかったのでねぇ。

 

どの本屋さんもしあわせな気持ちにしてくれる場所でしたが、

それぞれ個性があって、雑誌ならココ、マンガならココ、

文庫本ならココ、と好みの本屋が分類されていって。

けれど、それらの書店の9割以上がもう営業されていません。

あれも昭和の風景のひとつだったんだなあ。

 

もういい大人になってから、岡山の紀伊國屋書店に初めて行ったとき、

こんな夢のような本屋さんがあるのかと感激しました。

量においても、質においても。

ああ、ここに住みたい!と思ったくらいで。

 

いまは占庭への通勤経路にある本屋さんに、よく寄り道します。

この、本屋さんに寄り道、っていうのが、実にしあわせな時間でねー

わたしにとって本屋さんは、行きつけのお店というよりかは、

かかりつけ医みたいな感覚なんですねぇ。