京都 四条高倉の占庭から

人類は進歩していない

新幹線が混み始め、航空機も平常運航へと、世の中がどんどん動いています。

しかしながら、昨日はユニクロのエアリズムのマスクの発売日でしてね、

それが原因で渋滞が起きたりするくらい、まだマスクは重要アイテム。

ミズノのマスクも即完売だったらしいので、転売目的なのかもしれませんが。

とにかくマスク着用は暑いので、少しでも涼しいものを! 

という気持ちは痛いほどわかります。

なんとか夏を快適に過ごすアイデアはないもんですかねー

 

今日は、大きいような小さいようなことを書いてみようと思います。

今回のコロナ禍で、過去の感染症について言及されることも多く、

「歴史は繰り返す」みたいな切り口もよく目にしました。

これまでも「繰り返される歴史」的な問題は、いっぱいあって、

疑いもなく、そういうものかー と思っていたのですが、

最近は、そうじゃないのかも、と考えるようになりました。

歴史が繰り返されているんじゃなくて、人間が同じ過ちを繰り返しているだけ

なんじゃないか、って。

要するに、人間はいまも昔も変わらず愚かである、ってことなんじゃないの? と。

 

文明が発達しようが、過去の出来事を知識として蓄えていようが、

生きてる人、個々の経験値の量は、大昔の人とたいして違いはないのでしょう。

もちろん、世の中のスピードは速くなり、膨大な情報が絶えず流れ、

触れるものは圧倒的に増加はしていますけれどもね。

経験という点では、寿命の違いくらいの差しかないように思います。

人間はもうずーっと大昔から、他人を傷つけたり、何かを奪ったり、

差別したり、ウソをついたりしてきた、利己的なイキモノなんですよね。

だからこそ、人口が増大していけば、法やモラルで抑制しなければならなくなる。

そうしなければ、かならずや争いが勃発して、

結局は種の存続が脅かされることになってしまうから。

ヒトが賢くなって、争いをしなくなったわけじゃなく、

(むしろ武器が発達し、殺傷能力が上がりすぎたこともあり)

比較的良好な状態で、種をつないでいくための方便が、いまの世の在り方、

ということなのかもしれません。

しかし、万人にとってよい状態をつくるのは不可能なので、どうしたって、

いつも世界のどこかで不満が暴発しています。

それはもう世の常というか、ヒトの世の宿命なのかもしれないと思うほどで。

 

だからね、ニンゲンは賢くなっている、って思っちゃだめなんですよ、きっと。

科学や文明が進歩することと、賢明になることは別物なんですよね。

そこに驕りがあると、なんかもうとんでもない方向へ暴走していくんじゃないかと

恐ろしい。

よその国と比べたり、自分ではない誰かと比べたりすることは、

そのまま優劣の比較になってしまいます。

マウントの取り合いは、だいたい感情的になるもので、ロクなことになりません。

そもそも、その比較の基準が個々バラバラですもんね。

ヒトは愚かなイキモノだと自覚することで、愚かな民衆になることを

多少は抑制できるのではないかしら、と思うのはぬるい願望でしょうか。

 

「近頃の若者はなっとらん」みたいな話はソクラテスの時代からあったらしいので、

いつの世も、人間のレベルにそれほど違いはないんでしょう。

それでも、生まれついたそれぞれの時代で生きるしかないから、

みんな必死に生きてきた。

いまもそうですよね。

たまたま生きているこの時代の、偶然につくられた環境のなかで、

与えられた命を生きていくしかない。

 

なんてことをですね、突然降りかかったコロナの中で、つらつら考えていました。

それで凡人のわたしが思ったのはですね、

愚かでもいいから、他者も自分も傷つけないで生きたい、ということでした。

欲を優先するのはどうもまずそうなので、それは後回し。

自分の守りたいものを守り、他人の守りたいものを阻害しない。

そうすれば、お互いを尊重し合って生きていけるんじゃないか、って。

 

ええ、ええ、わかっていますとも。

そんなことは理想であり、おとぎ話にすぎないと、おっしゃる向きもありましょう。

だけどそれができれば、人類は進歩していけるかも、と思ったりもするのです。