京都 四条高倉の占庭から

経験を積む・慣れるということ

ラジオからウルフルズの「大阪ストラット」が流れてきて、

おおー 久し振り~ と頬がゆるみました。

この曲をよく聴いていたころは、まだ倉敷に住んでいたんですけど、

いまは大阪に住んでいるので、地名や店名が、ああ、あそこね、

って、リアルなんですよ。

そうすると、曲との距離感みたいなのが、全然違うなあ、と感じます。

それは田辺聖子さんの小説を読んでいてもそうなんです。

最近、読み返してるんですけど、大阪を舞台にしている小説が多くて、

土地の持つ熱とか、勢いとか、肌で感じる気配のようなものが、

グッと迫ってきます。

ああ、わたしも大阪っていう土地に親しんできてるんだなあ、と実感します。

 

そして、それは京都でも同様で。

占庭は京都にあるので、週4で通っている内に、道もお店も覚え、

タテヨコの通りの名前でだいたいの場所が把握できるようになりました。

その場所で時間を過ごす、というのは、えらいもんですね。

なんとなく身に着いてくるもので。

 

そうして、その場に身を置くとか、回数を重ねるとか、

時間をかけ、経験を積んでいくことで自然に体得するものもあれば、

そうすることでしか得られないナニモノか、っていうのもありますよね。

仕事でいうならば、技術や技能はまさにそれなわけで。

 

占い師という仕事も、どれだけたくさんのゲストを観て、お話ししたか、

その経験の積み重ねが一番の勉強です。

見料というお金を頂戴しながら、データを収集しているようなものです。

ありがたいことですよね。

それをその後に活かしていくことで、お客さまに還元することができ、

かつ、占いの技量も上がっていくのだと思います。

 

けれども、経験を積むことは、慣れていくことでもあります。

慣れることは悪いことではないのですが、

それが安易な予測につながらないよう、注意も必要です。

また、長くやっていく内に、知らず知らずに妙な垢のようなものが

ついていってしまうこともあるかもしれません。

そうなっても、たぶん自分では気がつかないだろうと思うのです。

それはとってもとってもイヤなことなので、そうならないよう、

時々、立っている場所を自分で確かめ、心の鏡に自分を映してみてですね、

ありたい自分らしくいられているかな、とチェックしなければ、

と思っています。

 

ですので、

最近のみゆきさん、ちょっと変わってきた気がする、、、、

と感じられた場合は、ぜひ指摘してくださいね。

猛烈に反省しますので。