京都 四条高倉の占庭から

かわいいおばあちゃんに

各デパートがしのぎを削るチョコレートシーズン、ですが、

今年はさすがに特設チョコレート売り場に人が殺到、

みたいなことはないようです。

例年のような試食もできないでしょうしね。

しかしまあ、ひとかけ何百円(千円以上のものも!)もの高級チョコよりも、

リンツのリンドールのほうが断然おいしい、と思うわたくし。

四方八方チョコレート! という売り場を見て回る楽しみのほうが

大きかったのかもしれません。

 

占庭には親子やきょうだいで来られるお客さまも、結構おられます。

母娘だけではなく、母息子、兄妹ということも。

仲のよい母娘さんの場合、

「かわいいお母さんだなあ」

感じることが多いです。

娘さんのお話の中でも「ウチのお母さん、かわいい人なんです」

ということをお聞きすることは、ままあります。

他人から見てそう感じることはあるにせよですね、

子どもから親を見て「かわいい」と思うポイントってどういうところなのか、

イマイチわからないよなあ、と思っていました。

 

先日も、娘さん(リピーターさん)と一緒においでになったお母さんが、

「占い、初めてなんです。緊張します~」

とおっしゃっていたのですが、占い始めてからのリアクションも新鮮で、

とてもたのしくおしゃべりできました。

お帰りになるころにはすっかりリラックスされていて、瞳もキラキラで。

そうか、かわいいお母さんって、まさにこういう人なのね、

と思ったのです。

 

甘え上手とか、親らしくなくていつまでも年を取らない子どもみたいとか、

ドジっぽくてかばってあげたくなるとか、そういうんじゃないんですよね。

要するに、見る側が、他人だろうが、子どもだろうが、

年齢や、職業や、見た目なんかも関係なく、

「かわいい人だなあ」と感じるフレッシュさがある、ってことですよ。

でもって、ちょっとだけ危なっかしいところもある。

うん。言葉にしたら、なんてことない当たり前のことですね。

 

その時に、あ、わたしにはムリだ、と思いました。

ちょっと、子どもから「かわいいお母さん」とか思われてみたいとかね、

わたしも考えてみたりしたんですよ。

そういうの、なんかうれしいじゃないですか。

だけど、どう考えても、わたしに、かわいい親要素はない、

ということを痛感しました。

あんなかわいいお母さんには到底なれへんもーん。

 

で、ですね。そこで考えたんですよ。

年取ったら、口うるさい、憎々しいばあさんになるんじゃなく、

かわいいばあさんになりたいもんだ、とか、よく言いますでしょ。

あれね、年取ってからかわいくなろうとしても無理なんちゃうかな、って。

元々、かわいい人要素がなければ、かわいいばあさんにはなれないでしょ。

 

愚痴不満の多いいつも不機嫌な人や、マウントを取りたがる人はもとより、

自分がガマンすれば丸く収まるからと感情を抑制する人、

周りに迷惑をかけてはいけないという責任感の強い人、

正しくありたい正義感の強い人なども、年を取ってかわいくなった、

とはなりづらいんじゃないかと思ったんですね。

かわいいおばあちゃんになりたいと思うのならば、やっぱり、

中年期にはかわいいおばちゃんになってないと難しいかもなあ、と。

 

いますでに、かわいいおばちゃんになり損ねているわたくしはですね、

せめて陽気でほがらかなおばあちゃんを目指そうじゃないか、

と思うことにしました。

ええ、キッパリ、かわいいはあきらめました。

いまからそういう人相をつくるべく、何事も悩みすぎず、

できるだけ笑顔で過ごすようにしようと思います。

今日の先に、未来はあるんです。

ひとつひとつの上機嫌の先に、陽気でほがらかなおばあちゃんがあると信じて。

二度目の緊急事態宣言後

日本各地で緊急事態宣言が出ています。

関西も、大阪、京都と出ていまして、時短営業や休業のお店が増えてきました。

飲食店の店先には、軒並み貼り紙がしてあります。

四条通や、錦市場なども、空き店舗が出ています。

かつてこんな風景を見たことがないので、ギョッとしてしまいます。

が、新店舗がオープンしてたりもするので、それはそれですごいなー

と思って見ています。

昨年の緊急事態宣言の時と違って、今回は百貨店も営業していますし、

飲食店以外に休業要請も出ていないので、占庭も営業を続けています。

12月までと比べると、お客さまは減少していますが、

「休業しないんですか?」と聞かれることもなくて、

前回のときのような世間のピリピリ感は感じられませんね。

 

けれども、

「仕事柄、いま、京都までは行くわけにいかない」

「電車に乗るのが怖い」

なるべく感染リスクを下げたいというところで、電話やZoom、

メールでの占いのご依頼も増えています。

電話やZoomでの占いは、営業日に限らず、営業時間外でもお受けできますので、

お気軽にお問合せください。

Zoomにつきましては、自宅のほうがWi-Fiの環境がいいので、

むしろ定休日にお受けしたいところです。

 

