京都 四条高倉の占庭から

軽んじられた と感じるとき

ゴールデンウィークの後半あたりから、ひと息ついている占庭です。

年末年始から続いた、あのバタバタはいったい何だったのかしら。

ものすごく忙しくなると、やっぱりこんな仕事でも体力を削がれます。

気持ちも追い詰められてきて、

「ゆっくりでいいから。ひとつずつひとつずつ」

なんて、口に出して言いながら作業をしなければならなかったり。

週に4日しか営業してないくせに、そんなこと言うてどうすんのよ、

と思われるでしょうけれども、自分に合ったキャパってのもありますし、

そこを超えてしまわない調整というのは大事だなあと思いました。

細く長く続けていけるよう、なるべくムリはしない、

というスタンスを守ろうと思っています。

 

ブログの更新も滞りがちなのですが、更新すると、お読みくださった方から、

「あれって、わたしのことですよね?」

とメールを頂戴することがよくあります。

ひとつのブログで、数名からいただくことも珍しくないです。

ブログは、ふだんの占いやレッスンを通して感じたことを書いているのですが、

個別のどなたかへ向けて書くことはないですし、

元となったテーマも、どなたかお一人から得たもので書くことはありません。

もちろん、個人情報に関わるようなことも書けませんしね。

ですので「わたしのことかな?」と身近に感じてくださるのは、

うれしいことですし、ありがたいのですが、そういうスタンスで書いている、

ということをご理解いただけたらと思います。

 

 

仕事上、プライベートに関わらず、広く人づき合いの中で、

「あれっ、扱いが軽くない?」

「なんかぞんざいにされてない?」

というそこはかとない不満を抱くことってありますよね。

それは、

「もっと自分を大切に扱って然るべき」

というキモチが心のどこかにあるからなんですよね。

けれどもそれは、こちらが尊大だからっていうのでもなくて、

 これだけこちらは相手のことを思っているのに、

 そちらはその程度にしか思ってくれていないの?

という下からのガッカリ、というのもあります。

 

わたしはそういう思いが湧いてくると、心がザラっとして、

落ち着かない気持ちになります。

「自分はちょっとエラそうになってるんじゃないか?」と不安になったり、

「自分の思いが相手にちゃんと届いていないのかも」と落胆したりで。

 

でも、そういうときは「どうして?」と思わないことにしています。

相手には相手の事情もあるだろうし、うっかりしていたとか、

気づかなかったということだってよくあること。

真相を求めて考えたところで答えは出ないし、疑心暗鬼にもなりかねません。

現状をそのまま受け容れる。これしかないんですよね。

 

なんか雑な扱いをされているな、と感じて、

「所詮、相手にとってはその程度の存在なのか」と思うのはちょっとつらい。

けれどもそこで、

何が悪かったのか? と自分を責めたり、

ちゃんと誠意を尽くしてきたのになぜ? と相手を恨んだり、

なんてことは無用です。

「そうか、自分はまだまだだな」と思えばいいだけのこと。

「軽く見られてるなら、こちらもそのつもりで」みたいに、

相手に合わせて、自分のスタンスを変える必要はないと思うんですよ。

じゃないと、相手の言動が基準になってしまい、振り回されかねません。

 

なんか軽んじられてるな、って思うことは、

相手が目下の場合のほうが多い気がします。

年下とか、後輩とかね。

そう思うと、どこかで、年長者は敬って当然、みたいなキモチを

わたしも持ってるのかなあ、となんかうそ寒い思いになります。

そういうの、カッコ悪いですもんね。

 

ただ、思うのが、自分も相手を落胆させたりすることがあるかもしれない、

ということです。

自分はそういうこと、したくないなあ、って思うんですよ。

特に目上の人に対しては、ちゃんと礼を尽したい。

なので、たまに、あれれ? と思うことがあれば、相手に不満を抱くより、

先に自分を省みようと思うのです。