京都 四条高倉の占庭から

ヒマをつぶす

日の短さと指先の冷たさに、秋どころか冬が忍び寄ってきている感じ。

もう10月も終わりですものねぇ。

 

先日、バスに乗っていると、年配の男女の団体が乗り込んでこられました。

みなさん、ハイキングスタイルで、お元気そう。

女性は女性と座り、男性は男性と隣り合って座ってお喋りされていました。

 

わたしの後ろの方へ座られた男性が、それほど親しいわけではなさそうな

隣席の男性に、

「常日頃、どのようにしてヒマをつぶしておられますか?」

と話しかけられていました。

そこから、お二人の日常や、体調の話が始まり、どのようにお金をかけずに、

ヒマつぶしができるのか、という情報交換が始まったのでした。

「〇〇へ行きましたら、往き帰りの時間も併せて6時間はつぶせます」

と胸を張って話してはるのを聞きながら、切ないような、悲しいような気持ちに

なりました。

きっと現役の頃は、休みが待ち遠しかっただろうし、

リタイア後はゆっくり過ごしたい、と思ってらしたと思うんですよ。

が、実際そうなってみると、退屈なくらい時間が余ってしまい、

かと言って、散財しながら遊び続けるわけにもいかず、

時間に追われない生活をどう過ごしていけばよいのか、困惑されてもいるようで。

 

おそらくは若い時、ああ、ヒマがない。時間があればあれもこれもしたい。

と思いながら働いてこられたのだろうなと思うんです。

その、あれもこれもは、時間が経ってしまうと、色褪せてしまったり、

体力的に難しくなったりしてしまったのでしょう。

あれもこれもしたい!というのは、その場、その時にやってみてこそ輝くんやなあ。

ムリしてでも時間を作って、そこで叶えないと意味がなくなることもあるのかも。

と、そのお二人のお喋りを聞くともなく聞き流しながら思いました。

 

それと、仕事を離れてから、楽しめる何かを現役の時からもっておくというのも、

大事なことなのだなと思いましたね。

だって、ヒマをつぶすために生きていたくないですもの。

人生とは、死ぬまでのヒマつぶしだと言った人もありますが、

どうせヒマつぶしならば、自分がとことん楽しいと思うことをするか、

誰かの役に立つことをするとかでないと、もったいない気がしますよねぇ。

リタイアしても社会の一員であることには違いがありません。

現役でなくなったら、ただ邪魔にならないように生きるのでは、悲し過ぎます。

せっかく生きているのであれば、何かの意欲を持っていたいな、って思うのも、

まだわたしが若いからでしょうか。

老後もそう思い続けていくには、今からそういう意識でいなければ。

ちょっとした仕事でも、ボランティアでも、趣味でもいいので、

できれば社会と関わって、刺激を得ることは大切だなと思いました。

 

わたしはおばあちゃんになっても、若い人と関わっている、ひと言多い、

死ぬまで喋っているような星なんですよ。

隠居する星ではないので、ヒマを持て余す老年期ではなさそうだけど、

その星を活かすためにも、今からその道を作っておかないとなあ、と

改めて思ったのでした。