京都 四条高倉の占庭から

平尾誠二さんのこと

京都は今日、時代祭です。

いっぺんも見に行ったことないんですけれどね。

それほど寒くもなく、いい具合の曇天で、見物される方も気持ちよく楽しめそう。

で、明日は、京都競馬場菊花賞が。

今朝でも淀の駅からたくさんの人が歩いているのが見えたのですが、

明日はもっとすごい人で溢れるのでしょうね。

 

 

一昨日、神戸製鋼コベルコスティーラーズGMの平尾誠二さんが、亡くなりました。

二十数年、ずっと神戸製鋼ラグビーのファンでしたので、胸が詰まるほどの

大きな衝撃を受けました。

 

ラグビーを見始めたのは二十代の前半から。

ルールもよく知らなかったんですが、それでもテレビで試合を見るのが好きでした。

神戸製鋼には、平尾や大八木などスター選手がいて、華やかでね。

(選手名は敬称略でお赦しくださいね。呼んでいたように書きたいので。)

ただ強いだけじゃない、ただカッコイイだけじゃない、

もっと大きな魅力がありました。

 

ちょうど七連覇中の最盛期、わたしは先行きの見えない不安な時期でしたが、

ラグビーシーズンの冬は、毎週末の試合中継の予定を卓上カレンダーに書きこんで、

楽しみにしていました。

それを楽しみに一週間がんばろ、って思いで。

競技場で試合を観られたらどんなにワクワクするだろうかとは思っていましたが、

当時は倉敷に住んでいたし、小さな子どもを抱えて働いていて、

そんな贅沢はできないし、現実味のない夢でした。

 

初めて花園ラグビー場へ行ったのは12、3年前のこと。

もちろん神戸製鋼の試合を観に。

ラグビーファンにとっては花園は聖地ですから、どれだけうれしかったか。

温かい紅茶を入れた水筒とひざ掛けとカイロを持って、ニコニコ顔になるのを

止められませんでした。

その頃、神戸製鋼のスター選手は大畑に変わっていました。

平尾はコーチや監督の立場で、競技場にいたのでした。

ぱりっとしたスーツに、濃い色のロングコートを重ねた姿は華があって、

遠くから見ても、すごく素敵だったんですよ。

ダウンや、綿入りのグランドコートではない、ウールのロングコートの裾が

冬の風にはためくのがなんともカッコよくてね。

 

平尾は非常にクレバーで、かつ上手い、素晴らしい選手でしたが、

選手として素晴らしいだけではなくて、その言動も人を惹きつけるものが

ありました。

先の先を見据えて、いま何をすべきかを考え続ける貪欲な前進力があって。

停まってしまわない人、という印象でした。

 

とてもハンサムだったので、その容貌で好きになった人も多かったと思いますが、

ただカッコよくて上手いから好き、で終わらせない大きさがあって。

すごく好きだったけれど、サインが欲しいとか、握手したいとか、

そういう気持ちにはなりませんでしたね。

平尾誠二という人は、ひとりの男ではなく、社会で共有すべき人、

みたいな認識をしていたように思います。

それだけ社会的な役割を自認して、果たしてらしたんでしょうね。

 

一昨日はニュースで昔の映像などがたくさん流れていて、

その度に、ああもったいない、残念だ、悲し過ぎる、と涙ぐんでいたのですが、

悲しければ悲しいほど、心が静かにもなってきて。

 

寿命は神さまの胸三寸。

この世は生きている人間のものであって、死んでしまったらおしまいだ。

 

と突き付けられたような気持ちになりました。

わたしよりも年下の平尾が、その存在を社会から熱く求められ続けている人が

こんなにも早くこの世から去ってしまった。

生きている者は、命のある限り、ちゃんと生きなければ、なんて、

ほんとうにバカみたいに当たり前なことを思い知ったような気持ちになりました。

 

できるだけ笑って元気に過ごすこと。

できる限り働き続けること。

と同時に愉しむことも後回しにしないこと。

それらを改めて胸に刻みました。

 

ああ、でもやっぱり淋しく悲しいです。

もっともっと長く「神戸製鋼平尾誠二」でいてほしかった。

残念でたまりません。