京都 四条高倉の占庭から

負けず嫌いさんは超謙遜家

昨日のブログで、行きつけ、かかりつけと書いたんですが、

病院もかかりつけというよりは、行きつけの病院、みたいな人も多そうですね。

患者というよりは、常連客が陣取る待合室、という感じで。

 

さて、今日は負けず嫌いと謙遜について。

負けず嫌いな人っていうのは、ガッツと意地のある人ですね。

ええ、ええ、ご想像に違わず、わたしは全然負けず嫌いではありません。

勝ちたいという人があるなら、どうぞどうぞ、といくらでも譲ります。

「負けたくない!」ということでモチベーションが上がるというのが、

イマイチよくわからない人間です。

いくらでも負けることを受け容れられる、というのも困ったもんでね。

はい、根性なしなんですー

 

友人知人、お客さまの中にも「わたしは負けず嫌いで」と自己申告される方、

たくさんおられます。

負けたくないんだから、そういう人はさぞかしプライドも高かろう、

と思われるでしょうけれど、一概にそうとは言えないんですね。

もちろん自尊心は高いのですが、コンプレックスも混じり合っているようで、

心身を守るために負けず嫌いでいる、という場合もありそうです。

しんどいですよねぇ。

ずっと負けられないということは、勝ち続けねばならないわけで。

 

そして、不思議なのは、なぜか負けず嫌いな方のいいところを話すと、

めちゃくちゃ謙遜されることなんです。

こちらは心から褒めたくて言っている言葉を

そんなそんな!滅相もないっ!!!!

という激しい勢いで否定されてしまい、面食らうこと度々です。

 

なぜ?

否定されたくないはずなのに、肯定されるのも良しとしないって、どういうこと?

 

負けず嫌いな人というのは、何かに、誰かに、自分に、負けたくない。

ということは、勝ちたい=優位性を保ちたいと思ってらっしゃる。

そのために努力を怠らない。

その粘りと精進を素晴らしいなと思います。

それなのに、心から「素敵ですね」と言うと、全身全力で否定されるんですよねぇ。

何もそこまで謙遜なさらなくても・・・・と思うほど。

そこで認めてしまったら、気持ちが脆くなり、崩れてしまうようなおそれを

感じてらっしゃるのでしょうか。

 

そうか。負けず嫌いは、弱さと背中合わせなのかもですね。

意地をつっぱり棒にして、ギリギリで堪えてらっしゃるのかもしれません。

 

そうしてみると、一番強いのは、しなう力のある人かなと思いますね。

身体が柔軟な人はケガをしにくいというのと同じように、

心が柔軟な人は、傷を受けにくいのでしょう。

柔軟がよいといっても、お豆腐のようにぐずぐずに柔らかいのではなく、

圧力に対して、しなって堪えるバネのある人ってことですね。

崩れないため、傷を受けないために、コンクリートのように固まってしまうと、

変化に対応できないだけではなく、自分自身の融通もきかなくなりそうです。

しなって持ち堪えることができる負けず嫌いの人がおられたら、

それは最強ですねぇ。

でも、強いってそんなにいいことなのかなあ。

まあ、弱いよりかはいいのかな。

 

それでも強くなることで、ご自分の中にある良さに対しても硬くなってしまっては、

もったいないですよね。

まず自分に対して柔らかくなれたら、他人に対しても、柔らかくなれるのかも。

ひいては、より強くなれるのかも。

傷を受けないように鎧を身に着けるよりかは、

案外、丸腰で、ただ相手を傷つけない言動をすることで、

自分を守っていけることもあると思います。

まともな相手であれば、という前提ではありますが。

 

宮城まり子さんがいつもおっしゃっています。

「やさしくね やさしくね やさしいことはつよいのよ」って。

ほんとにそうだなーって思うんです。

 こういう強さならば、たくさん持っていたいですね。