京都 四条高倉の占庭から

貧富・美醜

3日後はクリスマスイブなんだそうですよ。

今年もあと10日で暮れるとか。

なんかもう他人事のように、へぇ~~~ なんて思いますね。

占庭も年内の営業日は、日、火、木と3日を残すのみとなりました。

それについても、

えっ、それだけ? そうなんやあ~~~

と実感のないこと甚だしい。

 

それでも、今年は年末年始の買い出しなどは、早めに取り掛かっています。

祝箸やお飾り、お餅を用意したりとか、その程度。

お正月は帰省して、ちょこっと新春占いもするので、

おせちをつくるわけじゃなし、テキトーです。

テキトーでも、なんか気ぜわしいのが年の暮なんですよね。

 

さて、本日のタイトルの「貧富」「美醜」です。

わたくし、いままで生きてきて、貧富であれば、貧のほう、

美醜であれば醜のほうと闘ってきた半生であったわけですが、

占いでいろんな方のお話を聴いていて、

富のほう、美のほうで苦労をされてきた、

という方も、少なからずいらっしゃるのだということを知りました。

 

お金や財産のある苦労とか、美しすぎることによる不幸とか、っていうと、

持たざる者の妬みとか、僻み、嫉みと申しますかね、

(よくある「ねたみ」「ひがみ」「そねみ」三点セット!)

「そんなんゼータクなこと! それって、悩み? 自慢ですか?」

みたいな反応を示す人のほうが多いと思うんですよねー たぶん圧倒的に。

ええ、ええ、わたしもそうでしたとも。

 

ところがですね、お金も財産も、あったらあったでいろいろ大変なんだなあ、

なければ起きないもめ事で、ひどく傷ついたり、傷つけたりすることもあるし、

解決のしようのないドロドロの苦しみから抜けられないこともある。

ということをたくさんお聴きしてくると、有り余るほどのものはいらないなあと

思うようになりました。

お金はあったほうがいいに決まってるけど、あまりたくさんは必要ない。

あったらあったで、その分、難儀なことも出来するようです。

なんでもそうですけど、自分の身の丈で制御できる範囲って、大事ですね。

困らない程度に、まあまあ地道に暮らしていけたら、

それはものすごくしあわせでラッキーなことなのかも、

と思います。しみじみと。

まあ、その、困らない程度に、という按排は難しいし、

まあまあ地道ではよしとできない人もおられるでしょうけれどね。

 

美醜もですね、美しい人は、トクをしていることのほうが多かろう、

とは思います。

きたないよりもキレイなほうがいいに決まっています。

器量の悪い人とよい人がいたならば、よい人のほうが親切にされることは多い。

これはもう、妬みや嫉みではなく真実です。

たぶん、人間は美しいものには弱いんでしょうね。

 

ところが、こちらもですね、あまりにもキレイ過ぎると、

生き方を見失ってしまうこともある、ということを知りました。

特に女性の場合「若くて美しい」というのは、非常に価値が高い。

その美しさの価値が、仕事や利益を生む場合もあるわけです。

そうすると、その美しさは個人のものではなくなってくるんですね。

ちやほやもされるし、実際に、バラ色の将来図を描いて見せられる。

そうすると、その人自身も、美しさの価値に賭けてみようと思われたり、

断れなくなる場合もあるようです。

 

けれども「若さ」は年月とともに確実に目減りしていきます。

それにビジネスが絡んでいたりする場合、

「美しさ」によって生まれる価値が予想よりも下回ってしまうと、

ただその美しさだけでよい、とされていたところから、

ステージを変えなければならないことになります。

周りのちやほやの色合いも変化していき、扱いが粗雑になっていったりもします。

当然、傷つき、焦ったり、苦しんだりすることになる。

「若い」「美しい」以外の自負や自信を持ち合わせている場合はいいのですが、

それを見出せない人は、自分の価値が地に落ちたように感じられると思います。

 

それって、つらいだろうなあ。

きっと他人からは全然、同情も共感も得られないと思うんですよ。

むしろ、ざまあみろ的な見方をする人もあるでしょうしね。

そこから堕ちずに、自分を立て直し、満足のいく生き方をつくっていくって、

なかなか大変なことだと思います。

 

また逆に、いつまでも美しさの価値が落ちない人もおられますよね。

それはそれで、いつまでも美しくあることを求められ、

価値を生み続けなければならないわけで、こっちもしんどいことだなあと思います。

 

そう思うと、生まれつき美し過ぎるのは、うらやましくないかも。

 

富める人は、貧しい人の生活や気持ちがわからないように、

持たない人は、持つ人の苦労もわからない、ってことなんですよね。

両者がわかり合えないのは、お互いに、ってことだと思います。

敵対するのも意味がないし、お互いを叩き合うのも不毛です。

 

時々「あんな何不自由ない人がなぜ・・・・?」と思うような、

成功者、人気芸能人、富裕層の人たちが、事件になったり、転落したり、

突然亡くなったりすることがありますが、それもいまでは、

なぜ? とは考えなくなりました。

あり過ぎることで壊れてしまうこともあるだろうし、

持ちこたえられなくなってしまうこともあるだろうと思うので。

 

お金に困らないのはうらやましい。

美しいのもうらやましい。

その気持ちはあるけれど、過剰なほどには必要ない。

世の中で価値のあるものを多く持ちすぎるのは、なかなかたいへんなようです。