京都 四条高倉の占庭から

占い師という職業

10月を過ぎても暑いですね。

今日も占庭は、除湿モードでエアコンが稼働しています。

それでも週の後半からは秋らしくなってくるみたいで、ほっとしますが、

その前に台風がかすめて行くのが気になるところですね。

 

 

占い師というのは特異な仕事で、座っているだけで、いろんな方がお見えになって、

いろんなお話をお聞かせいただけるんですね。

占い師自身が、お客さまを招くわけでもなく、選ぶわけでもなく。

そして、初対面であっても、その方の深い部分のお話をお聞きすることになります。

もちろん、警戒心の強い、用心深い方もおられて、最初は本音が言えずに、

2回目からあれもこれも話せるようになる、という場合もありますが、

概ね、最初からコアな内容に触れることになります。

もしかしたら、家族にも友だちにも話したことのないことを

三者の占い師だから打ち明けられる、ということもあるんですね。

 

占い師をしていていつも思うのは、世の中にはいろんな人がいて、

それぞれに違った考えがあり、さまざまな人間模様があって、

本当に人生色々だなあ、ということです。

そんなこと、占い師でなくてもわかってるわ、ってことではありますが、

心底驚いたり、呆気にとられたり、せつなくなったり、痛ましかったり、

それはもう想像を絶する物語をお持ちの方がたくさんおられます。

 

ええ、わたしはもう大概のことには驚かなくなりました。

いえ、驚かなくなったというよりは、どんなに驚いたとしても、

それを疑ったり、否定したりすることはなく、受け容れられるようになった、

ということでしょうか。

あまりにも「そんなことがあるんですか!?」というお話が多いので。

 

ものすごくものすごくつらい思いをされた方、大変な苦労の連続だった方、

誰かのせいで人生を台無しにされた方など、辛酸をなめて生きて来られた方ほど、

苦しそうなお顔をしてらっしゃいません。

恨みがましいとか、負のオーラ全開とか、そういうことはまったくないんです。

そこまでの苦労をなさった方、そこいらにおられませんよ、と思える方でも、

「もっと苦労してる人もおられるでしょうから、わたしなんて恵まれている方です」

と話されたりします。

これは不思議なくらい、つらく苦しい思いをいっぱいした方が、

共通しておっしゃること。

そういう方は、達観してるとも言えるし、あきらめ慣れているとも言える表情を

してらっしゃるんですよ。

張りつめた感じがなく、かといって緩んでもいない。

ここまできたら、笑うしかない、とでもいうような、柔らかいお顔です。

 

人間は微妙な苦労とか、そこそこの不幸とか、あと少しのもの足りなさなどを

抱えていると、人相が悪くなりがちなのかもしれません。

お話を聞いていて、神様は不公平だなあと思うことはしょっちゅうあります。

なにもこの人ばかりに、ここまで苦労を集中させなくてもいいのに・・・・

と恨めしく思ってしまうこともよくあります。

それでも、誰も恨まず、憎まず、しょうがないなあとあきらめて、

その中で、なるべく自分らしく生きようとされている方は菩薩のようです。

そういう方は、自分の苦労や不幸を特別なものだとは捉えてらっしゃらないので、

そこをアピールすることもないし、お顔も穏やかなので、

もしかしたら周りにいる方は全然気づいておられないかもしれません。

 

隣の芝生が青くて羨ましいと思うのはよくあることですけれど、

それって、案外微妙なラインだったりしますよね。

その微妙さは危ういです。人相がよくなるか、悪くなるかのラインとも言えます。

そして、隣の青い芝生の土の下には、大変な苦労が隠れていることだってあります。

どんなに苦労知らずなお顔をされていても、額面通りということは少ないですね。

 

どん底をくぐり抜けてきた方は強いです。

他人を傷つける強さではなく、包括して受け容れる強さ、とでも言うしかない、

茫洋としたお人柄を感じます。

ええ、ほんとに立派な方は市井にたくさん埋もれてらっしゃいますね。

すごいなあ、えらい方だなあと、お話を聞かせていただきながら

感服してしまいます。

そういう機会を幾度も与えてもらえるのだから、

占い師というのはありがたい仕事だなあと思っています。