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京都 四条高倉の占庭から

ワタクシゴトで恐縮ですが・・・・

よしなしごと

今日はというか、今日も占いとは関係のないお話です。

しかも、大変個人的なことで、すみません。

 

実は今日は息子の誕生日でして、29歳になりました。

3年前のこの日に書いた文章を思い出し、やっぱり今日も同じ気持ちだなあ、

と思ったので、それを転載いたします。

 

今日は息子の26回目の誕生日。
わたしが息子を産んだのが26歳だったので、そのときと同じ年になったんやなあ。

今朝、占庭へ来る途中に聞いていたラジオドラマ。
若くして亡くなった妻のことを幼い娘さんにきちんと伝えきれずに、
「ママは忙しいサンタさんのお手伝いをするために、お空へ行ってるんだよ」と話していたお父さん。
娘さんにきちんと話せないままに年月が過ぎていきます。
毎年クリスマスにはママからクリスマスカードが届きます。
7歳、8歳、9歳、ほんとうはお父さんが書いているクリスマスカードの内容も成長に合わせて変わっていきます。

その話を聞いていて、ああ、まだわたしは生きていてやりたいなあ、と思いました。
もう26歳やけれど、まだ「親」の存在が必要なときもあるやろな、って思って。
まあ、わたしがそう思いたいだけかもしれませんれどね。

妊娠8か月のときに、当時の夫に離婚してくれって言われました。
好きな女性と結婚するために、わたしと生まれてくる子どもを棄てるというんですねぇ。
そこでがんばって何が何でも別れない、っていう選択肢は、そのときのわたしにはありませんでした。

なにしろこれが初めてのことではなっかたし、このタイミングでそんなことを言い出す人との未来に一体何があるでしょう。
ただ悲しいばかりで、怒りすら湧いてきませんでした。

翌朝、途方に暮れたわたしは、大きなお腹を抱えて、これからどうしたらいいのか、わからないわからない、って思いながら、あてもなく外を歩き続けました。
知らない道を歩いて、歩いて、小さな公園に着きました。
足の指が痛くてスニーカーを脱いでみたら、靴下に血がにじんでいました。
いいお天気で、空はとても青かった。

わたしは思いっきりどん底の気分なのに、空はめちゃくちゃきれいなんですよ。拍子抜けするくらいに。


知らない公園の小さなすべり台の前で、丸くふくらんだお腹に向かって話しました。
生まれてきても、苦労してつらいことばっかりかもしれないよ。
生まれる前から、お父さんのいない子にしてしまって、ごめんね。って。


産んで、ちゃんと育てられるんやろか。いっそ流産した方が、この子のためなのかも。
そんな考えが頭をよぎって、すべり台の階段の1段目から飛び降りました。
次に2段目。3段目。
4段目か5段目あたりで、やっぱりそんなことはできない、と思ってやめました。
何時間も歩きづめに歩いたら、流産するかもしれない、って気持ちもあったんやろなあ。
お金も持たずに、カギだけ持って半日あまりふらふらして、結局、家に帰りました。
それから後は、もうとにかく産むしかない。そして育てるしかない。わたしの子どもや。と心は揺らがなくなりました。

出産後三ヶ月経つまでは引っ越ししない。離婚もそれから、と約束して、それまで通りの生活を続けました。
生まれた子を見て、夫の気が変わるかもしれない、という一縷の望みを心の底に持ちながら。 

その頃のわたしは、自分のことをかわいそうだと思う余裕もなくて。
とにかく元気な赤ちゃんを産んで、周囲の人に祝福してもらいたいという一心でした。
だから、離婚を迫られているということも誰にも話さずにいました。
そうじゃないと、子どもの誕生を手放しで喜んでもらえないと思ったんですねぇ。
話すのは、別れるギリギリになってからにするつもりでした。親にも友だちにも。
結局、息子が生後8か月のときに離婚したんですけれど、我ながらよくねばったと思います。
このねばりのないわたしがねぇ。

今日、ラジオを聞きながら、すべり台の階段から飛び降りたときのことを思い出しました。
そして、初めて、あのときの自分をかわいそうやったなあ、と思ったんです。
あのとき、わたし、今の息子とおんなじ26歳やったんや。
まだ子どもやん。そやのになんもかんもひとりで抱え込んで・・・・
そう思ったら、なんだか泣けてきてしまってねー
ベソベソ泣きながら運転してきました。
あのときお腹にしがみついていてくれた息子に感謝ですねぇ。

誕生日は生んでくれた親に感謝する日だなんていいますけど、わたしの場合はそうじゃないですね。
こんなわたしのもとに生まれてきてくれたことに感謝する日です。
よくぞ生まれてきてくれて、元気にここまで育ってくれた。
ほんとうにありがとう。

誕生日おめでとう、と息子に言うとき、それは同時にわたしが自分自身におめでとうと言っているのとおんなじなんやなあ、と気づいた26年目です。

 

これを書いてもう3年も経ったのかと、ビックリです。

けれども、思えばこの3年の間に、息子にもわたしにもいろんなことがありました。

親としましては、まずは元気で、そこそこ楽しく過ごしてくれていたら充分です。

子どもの誕生日に「おめでとう」と言えることは、ほんまにありがたいことですね。

神さま仏さまに感謝でいっぱいの一日です。