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京都 四条高倉の占庭から

面食いでも面食いでなくても

よしなしごと

三日前に「しいたけ占い」について書いたのですが、

それに、しいたけさんがTwitterでお返事くださったり、

版元のマガジンハウス編集部の方がリツイートしてくださったりで、

自分のブログとは思えないようなオソロシイPV数になりまして、

大層びびってしまいました。

すごいすごいとは聞いていたけれど、SNSの拡散力というのは、

ホントにどえらいもんなんですねぇ。

なんだか自分らしからぬことになっている気がして、落ち着きませんでした。

いや、ほんとに瞬間最大風速とはこのことで、一過性のことですのにね。

膨大なフォロワーのいらっしゃる方とか、いわゆる有名人といわれる方は、

日々、広く耳目に曝されているということなんですねぇ。

有名税とは言え、大変なことだなあ、と思った次第です。

 

さて、今日は面食いについて。

面食いというのは、美男好み、美女好みの人ってことですよね。

「いやあねぇ、選り好みしちゃって」と非難されがちな方たち。

たぶんそれは、

「気立てよりも顔優先」な人ってどうなのよ?

という反感を買ってしまうわけですね。

 

たしかに「顔さえよければ、後はどうだっていい」に近い人もおられます。

でも、そういう人は、ほんとーにごくごく少数。

その滅多にいない偏った面食いと、よく言われる面食いはちょっと違うのでは?

と思うのです。

 

と言いますのも、みなさん、顔を選んでらっしゃいますから。

顔で選んでいるのではなく、自分の守備範囲の顔の方を選んでおられる、

ということです。

 

よく「生理的にダメ」とか言いますよね?

あれは、本当に大事なことで。

生理的というは、問答無用です。

相手自身が嫌いというのではなく、どうも生理的に受け付けない、

という、かなりシビアな反応です。

そんなこと言われたら傷つくし、言う人の人間性も疑ってしまう、

なんてこともあるかもしれないけれど、それは、誰にでもあるもので、

どうしようもないものだと思うんですよ。

生理的にどうこうというのは、矯正できる範疇のものではない

というのが難儀なポイントです。

努力や訓練でなんとかなるものならいいのですが、そうでない場合、

無理なものは無理なんですよね。

 

面食いの人というのは、その「生理的な部分」の顔に占める割合が、

高い人なのではないかと思われます。

こういう顔でなければ、どうもダメなのだ、ということで。

 

そういうことならば、どなたにも、

 大いに好み

 ふつう

 問題は多々あれど許せる

 整っているがいけ好かない

 ギリギリ許容範囲

 ちょっとムリかも

 ゴメンナサイ!

といったランクが、無意識ながらあるはずなのです。

で、それは、多分に「生理的」なものが支配しています。

「顔?顔なんてついてりゃいいのよ」みたいな人は、

生理的な好悪の顔に占める割合が極端に低い方なのでしょう。

 

ですのでね、面食いというのは、特別非道な選り好みでもないかな、

と思うのですよ。

そして、この顔っていうのはとても重要です。

結婚したならば、毎日向き合ってゴハンを食べることになるわけでね。

どんなに伴侶としての条件に秀でている人であっても、

この人の顔を見ながらの食事は憂鬱だ・・・・と思える人では、

日々つらいのではないかと思います。

 

もし、

「こんなイイ人なのに、どうも顔が、、、と思ってしまうわたしって、

 人間的に問題があるのでは?」

と悩んでらっしゃる方がおられましたら、それはしょうがないことだと、

ご自分を許してあげてください。

とりわけ美男・美女でなくとも、自分がそこそこ好もしいなあと思える顔の方を

選ばれたらよいと思います。

そこはもうお互いさまです。

 

「美人は三日見たら飽きる。不美人は三日見たら慣れる」

という言葉もありますが、それは世間一般の美醜と個人の好みにズレがある場合の

ことでしょう。

そして、そのズレが起こるのは珍しいことではなく、むしろそのズレがあるから、

世の中うまく回っているわけでして。

 

えっと、まとめますとですね、美人やイケメンを選びましょう、

ということではなく、顔に対するご自分の生理的な好みを譲れないのは、

決して悪いことではないと思いますよ、ということをお伝えしたかったのです。