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京都 四条高倉の占庭から

すうねるところ

たのしみ

SNSが自動的に、数年前の投稿をUPしてくることがあるのですが、

おせっかいだなあ、と思う反面、おお、もう〇年も経ったのか~

と懐かしく思うこともあります。

毎日日記をつける習慣がないので、SNSは記録代わりになって、

ありがたい存在でもあります。

 

で、今日、上がってきたのが、4年前のお芝居。

どうも4年前の昨日、観てきたようでした。

どこだったんだろう。

兵庫県立芸術文化センターだったんじゃないかと思うんですけれど。

脚本が木皿泉さんということで、友だちと観に行ったのでした。

 

木皿泉さんといえば「すいか」野ブタ。をプロデュース」「Q10」

セクシーボイスアンドロボ」「富士ファミリー」など、

たくさんのドラマの脚本を手掛けてらっしゃいます。

あまりテレビを見ないわたしにドラマファンの友人が「すいか」のDVDを

送ってくれて見て以来、すっかり木皿泉ファンになってしまいました。

ベタベタした甘さではなく、ほろほろっとした和三盆みたいな甘さというか、

湯たんぽみたいな温かさというか。

生きていれば、つらいこと、しんどいことがいっぱいあるけれど、

ごくふつうの暮らしの中に、おかしみもあれば、癒しもあるよね、

と思える、そこはかとないぬくみが素敵です。

 

ふつうに生きていくのは大仕事。

誰もが他人には言わない荷物を抱えています。

だけど、生きていたら、たまに小さな小さなご褒美に遭遇することもある。

そういう、押しつけがましさのない小音量の応援歌みたいなやさしさが

とてもいいんです。

 

4年前の昨日観たお芝居は「すうねるところ」。

登場人物は、3人の吸血鬼と1人の高校生の4人だけ。

場面転換もなくて、派手なアクションも(薬師丸ひろこがでんぐり返りを何度も

するくらいで)ドラマチックな事件もない。

言うてみればホームコメディみたいなお話です。表面的には。

 

けれどもそこはさすがの脚本・木皿泉

なんでもないセリフひとつひとつがおもしろがって考えられていて、

わはははと笑いながらも、そんなわけないやんとツッコミながらも、

心に沁みて、積もっていく感じ。

 

人間社会でひっそりと生きていくために、人間を襲うこともやめ、

夜だけ営業するパン屋を営むヴァンパイヤ。

ヴァンパイヤは死なないんです。

永遠に死ぬことが許されない生き物。

ずっと生き続けるということは、絶望にも似ている。

永遠の時間が与えられているということは、終わりがないということ。

それは始まりもないということかもしれません。

人間には寿命があって、それはいつ尽きるのか、誰にもわからない。

だから、今日を生きていられるし、明日はまたくると能天気に思っている。

いや、思っているんじゃなくて、意識すらしていない。

生きるってそういうことなんやなあ。

たかだか70年だか80年だかのスパンでものを考えるから、

肉体は滅びに向かって老いていくからこそ、希望も抱けるし、

ヨロコビもクルシミもあるのでしょう。

いいお芝居でしたねぇ。

舞台もさすがの木皿ワールドでありました。