我が家の近辺の木々の紅葉は見頃を過ぎ、落葉し始めています。
今朝は強めの北風で、色とりどりの落ち葉が路肩に吹き寄せられていました。
晩秋ですねぇ。
この晩秋にひと際目立つ花と言えば、皇帝ダリア。
見た目は真夏の花のようなのに、日照時間が短くならないと花芽がつかない
品種だそうで、冷たさを増してきた風にも負けず咲いています。
ぎょっとするほど背の高い花なので、皇帝ダリアという名前は知らなくても、
見れば、ああ、あのお花かあ~とわかっていただけると思います。
こちら ↓
いま、あちこちのお庭で見られますよ。
さて、今日は人間関係のお話を少し。
人が寄ってくる人、っておられますよね。
というか、人というのは、集めようと思って集められるものではなくて、
魅力のある人のところへ自然と集まってくるものなのでしょう。
けれども、魅力のある人のところへ必ずしも人がたくさん集まっている
というわけでもなく、たくさんの人に囲まれている人が、必ずしも魅力的である
とは言えないこともありますね。
それは、どういう意図で集まっているのか? によるのです。
人間的な魅力があって、この人と関わっていたい、この人のことをもっと知りたい、
という、純粋な人間性に惹かれて、集まる人ばかりではないということです。
追い風を受けて、ぐんぐん伸びている人の周りには、
この人のそばにいれば、自分にもいいことがあるかもしれない、
この人の周りに集まる人と縁をつなげば、得するかも、
という、おこぼれ頂戴的な人も集まってきやすい。
いわゆるコバンザメですね。
人が絶好調の時には寄ってきて、ピンチになるや、スーーーっと消える。
それは危機管理と主張されれば、なるほどそれもそうだと思う側面もあるので、
そういう人がみんな、人でなしだとは申しません。
そうして生きていく人も、世の中には一定数存在するのも本当のことですしね。
ま、そういう人は、どうだっていいんです。
自分がピンチになり、人が離れていったときにこそ、
自らを冷静に省みることに大きな価値があるよ、ということが言いたいの。
好調なときにはいい顔をして、利用していたくせに、用済みと判断すると、
手のひらを返して知らんぷり。
そんな人を恨んだり、嘆いたりするのは愚の骨頂ですよ。
そんな人は、ホント、ど~だっていいんです。
大事なのはピンチに直面している自分について考えること。
そんな態度を取られてしまった自分が、その程度の人間であったかと、
まずそこを認めるところから出発です。
ここを認めず、相手を非難したところで時間の無駄にしかなりません。
ピンチに直面した時、人は真価を問われるのでしょう。
本当によい友人、知人を自分はどれだけ得ていたのか、が明るみに出ます。
励ましたり、手助けしてくれる人は天使のような存在ですが、
真にありがたいのは、目の前の難局を乗り越えるために知恵を絞り、
叱ったり、敢えて厳しい言葉を投げてくれる人です。
一文の得にもならないのに、嫌われるかもしれないことを言ったり、
してくれたりするなんて、それこそ神か仏か、って存在ですよね。
ピンチの時には、心は弱るし、誰かにすがりたくもなる。
見せかけの優しさにホロリときてしまうこともあるけれど、
そんな時こそ、ひとりで立たないとダメですよ。
ヨロヨロしながらでも、前を見て立っている人を
ホントの友が見捨てることはないはずです。
昔から、ピンチはチャンスと言いますけれど、そんなイージーなもんじゃない。
ピンチは明らかにピンチです。
けれども、ただのピンチで終わらせなければ、己を知り、周りも知る機会となり、
ひとつ格上の自分になるチャンスと捉えれば、大きなチャンスなのかもしれません。
そして、ピンチの時こそ力になれる友でありたいなあと思うのですよ。