京都 四条高倉の占庭から

反対する親

残暑厳しすぎるこのごろ、真夏のようなゲリラ雷雨が連日起きています。

少し気温が下がった今日は、その心配はいらないのかな、というところ。

先日の台風被害の大きかった千葉などは、まだ停電が続いていて、

この暑さで、水までも停まってしまっていては、参ってしまいますよね。

作業をされている方の体調も心配です。

去年、関西へやってきた台風が、生きた心地がしないほど怖かったので、

台風と聞くと、あの恐怖がよみがえります。

そして、同じような思いをされたであろう方々にお見舞い申し上げます。

一日も早く、日常が戻られますように。

 

 

さて、親子、夫婦、兄弟姉妹など、血縁関係が円満な人と、こじれている人が、

相互に理解し合うということは、とても難しいと思います。

特に、こじれてしまっている人が、円満な人から理解を得るのが難しい。

当人にしかわからない確執、当人しか知らない過去の事柄を明らかにして、

なぜこじれを解消できないのかを説明することが、そもそも難しいし、

その上で理解を得ることはもっと困難です。

ここは、あんまり訴えたりしないほうがいいのかなあ、と思うほど。

その困難を乗り越えて、円満な人からの理解を得たところで、

それが何になるのか、というと、大きな成果、ってことでもないような気がします。

それよりかは、こじれている者同士で、ほんと大変だよね、大変だったよね、

と励まし合ったり、慰め合ったりするほうが、むしろ建設的なのではないか、

と思うくらいでね。

 

困難な親のひとつのパターンとして、

とりあえず、リスクの高そうなことには何でも一旦、反対したい、

という人がおられます。

この場合の反対の理由は、大きくふたつ。

もし、うまくいかなかった際に、

「だから言ったじゃない。だから反対したのに。」と言いたい場合と、

「親に反対されたくらいで諦めてしまう程度なら続かないから」

という観点で、一度、出鼻をくじいてみるという場合。

 

これはどちらも「親あるある」であり、迷惑な話です。

親の責任として、「ちゃんと育てなければ」と思ってらっしゃるわけです。

けれどもそれは、親御さんが思うところの「間違っていない道」だったり、

「無謀ではない無難な生き方」への誘導になりやすい。

実のところは親側が不安材料を払拭し、安心したいためなのだけれど、

「あなたのためを思って」「わざわざわかっている苦労をさせたくないから」

というコーティングを施されて伝えられます。

 

ではそこに、愛はないのか、というと、あるからややこしい。

親は子どもに幸福になってほしいと願い、

子どもは親に喜んでもらいたいと、健気に考えていることが大半です。

それじゃあ、どうしたらいいのさ、となりますよね。

 

こうすればよい、これがあれば大丈夫! 

なんて正解はあるわけないのですが、わたしが思うのは、

『何があっても生き抜くしなやかさと度胸』を身に着けられたらかなり強い、

ということです。

成功へとまっすぐに伸びた一本道なんて、あるはずないんです。

枝分かれはいっぱいしてるし、迷路みたいに行き止まりの道もあります。

行きつ戻りつしながら、歩いたり走ったりしてきた道が、

振り返ると自分の一本道になっていた、というのが人の一生なのでしょう。

それならば、折れず、倦まず、あきらめず、なんとかして生きながら、

自分らしい道を探していく柔軟さと、現実を受け止めるハートの強さがあれば、

大きく逸れた道へ踏み込んでしまうことはないんじゃないかと思うのです。

 

親御さんには、そういうお子さんに育てようと思っていただきたいし、

子どもさんは、そういう大人を目指してもらえたらいいなと思うんですよ。

それは親子ともに、本当の意味でタフになれる道でもあるのではないかなあ、

と思うので。

 

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」

と言ったのは誰でしたっけ。

そうあれたら、ほんとにカッコイイし、できれば目指してほしいです。

目指すことは誰にでもできるので。