京都 四条高倉の占庭から

わかってはいるけれど・・・・

いよいよカレンダーも最後の一枚となりました。

毎年のことですが、なんとも気忙しいことです。

気忙しいだけじゃなくて、ホントに12月ってやらねばならない家事も増えるし、

私的な恒例行事やなんかも多い時季ですしね。

きっと飛ぶように日々が過ぎていくことと思います。

元気で走り抜けなければ! と、インフルエンザの予防注射は済ませましたよ。

 

今日は久し振りに、恋愛についての占い師の雑感を。

「わかっちゃいるけど、止められない」恋の道、っていうのありますよね。

 

 この人は、自分を大事にしてくれる相手ではないとわかってる。

 この人とつき合っていても、よい将来が描けないのは知っている。

 

なんていうのはまだマシなほうで、

 

 この人は、”人”としてサイテーだ。

 

と思いながらも離れられない場合もあります。

わかってる。わかってるんだけど、それでも・・・・

と思ってしまう理由として、

「どうしようもなく惹かれる」というのは意外と少なくて、

「必要とされているから」とおっしゃることが多いです。

ダメな人だとはわかっているけど、自分を求めてくれる人はこの人しかいない、

と思ってしまわれるんですね。

 

だれかから求められるということは、存在価値を認められるということです。

その求められ方が、いかに身勝手なものであっても、

その瞬間は、自分自身の存在を欲っする人がたしかに居たのだという

喜びを感じられるんですね。

それが憎からず、と思う相手であれば尚更です。

よろしくない相手だと、感じ取っていても。

人間は、だれかを求め、だれかに求められることを求めるものなのだあ、かくも。

としみじみ感じます。

 

誰かから求められることは甘美です。

それは恋愛に限ったことではないかもしれません。

その気持ちはね、とってもよくわかるんです。

つらいこと、キツイことのなかで、誰にもすがれないときに、

そういう人が現れると、すうっと引き込まれてしまうこともあると思います。

  

でもね、やっぱりそれはまずいんです。

そこには、だめんずの沼がぱっくり大きな口を開けて待っています。

ついうっかり足を踏み入れてしまった、と気づいたならば、

すぐに足を抜こうとしてください。

勇気と気力が要りますが、時間が経つほどに抜けられなくなってしまいますのでね。

 

「自分(なんか)を求めてくれる人は他にはいないから」

という理由で離れられないでいると、よいご縁はますます遠ざかってしまいます。

それは、もう立ち続けることに疲れてしまって、

「不幸」のイスに座ってしまうようなもの。

とにかく、淋しさから、孤独に耐えられないから、この人くらいしかいないから、

っていうことで、自分自身の価値を下げてしまうのは哀しいし、

あまりにももったいないことです。

 

自分でもわかっているんだけど・・・・というお話を聴くと、

その先が行き止まりとわかっている道を歩き続けるのはやめて、

えいっ! と思い切って、回れ右をする勇気をなんとか奮い立たせて!

といつもこころで願っています。

なかなか言えません。

だって、わかっているけどそうはできない理由が、

その人、その人のなかにあるわけですからね。

 

でも、不幸のイスから立ち上がらない限りは、しあわせのイスには座れません。

また、しあわせのイスは歩いてきてくれません。

まず、不幸のイスから立ち上がって、歩き出さないと。

なんて占い師に言われたからといって、

わかりました、歩き出します! とは思えませんよね。

そもそも、他人が他人を立ち上がらせることなんてできないのだと思いますし。

ご自身が立ち上がろうという意思をお持ちにならなければ、動けません。

 

しあわせのイスに座れるかどうかわからないんだったら、

不幸のイスにでも座っていたほうがマシ。

とあきらめてしまわないでほしなあ、と願うばかりです。