京都 四条高倉の占庭から

じっと手をみる

セミの声が遠くなり、陽が落ちるのも早くなりましたね。

夜は虫の音が聞こえます。

けど、暑い。

今年ほどエアコンを使った年はないです。

それでも設定温度が高いせいか、電気代は思ったほどかかっていませんでした。

あんまりガマンしすぎずに、適度に使ったらいいんやなあと思うわけですが、

なーんか贅沢している気分になってしまうんですよねぇ。

貧乏性なもんで。

この夏は、花火を見てないし、ミスド氷コーヒーを飲んでないし、

ミニストップのハロハロも食べてないし、どこへも避暑へ行ってない。

一体何をしてたんや!と愕然とするわけですが、

思い返せば、毎年こんなもんでした。

 

たまに自分の手のひらをじっと見ます。

もちろん、手相を観るともなく見てしまうということです。

手相は変わっていくものですが、自分の手で、そうそう新しい発見はありません。

自分の手相はなかなか客観的には観られないもので、

ついつい希望的観測になってしまうんですけれどね。

 

よく、占い師は自分の運勢を占うのか?という質問がありますが、

わたしは占います。

なんせ、占いフリークなのでね。

けれども、何かを決めるときに、占いで決めるかというと、

そういうことはあまりないんですよ。

占庭開店や移転の日などは、一応、いい日を観たりしましたが、

迷って、悩んで、占いで解決を図るということはないですねぇ。

占いは解決法を教えてくれるものではないと思っていますから。

 

じゃあ、占いは悩みには無力なのかというとそうではなくて。

対処法としては強い力を発揮します。

 

 現在抱えているトラブルに対し、どういうスタンスでいればよいのか?

 解決に踏み出すタイミングはいつごろがよいのか?

 相手がある場合、どういうつき合い方がスムーズか。

など、いろいろな場合があります。

たとえば、相手の好むこと、嫌がることがわかるだけでも、かなり有利ですよね。

このブログでも繰り返し書いていますが、占いは活用できるものです。

運気を知って、その流れにうまく乗っていただけると、

占い師としましては、いい仕事ができたなあ~と思えます。

 

占庭へいらして、わたしとおしゃべりしている間に、

なんとなく気づくとか、スッキリする、ということもあるらしいのですが、

それは、わたしの力ではなく、占庭行ってみよか、

と思って、それを行動に移された時点で、ご自身の気持ちが、

抱えてらっしゃる何かを改善するために何かしなくては、と向き合われた、

ということなのかもしれないですね。

たいがいのことは、肚をくくって向き合えば、収まる所へ収まるもので。

なんとかなる、どうにかなる、なるようになる、というのは、

ワタクシの座右の銘でもあります。

一歩進んで、なんとかする、どうにかする、と思えたなら、

なるようになることを受け容れる度胸が据わるってことなのでしょう。

 

また、占いには気休めというメリットもあります。

いやいや、気休めにお金なんて払えないわよ、

と思われる向きもあるかもしれませんが、

自力で気休めにたどり着けないくらいしんどいときは、

他力に頼ればよい、という単純なことでして。

煮詰まっている時、気休めのメリットは結構大きいと思います。

 

「占いの店に行く」と言うと、

 占いなんか行って、何になるの? そんなものに頼ってるの?

とバカにされたり、

 そういう人だったんだ・・・・

と警戒心を持たれたりもすると思うんですよ。

占いについて、そういう先入観を持ってらっしゃる方も多いのでね。

わかっちゃいるんですけど、そういう時は、

なんだかなあ、という気持ちになります。

そういうんじゃないって、どうしたらわかっていただけるのかなあ、って。

 

あ、そういう思いから、このブログを始めることにしたんだったと、

こうして、時々思い出します。

ガックリくるんじゃなく、よし、まだまだがんばろ、って思い直します。

わたしが前を向かなくなったら世も末だもの。