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京都 四条高倉の占庭から

ひとり泥仕合

よしなしごと

昨日、数年振りに梅田のドイツクリスマスマーケットへ行ってきました。

平日の早めの時間だったせいか、人も少なく、さほど寒くもなかったので、

のんびり見てきました。

なぜかここでは、何かを食べたり飲んだりしたことがないんですよねぇ。

いつもは混んでるからとか、寒いから、とか思ってたけど、

昨日、そうではないことがわかりました。

ああいうオシャレっぽいところで、ゆったり飲食するっていう柄ではない、

ってことなんやなあ、って。

 

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さて、今日は嫌いな人について。

 

誰しも、嫌いな人、苦手な人っていますよね。

元々は好きだったのに嫌いになったり、苦手になることもあります。

そういう人とつき合っていかねばならないとき、一般的には、

「その人のいいところを探してみよう」とか、

「誰にだっていいところがあるのだから、そこを見てあげて」

とか言いますけれど、あれは違うと思うんですよねぇ。

そんなことをしようとすると、ますますイヤなところが気になってしまいませんか?

「たしかにこういういいところがあるかもしれない。でも、あれはどうなん?」

みたいに。

 

ですので、いつもお話しするんですけれど、嫌いな人は好きにならなくていい。

嫌いなままでいいと思うし、苦手な人は、苦手だなあと思っていればいい。

できるだけ見ないようにすればいいと思うんですよ。

ヘタにいいとこ探しなんかしちゃうと、隅々まで見るもんだから、

やっぱりムリっぽい、ってところばかり目についてしまう。

その内、

他人のいいところを認められないアタシの人間ができてないのが悪いのよ、

と自分を責める人だって出てきてしまいます。

人間関係をよりよく、よりラクにしようとしてるのに、それでは本末転倒です。

 

なので、キライなところはなるべく見ない作戦をとっていただきたいのです。

その上で、イイところは認める度量をつけると尚ヨシです。

認めるといっても、一応、です。

相手に伝える必要はないし、好きになろうと思わなくていい。

「こういうところは有能だな」「正直だな」だけでいいんです。

その後に「ま、嫌いやけど」「やっぱり苦手だけどね」をつけてもOK。

 

注意点はただひとつ。

心の中で、相手の非を探したり、あげつらったりすることで、

自分の正当性を証明しようとしないことですね。

これは、無意識に誰もがやってしまうことですが、

実は何ひとつメリットがない行為です。

それが虚しい保身だと、誰より自分自身が感じてしまいますのでね。

 

相手の非を胸の内で列挙していくということは、

何度も同じ人にスポイルされた体験を反芻することと同じです。

「こんなにひどいことを!」

「あんなに愚かな人に!」

と何度も何度も、自分を繰り返し傷つけているわけですね。

自分の矜持を守ろうとしているのに、実は傷を深くしているのです。

直接、相手をなじったり、貶めたりするのではなく、

自分の心の内でだけ戦っているわけですから、

エンドレスの泥仕合にしかなりません。

ひとり泥仕合です。

不毛でしょ。

知らない間に、もっとかわいそうな自分にしてしまっているのです。

 

ですのでね、嫌いな人は嫌いなままでいいので、敢えて否定はしないこと。

苦手な人のいいところを見られる人になろうなんて努力は無用。

「嫌い」や「苦手」の原因や根拠をつきとめようとはせず、

むしろ、そこに注目しないように心がけてください。

 

難しいですよ。

けれど、これは訓練すれば、だんだんコツがわかってきます。

どうかご自分を傷つけないために、心がけてみてください。