京都 四条高倉の占庭から

子どもを信じるには

本日は気持ちのいい秋晴れです。

休みの日がお天気だとうれしくなりますね。

いつまでも暑い日が続いていましたが、さすがにもう秋です、秋。

ということで、やっとこさ扇風機をバラして洗って、ベランダで乾かしています。

 

そして、2年に一度の乳がん検診を受けてきました。

(1年おきだと千円で受けられます)

占庭のお客さまのなかにも、検診で見つかった方が数名おられます。

もらったリーフレットによると、40代と60代が特に多いのだそう。

もっと早くに行っておけば、、、

と後悔しないよう、みなさん、どうか検診に行ってくださいね。

 

先日、流れてきたツイートで、なるほどなあ、と唸ったのがこれ。

 

 ヤギの人(秋)@yusai00

あまりに過保護で心配性な親って、子どもを信用してないんじゃなくて、親としての自分に自信がない事の裏返しなのかも知れない。自分の自信のなさを、子をコントロールすることで解消しようとしているんじゃないだろうか、そんな事をふと思った。この場合、子どもが信頼されてるかどうかは関係がない。

 

もれなくわたしも、心配性な親なので、ちょっと耳が痛かったです。

過保護、過干渉、心配性な親御さんは、それはもうたくさんおられます。

親側からのお話も、子どもさん側からのお話もいっぱい聴いてきました。

そのなかで、心配性で、つい手や口を出さずにいられない親というのは、

 ・単純に子どもをかまいたい人

 ・世話を焼くことに自分の存在意義を見出している人

 ・子どもの失敗は親である自分の育て方の失敗だと非難されたくない人

 ・とにかく子どもに苦労させたくない人

 ・いつまでも親として特別な存在でいたい人

 ・愛情に飢えさせることを恐れ、加減がわからなくなる人

などに分けられるかなあと思っていたんですが、この、

「親としての自分に自信がない」というところ、

これらすべて 物語っていますよね。

 

そっかあ~

でもなあ、みんな自信を持って親になっているわけじゃないですもんね。

むしろ自信なんてカケラもなくて、必死で育ててるのが実際のところだろうと

思うのです。

にわかに自信は持てるもんじゃないので、自信はなくてもいいから、

なるべく口や手を出さないようにして「できるだけ見守るようにする」

を心掛けるだけでも、過干渉を抑えられるのではないかと思います。

子どもを信じるっていうのは、自分を信じることでもあるんですね。

たしかにそれは難しい。

 

そしてこう続きます。

 

相手に優しくすることで自分の弱さを補おうとする人が時々いる。でもそれはあんまり上手くいかない。自分の欠点を埋めるために相手を利用する事になるから。自覚的な場合はまだ反省できるけど、無自覚な場合は失敗しても「あんなに尽くしたのになんで離れていくんだ」って相手への恨みつらみがつのる。

 

気が弱くて、優しい人だと認知されることはよくあるわけですが、

この場合は、逆で、優しくあることが先行しています。

わたしは優しくすることで、自分の弱さを補う行為を、

そんなにダメなことだとは思えないんですよ。

そういう生き方だってあると思うし、悪くないです。

ただ、それが意図的なテクニックだったら、やっぱりすごくイヤだなあ。

優しければ、相手を傷つけなければ、それでいい、というわけではないですもん。

 

というように、

 なるほどなあ

 ほんとにそうだろうか? 

 それでももしかしたら

などと、いろいろぐるぐる考えます。

もちろん答えは出ないし、たぶん正解もない。

けれども、そうすることで、自分の考えを改めて見つめ直すことにもなるので、

まったくの時間のムダではないんですよね。

いい刺激になります。

 

「ヤギの人」さんは、僧職(ヤギだけに草食ではなくて)の方なのだそうです。

ヤギが好きだからヤギの人なんですけど、ヤギの写真だけじゃなく、

よく「ううむ・・・」と考えさせられるつぶやきが流れてきます。

ツイッターで、見ず知らずの方のつぶやきから学ぶことは多いです。

そりゃ、どうしようもなくげんなりするようなツイートもありますけれど、

それはそれで社会のひとつの顔でもあるのだから、しょうがない。

SNSは、ソーシャル・ネットワーキング・サービスですもんね。

ソーシャルの善悪、清濁ごちゃまぜです。

でも、どっちかだけでもおかしなことになりそうですしね。

それはそれで実は健全なのかもしれません。