京都 四条高倉の占庭から

言葉が人相をつくることも

今朝はまず選挙に行ってから、占庭へ。

やっと春らしい気温になりまして、あちこちで桜も満開です。

週末の昨日今日と、京都はもんのすごい人出です。

週明けには、高瀬川花筏も見られるでしょう。

あの花筏というのは、まばらくらいのときが美しいですよね。

あんまりびっちり水面がピンク色というのは風情に欠けるかな。

 

さて、今日は人相のお話を。

だれしも、つい恨み言や悪口を言ってしまったり、

愚痴をこぼしたりすることはありますね。

それはもうしょうがないことだし、そうすることでちょっとガスが抜けたりもして、

それ禁止ね! って言うほどのことではないかと思うんですよ。

けれども、しょっちゅう誰かの悪口ばっかり言っているとか、

口を開けば不平不満ばっかり、

というのはおやめになったほうがいいです。

 

悪口や不満をニコニコしながら漏らす人はいませんよね。

みなさん、やっぱり苦々しい表情になります。

それがひんぱんになると、その表情が刻まれてしまうようで、

お顔がね、ゆがんでくるんですよ。

するとね、なんかイジワルそうな人相になってしまうんです。

それ、イヤでしょ。

イジワルじゃないのにイジワルそうに見えてしまうって。

なので、悪口や愚痴などはほどほどに、を心においていただきたいです。

 

一度、試しに、鏡を見ながら悪口を言ってみてもいいかもしれませんね。

口元がゆがんだり、目元が険しくなるのがよくわかると思います。

鏡を見ながら言うときはまだ冷静ですが、

エキサイトしてたりするとほんとに顔が恐くなります。

 これをたびたびやってちゃダメだな、って自覚も芽生えます。

 

また、汚い言葉や乱暴な言葉も、人相を荒ませていくような気がしています。

話し方や言葉の選び方で、人相がつくられたり、変わっていったりするんだなあ、

と感じることは、ほんとうによくあって、なんとももったいない気がします。

 

 唐突ですが、現在のわたしの将来の目標というのがですね、

「ほがらかな老人になる」なんですよ。

年をとれば菩薩のように、、、、とはきっとならず、

だんだんと出てくる不具合や、ままならなさに、

つい泣き言やワガママを言うてしまうと思うんですよねー

でもそこに、ほがらかさや愛嬌があるならば、

なんとなくゆるしてもらえるんちゃうやろか、という魂胆からです(笑)

その頃、ゆがんだ人相になっていては、愛嬌はかもしだせそうにない。

そう思うとですね、将来、ほがらかな老人になろうとするのなら、

いまからほがらかな人になっていないとムリ、ってことじゃないの?

と思い至ったので、いまからほがらかを心がけようと思います。

千里の道も一歩から。

いまからニコニコの先に、憎まれない老後があると信じて~