京都 四条高倉の占庭から

能動的に生きる能力・受動的に生きる能力

もう言い飽きたし言いたかないけど、暑いです。

今、たしか松岡修造さんはリオですよね?

それなのにどうしたことでしょうか。この日本の暑さは。

と途方に暮れてしまうくらいの暑さです。

 

さて、たまには占いのことも書きましょう。

生まれた日の星の並びから「命式」というものを作ります。

西洋占星術でいうならば、ホロスコープですね。

それで人生のすべてが決まるわけではないですが、

3~4割は支配されるのでは?と言われています。

これはいわゆる「持って生まれたもの」に通ずるのかなと思っていますが、

性分っていうのもこれに含まれます。

そして、その性分が運勢ともつながっているわけです。

 

たとえば、能動的な人と、受動的な人がおられます。

積極的に自力でぐいぐい人生を拓いていくタイプと、

受け身で、与えられたものの中ではみ出さずに生きようとするタイプ。

これらも、そういう星があるのです。

 

能動的に生きるべく生まれた人が、親の敷いたレールに乗せられ、

意に添わない生き方をしている場合などは、やはりいつか無理がきて、

爆発してしまいます。

爆発するのはまだよい方で、くすぶり続けて一生を終えてしまうという

残念な場合もあります。

もちろん、それもムダな人生ではありませんが、もったいない感は拭えません。

せっかくの運気を生かし切れなかった無念さのようなものが残ります。

 

逆に、受け身に生きていくのがよい人というのもあるのです。

与えられたものを大切に守り、自分の身に来たものを蓄え、はみ出さずに生きる。

それが運勢に沿った生き方で、その人にとってのベストである、というタイプ。

それを覇気がない生き方だとか、流されていてどうする! とか、

周囲の人が焚き付けるのは、非常に迷惑なおせっかいということになります。

 

攻めて生きていく人と、守って生きていく人の違いとも言えます。

攻めて生きる人の方が、エネルギー消費が大きく、突出しがちなので、

ついそういう人の方が頑張っていて、立派で、

世のため人のために有効に生きてらっしゃるように感じるものですが、

そう単純なものではないですよね。

小さく守って生きることだって、恥ずかしいことではありません。

声の大きな人、アクションの派手な人が目立つだけのことです。

それぞれに精一杯努力して、生きるということが大事だと思うんですよ。

能動的に生きるにも能力が要り、受動的に生きるにも能力が要るわけで、

その能力に優劣はありません。

どっちがいいとか、偉いということはなく、持って生まれたものに違いがある、

ということなんですね。

だれもが、持って生まれた能力を存分に発揮して、精一杯生きられたら、

何かを成し遂げなくても、それはすごくいい人生だろうなあ、と思うのです。