京都 四条高倉の占庭から

キミ(あなた)は ひとりでも大丈夫な人だから

街路樹の紅葉が進んできています。

これから葉が落ち、枝だけの姿になるまで、意外と短いんですよね。

日中はよいお天気が続いていて、朝晩はしっかり冷えているので、

今年の紅葉は美しくなりそうです。

 

お客さまからいろんなお話をお聞きするわけですが、紅葉につきましては、

やっぱり嵐山が最高! というお声が多いですね。

また、永観堂東福寺なども、評判に違わぬ美しさだそうで。

その代わり、どこもたいへんな人出らしく、

「止まらずに歩いてください~~~!」とアナウンスされたりするんですって。

そりゃ、みんないい場所で写真を撮りたいですもんね。

思うことは同じなので、どうしても列は滞ってしまうということに。

いやあ、どんなにきれいでも、その人ごみに身を置く勇気と気力が湧かないわー

ってことで、毎年、近所や通勤途上の車窓から楽しんで終わりのわたくしです。

 

さて、恋愛や婚姻が破綻する際に、相手から、

「キミならひとりでも大丈夫だろ」

「あなたはひとりでも生きていける人だから」

と言われたことのある方、おられると思います。

愕然としますよね?

なんで? どうしてそう思うの? 勝手に決めないでよ!

と悲しみと怒りがごちゃ混ぜになって混乱したに違いありません。

 

そんな風に言われてしまう人というのは、なんというか、

全体的にちゃんとしている感じのする、メンタルを含め安定感のある人です。

いろんな意味で大人で、自立していて、自分の感情をそのままぶつけたり、

相手をコントロールしようなんてことはせず、

相手の人間性をきちんと尊重しようと努めている人が多いです。

そういう人はシッカリして見えるし、何があっても自分を見失ったりしないだろう、

生活や精神を大崩れさせたりしないだろうと思われてしまいます。

 

たしかにそうでしょう。

でもね、だからといって、傷つかないはずはないし、苦しまないはずはないんです。

気持ちの弱い、もろい人と、その悲しみに差なんてないんですよ。

 

「キミなら大丈夫」と言って去る人は、ずるい。身勝手です。

そんな言い草はフル側の後ろめたさを軽減するためのものでしかありません。

相手のダメージを軽んじ過ぎ。

「この人は自分がいなくてもなんとかやっていくだろう」と思いたいのでしょうが、

人をないがしろにするのもたいがいにせぇよ、と言いたいです。

 

逆に「あなたならひとりでも大丈夫」と言われない人はどういう人なのでしょう?

依存されてる感が強くて、この人をフッてしまったら壊れてしまうかもしれない、

もしくは、ものすごく恨まれそう、

なんて思える人、でしょうか。

そういう人をフルことだってあると思うんですけど、

その場合は、どんな言い方で去っていくんでしょうね。

「あなたには、わたしよりももっといい人がいるはず」とか、

「ぼくではキミを幸せにできそうにない」とか?

 

どれも、ありがちで、耳触りのいい言い方ですけれど、

それらは全部、保身以外の何ものでもありませんからね。

もし、こんなことを言ったことがある人がいらしたら、

ちょっと反省してもらいたいところです。

  

だいたいね、

「ぼくにはキミしかいない」

「あなたを失ったら、わたしは生きていけない・・・・」

なんて言う人は、しばらくは自暴自棄になるかもしれないけれど、

予想外に早く、次なる依存先である ”キミ” や ”あなた” を見つけ、

新たなる恋愛や婚姻に没入していかれるものです。

 

それよりは、一方的に「ひとりでも大丈夫」烙印を捺されてしまった人が、

自分の何が悪かったのか、どこが至らなかったのだろうか、と長く傷を引きずり、

気持ちを転換できないまま苦しまれていることがどれほど多いか、ですよ。

 

失恋でも離婚でも、一旦愛した人を捨てるのであれば、

相手を傷つけ、自分も傷つく覚悟くらいするべきでしょう。

その傷を少しでも軽く・・・・なんて小細工は何の効果もありません。

人と関わっていくということは、傷つく、傷つける、

を避けては通れないのですから。