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京都 四条高倉の占庭から

悩ましき年賀状

まだそれほどの師走感に追い詰められてはいないのですが、

今年の3月末くらいに、

「うそっ!もう1年の1/4が過ぎたなんて早すぎるっ!」

と取り乱していたのが、どんだけ甘かったのかを痛感している今日このごろ。

12月も、もう8日だなんて!

 

年賀状に、

 今年は遊びに行きます!

 今年こそ会いたいです!

 ゆっくり飲みましょう!

って毎年書いては、そのまんまなんですよねぇ。

そう書いてるときは、ホントにそう思っているんですよ。

「来年」一年間の内には、そういう機会も作れるんちゃうかな?

という希望的観測で。

 

でも、もうあっちゅう間にカレンダーは最後の一枚に。

今年も年賀状に書いたこと、全然実現してへんなあ。

一年間、何やってたんやろ・・・・

と振り返ってみると、それなりにあれやこれやはあったものの、

ほとんどは、なんてことない日常で埋め尽くされているわけで。

 

いや、もうここは、

本気でそれどころじゃなかってん!

という事態に陥っていたわけではなかったということを喜ぶべきなのではないか。

なんて考えるのは、自分に甘いですかねぇ。

 

やっぱり何事も「いつか」とか「その内」なんて思っていることの大半は、

実現しないものなんでしょうね。

意思ではなく意志をもって約束しないと、なかなか。

 

けれども、そういうゆるゆるした約束とか、関係というのも嫌いじゃないんです。

仕事のように、そこに責任や任務のある約束ではなく、「いつか」が通用する、

なんとなく会いたいなあ、ゆっくりお喋りしたいなあと思える相手がいるって、

いいですよね。

 

と思うことにして、また来年の年賀状にも同じような言葉を書くんだろうなあ、

わたし。

 

ああ、それにしても年賀状のデザインのよいアイデアが浮かばない。

毎年飽きもせず、いま時分は必ず年賀状で頭を悩ませています。

酉年って、やっぱニワトリですよね? 

ニワトリってかわいいとか、親しみやすいとかいうビジュアルじゃないしなあ。

ああ、悩ましい。

 

「もうええやん、フツウの年賀状にしたら」

という悪魔(?) のささやきにメゲてしまいそうな年の瀬。

 

あ、メゲるとか、もう言わないか。すでに死語?

ああ、言葉の新陳代謝にもついていけなくなる年の瀬。

(年の瀬は関係ありません)