京都 四条高倉の占庭から

しばらくぶりでございます

ご無沙汰している間に、すっかり寒くなってしまいました。

昨日今日は、ひと月ほど季節を先取りしたような気温で、秋はどこへ行ったのやら。

 

 

実は、ここひと月半くらい体調がすぐれなかったのですが、

今月頭から、一段と芳しくなく、ブログの更新も滞っていました。

急な休みや、早じまいでご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。

やっと持ち直してきまして、通常営業に戻れそうです。

 

具合が悪い時は、毎度、日常生活をごく普通に送れるありがたみを

痛いほど感じるわけですが、今回はよりいろんなことを考えました。

自分の年齢、家族のことは元より、仕事についてこんなに感じたことは

なかったような気がします。

 

わたしは本来、外で働くということにあまり熱意が持てないタイプで、

できれば働きに出るよりかは、家の中で好きなことをしていたい。

最大の夢は専業主婦! と思いながら、運命がそれを許さず(?) 、

なぜかずーーっと働いてきました。

そう。好きで働いてきたわけではなかったんです。致し方なく、ってやつです。

世の中には「できるだけ長く働いていたい」とおっしゃる方も多いのですが、

どうしたらそんな風に勤勉になれるのだろう?と不思議でしょうがなかったのです。

わたしなんて、

 早く年金がもらえる年にならないかなー

 そしたらもう働かなくていいかなー

と数十年、それを心の支えにしてたくらいで。

 

ところが、今回日常生活もままならぬほどの体調悪化に陥った時、

もちろん一番の願いは「早く普通に戻りたい」だったのですが、

寝床でうんうん唸りながら、なぜか頭に灯った言葉は、

「働ける限り、一生働きたい」だったのです。

 

命は与えられたもので、自分の身体は自分だけのものではないから、

家族を含めた「社会」での役割を自分なりに果たそうとすることが

しあわせなんじゃないか、って思ったんですね。

 

えっと、あまりにもしんどくて、頭がどうかしてたのかもしれません。

それでも、そう思ってから、つらつら反省しました。

家族にはできるだけちゃんとした食事をと思いながら、

自分だけの昼食はほんといい加減で、ナッツやチョコレートで済ませたり、

なんてこともしょっちゅうでした。

具合が悪くなりかけても、休もうとはせず、早めに薬を飲んで症状だけ抑え、

ムリをする。

随分、身体をないがしろにしてきました。

 

この度、身体がまったく食べ物を欲しなくなり、そこから少しずつ回復するのに、

何をどれくらいなら身体が受け入れるのか、真剣に考えざるを得なくて、

いまの自分の身体に必要なものは何なのだろう?

と悩みました。

もちろん病院にも行って、今すぐどうこうという深刻な病気はなさそう、

というのがわかった上で、薬は飲まず、自分の身体に訊くことで、

ここは乗り切ろうと思ったわけです。

体力も体重もちゃんとあるんだから大丈夫!と思って。

少しマシになると、じっとしてても動いてもしんどいのは同じなのでは?

と思い始め、

病は気からだ!

とカラ元気を出して、なるべく動くようにしました。

思い切って、お風呂にも入りました。

 

すると、それらは良い方向へと導いてくれたようで、回復を実感できるように

なってきました。

けれども、まだムリは禁物、と思い、仕事は「いまの自分ができる範囲」を

体力と相談するようにして。

 

で、やっと普段の生活が戻ってきました。

なんとありがたいことでしょうか。

働けるということは、なんて素晴らしいんだろう、って

生まれて初めて思いました。

この日々をできるだけ長く継続できるように、自分をないがしろにせず、

ちゃんと暮らしていかなくちゃ。

みなさま、しばらくして、のど元過ぎれば・・・・みたいになっていたら、

叱ってやってくださいね。

 

 

さて、これは我が家のベランダ風景です。

 

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干し柿好きな夫が、自ら初挑戦。

さて、無事おいしくできますでしょうか。

小ぶりの柿が、なんともかわいらしいんですよ。