先日の葵祭は好天に恵まれて、暑いくらいだったようですね。
いまの時期、京都の和菓子屋さんでは、
鮎をかたどったお菓子がたくさん並んでいます。
〇〇の鮎とか、若鮎の〇〇とか。
京都でお店を始めて八度目の夏。鮎を描いた店頭POPを見掛けると、
ああ、夏だなあ~ と感じるようになりました。
占庭のすぐそばの大極殿さんにも「若あゆ」があります。
こちら、パッと見はよくあるカステラ菓子のようなんですけど、
中にもっちりした求肥が入っていて、おいしいんですよ。
占庭は占い師はわたしひとりだけですし、週に4日しか営業していません。
それでも、細々と7年間やってきたからでしょうか、
最近はいわゆる「まとめサイト」で紹介されていることがあります。
ああいうのって、お金を払って載せてもらうものだと思ってたんですけど、
違うんですねぇ。
まったく知らないところで、意外なまとめられ方をしているもので、
なんか居心地の悪いキモチになったりもします。
無料で広告宣伝をしてもらっているようなもので、感謝すべきなのでしょうけれど、
「いや、ウチ、そういう雰囲気の占いの店じゃないねんけどなあ・・・・」
と思うこともあり、それを見て興味を持って来られる方がおられたなら、
とてもその期待には応えられそうな気がしないんですけどーーーー
と思ってしまうわけでして。
サイト等で「占い」というくくりでまとめられると、当然のことながら、
「当たるの?」
ということが第一関心事なんですよね。
まったく当たらない占いほど意味のないものはないので、
そりゃそうだなあとは思うのですが、それが
「未来を当てられるのか?」
に絞られると、それはなかなか困難だと思っています。
「将来、わたしはどうなりますか?」
と問われて、具体的に断言するなんて、わたしにはとてもできません。
占いを「未来を予言するもの」と捉えられると、困ってしまうんですね。
わたしの占いは、あくまで「運命」は予め定まっていない、という考えのうえで、
おひとりおひとりの運気を観て、生まれ持った「才」・「運勢」を
いかにご自身の希望に沿う形で使っていくのがよいか?
というスタンスでお話ししています。
占いとのつき合い方は、人それぞれだと思うのですが、
予言的に未来を「当てられるのかどうか?」というスタンスではなく、
ツールとして捉えていただくと非常にありがたいです。
「占いを信じる」・「占いは信じない」の二択ではなくて、
「ツールとして使うこともある」を入れていただければなあ、と思うのです。
ただ、タロットカードで占う場合は、カードが暗示する未来を
読み取ってお伝えする、ということになりますので、
生年月日で占う場合に比べると、やや予言的になります。
けれども、そこにも将来起こりうることに対しての、
注意点や、対策のよすがになるメッセージもあるので、
まったくの予言というわけではないんですね。
というようなことをお読みいただいて、
へぇ~~~ そっか。そういう考えなのね。
と思って占庭へいらしてくださると、ガッカリされることもないんじゃないか、
と、こうしてブログをつづっているわけなのです。