京都 四条高倉の占庭から

一番好きな人ではなく二番目に好きな人を選ぶべき?

好天に恵まれた週末。

京都へ向かう今朝の電車は、かなり混んでいました。

昨年の紅葉はイマイチだったようですが、今年はどうなんでしょう。

寒暖の差もあるようですし、きれいに色づいているかな。

遠方から京都観光へ来られる方も多そうです。

占庭も、先週は東京からお二人、一昨日は倉敷から、今日は岡山からと、

遠くからのお客さまが続きました。

久し振りにお会いするお客さまばかりで、うれし楽しいひとときでした。

 

 

昔から、

「結婚は一番好きな人ではなく、二番目に好きな人とした方がよい」

という話をよく聞きます。

段々と年齢を重ね、また、仕事柄、たくさんの方のお話を聞いていまして、

この言葉の中には、いろんな意味が含まれているなあと思うようになりました。

 

まず、

「一番目じゃなくて二番目を選ぼう!」

という単純な話ではないということですね。

生まれも育ちも違う人間同士が、生活を共にしながら家族になろう、

というのが、一般的な結婚です。

楽しいこともあれば、理不尽なこともあり、腹の立つこともあり、

お互いのガマンと忍耐の隙間に、うれしいことがたまに挟まる、

くらいの認識でいた方がいいかと思います。

 

結婚するくらいだから、お互いに好意を持っていることは確かでしょう。

その好意の熱さ、厚さ、篤さは千差万別です。

相手も同じように、同じような気持ちを胸に抱いている、

とは思わない方がいいです。

というか、そもそもそんなことを量ろうとしない方がよいのです。

違うんだから。

違うことを確かめて傷ついたり、どうして? と悩んだり、

ましてや相手を疑ったり、責めたりするのは実にナンセンスなことです。

もう一度言いますけれど、違うんですから。

 

相手を好きでいればいるほど、相手も同じように自分を想ってほしいと願います。

けれども、安心できる状態でそれを確認し、維持していこうというのは、

結構、困難で、しんどいことです。

好きならば好きなだけつらくなる、という、

ワケのわからないジレンマに苛まれることにもなりかねない。

そこで、好き過ぎる相手との結婚は極端な消耗と疲弊からの破綻をたどることも…

というので、先の一番目よりは二番目の人をという話に繋がることもあります。

 

そもそも「この人のココが大好きなのっ!」という、

超好きな部分があるということで、他の不満や不安がかすんでいるカップル

というのは長続きしにくい傾向があります。

なぜかと言うと、永遠に超好きな部分だけに注目してはいられなくなるから。

ずっとそこだけ見ていられるのなら問題はないのですが、

超好きな部分が変化してくることだってあるし、自分の好みが変化することもある。

そこだけ見ていることで目に入らなかった不満や不安要素が見えてきてしまうと、

それを「超好き」だけでカバーしていくのは大変厳しくなってきます。

超好きだけで、一生を突っ走るというのは、余程強い信念がないと難しいでしょう。

 

それよりは、

「まあ、コレといってものすごく好きなところは特にないけれど、

どうしてもイヤ、これだけは許せない、ってところはない人だから」

というカップルの方が安定感があります。

過剰な期待もなく、客観的に冷静な判断もできているので、大崩れしません。

お互い、譲るところは譲り、譲れないところは話し合う、という

穏便で、ごく普通な問題解決法を採ることができるのはこちらのタイプ。

もちろん、そこに愛情もあり、家族としての役割の意識もあっての話ですけれどね。

熱々のカップルではないかもしれませんが、よい家庭を築いていけそうです。

という意味での、一番目ではなく二番目の人を

という考えもあるなと思えます。

 

若い頃は、

そりゃなんてったって、一番好きな人と結婚するべきやろ、

と思っていましたが、

一番好きな人=熱烈猛烈に好きになった人 ではないということが、

段々とわかってきました。

 

ですのでね、とにかく、どうしても苦手な部分、どうにも許せない部分がない人を

お選びになることをお勧めします。

それらは、いずれ最初の「超好き」な熱さだけではカバーしきれなくなります。

要するに、一番好きな人か二番目に好きな人かは、どっちでもよくて、

そのポイントを見極めることが大切なんですね。

 

苦手な部分も許せない部分もない!

という方は、そのまま突っ走りましょう。

ただ、くれぐれも相手と想いの熱さを比較しないこと。

違うことを受け容れて愛し抜くことができれば、最強です。