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京都 四条高倉の占庭から

スマホ世代の子育て

よしなしごと

最近、ベビーカーを押して信号待ちしてるママ、電車に乗っているママが、

ずっとスマホを操作しているのをよく見かけます。

ベビーカーの赤ちゃんには、周りに居合わせた人(主におばちゃん)が、

話しかけたり、笑いかけたり、相手をしています。

 

これね、すごくわかるんです。

慣れない子育てで、来る日も来る日も赤ちゃんと向き合う日々。

自分のペースで眠ることもできないし、落ち着いて食事もとれません。

赤ちゃんがご機嫌でいてくれればいいけれど、ずっと泣き止まないと

いったいどうしたらいいのか途方に暮れてしまいます。

それらが、ほとんど密室で起きるわけですね。

そこで、スマホが、外を眺められる窓のような存在になるのでしょう。

いまの時代はSNSもあるから、ただの窓ではなくて、

そこで情報交換も、コミュニケーションもとれるのですから、

傾倒していくのも責められません。

わたしも、自分が子育てしていた頃にSNSがあれば、

もう確実に依存してただろうという自信があるくらいです。

 

わたしたちが子育てしていた頃は、

「テレビを見ながら授乳してはいけません!」って言われていたんですよ。

ちゃんと赤ちゃんの目を見ながら授乳しないとダメ、ってことで。

そうしていないと、成長したときに、精神的に不安定な子になるかもとか、

情緒に薄い子になってしまうとか、って話で。

子育てを終えた世代の人からすれば、

 お乳をあげる時期なんて、ほんの短い間。

 その間くらいは、赤ちゃんを最優先してあげてほしいわ。

と思ってらっしゃるな、というのをひしひしと感じたものです。

毎日毎日、赤ん坊に振り回されている新米ママの消耗度や、

日常の閉塞感をリアルには想像できなかったんだと思います。

「赤ちゃんを育てるのは大変」ということは、よくよくわかってらしても。

 

なので、ベビーカーの中の赤ちゃんが見上げているママの視線が、

ずっとスマホに注がれているのを見ても、やっぱり責められへんのやなあ。

その気持ちはわかる、って思ってしまう。

けれども、同時に怖いなとも思うんですよ。

昔の人が、テレビを見ながら授乳することに危惧を抱いたように、

スマホばかりを見ている母親を見て育つ赤ちゃんは、

どういう子どもになっていくのだろうか、って。

 

ビデオを見せていたらおとなしいから、とビデオ漬けで育った子が、

必ずしも情緒欠陥や、無気力な子になったわけではないから、

生まれた時からスマホがある世代の子が、

どの子もスマホ依存になるとは限らないでしょう。

けれども、子どもは親の姿を真似して大きくなっていくものだから、

一番興味のあるものがスマホになる可能性は大きいと思います。

スマホは便利だし、何でも教えてくれるけれど、五感に訴えるものでは

ないですよね。

そこが怖いと思ってしまうポイントなのかもしれません。

赤ちゃんや子どもさんの成長とっては、デジタルな情報よりも、

感触やにおいなどのアナログな体験を積んでいくことの方が大切でしょうしね。

ベビーの子育ての大変さもよくよくわかるけれども、

やっぱり赤ちゃんがママを見上げたとき、スマホを見る無表情な顔があるよりも、

自分を見てくれていた方がうれしいだろうなと、つい思ってしまうんですよ。

 

なんでおばちゃんになると、ママ目線ではなく、子ども目線で考えるように

なるんでしょうねぇ。

次の時代を作り、担っていくのはこの子たちなのだから、って思うからかな。

もう自分たちは引退組だからこそ、愛を注ぎたくなるのかもしれません。

こうしてずうっと大昔から、世代がめぐってきたんだなあ、

なんて、感じてしまいます。