わたしとしましても、いま、お店にいらして~ と言うのも憚られますし、

「やっぱり今はやめておきます」というキャンセルのお気持ちもわかります。

占いは対面で観る以上によいものはないに決まっているのですが、

今は、ご自宅から出ず、非接触でできる占いも並行してやっていかなくちゃなあ、

と痛感もしています。

 

また、わたし自身の感染リスクも低くしていかねばならないので、

通勤通学の時間帯を避けるべく、ご予約のお客さまが終了しましたら店じまいとし、

なるべく早く帰宅するようにしています。

近ければ自転車通勤などもできるのですが、かなり遠いもので、

そういうわけにもいきませず。

 

しかしながら、今後の状況如何によっては、休業に入る可能性もあります。

その場合はまたお知らせいたしますね。

 

みなさんも、どうぞお気をつけて。

気をつけながらも、できるだけほがらかに過ごしましょうね。

気持ちまでどんよりしてしまったらウィルスに感染する前に、

腐ってしまいますから。

 

あ、そうそう、腐ってるといえば、今朝、すごくいいツイートが流れてきたんです。

山田詠美さんのbotアカウントでした。

 

 山田詠美

 
@AmyYamada_love
 
出し惜しみした思いは、その側から使いものにならなくなって行って、やがて賞味期限が切れちゃう。そんなものばかりを心に保存していたら、新しい思いを入れる場所もなくなる。それまでの私、相手へのいつくしみを、いつだってけちって腐らせていた。

 

ね、すごいでしょ。

わかる。わかりすぎる。

発酵はまだしも、腐ったらもうどうにもなりませんもんね。

腐らせてしまうのは、たいがい自分自身です。

てことは、自分で腐らないようにすることは可能だってことですよね。

うん。腐らないようにしなくっちゃ。

島田潤一郎さんの文章を読むと

今日は成人の日。

自治体によって、成人式が中止になったところ、延期になったところ、

決行したところと、まちまちです。

例年通りの行事ができない状況下で、成人を迎えた方々は、残念なお気持ちだと

思いますが、お祝いです。

成人、おめでとうございます。

 

今朝、夏葉社のツイートで、高知新聞に載った島田潤一郎さんの文章が

流れてきて、読みました。(拡大して読めます)

viewer-data.kochinews.co.jp

 

親の気持ち、特に、父親の子どもへの愛情が伝わります。

そうだよなあ、親の子どもを思う気持ちなんて、育っていくものだし、

変わっていくものでもあるよなあ、と。

島田さんの文章を読むと、いろんな感情が渦巻いて、

わたしはいつも泣いてしまいます。

 

島田潤一郎さんは、夏葉社という小さな出版社の代表です。

(新しいレーベルの岬書店もあります)

初めて島田さんの本を読んだのが、ちょうど1年ほど前でした。

「古くてあたらしい仕事」という本には、島田さんがどういう気持ちで会社を

立ち上げ、働き、本をつくり、どう生きていきたいのかが、書かかれていました。

 

島田さんはうまく世の中を渡っていける器用な人ではないようで、

お勤めもなかなかうまくいかず、転職活動でも50社連続不採用となり、

そこから出版社を起こされました。

編集の経験もなく、元々は小説家志望で、起業したかったわけでもなく、

上昇志向もない島田さんが、現代の厳しい出版業界で、

しかもたったひとりでやっている小さな出版社を続けてこれらたのはなぜか?

この仕事が好きだという気持ちは、どのようにして生まれ、維持されているのか?


自分が大事にしたいこと、大事にしたい人、大事にしたいものなど、

大切なことを大切に慈しみ、それらが報われるよう誠意を尽くして取り組んでいく。

嘘をつかず、自分だけが得をしようとせず、駆け引きをせず、でも妥協はせず、

ひたすら真摯に仕事に向かう。

いい本をつくりたい。

いい作品をもっと知ってもらいたい。

手元に置き、何度も読み返したいと思う本にしたい。


それらは「売れる」本を売れる時期に大量に売り逃げるようなやり方の、

対極にあります。

全然、いまふうの事業のやり方ではないのです。

けれども、だからこそ協力したいという人もいるし、応援してくれる人もいる。

大儲けはできそうにないけれど、仕事を愛して、正直に生きていくことはできる、

というのは、とても魅力的です。

もちろん、それは容易ではないので、誰にでもはできません。

やっぱりそこには覚悟が要ると思うのです。

読んでいて、何度もうなづき、何度も涙ぐみました。

「ああ、やっぱりこれでいいんだ」と思えました。

こういう仕事の仕方、生き方、わたしは大好きです。

そしてわたしと同じように、大好きだ、と思う人が、

きっと世界中にたくさんいるだろうと思います。

そう思えることで、こころがふわっとやさしさに包まれるような気持になります。

とてもとてもいい本でした。

 

昨秋、「AERA」に島田さんのインタビュー記事が載っていたのですが、

うっかり買いそびれてしまって、図書館で貸し出し予約をしました。

その順番がやっと回ってきて、ちょうど今朝、借りてきたところでした。

なんという偶然。

 

インタビュー記事には、知っている京都の本屋さん、古本屋さんが出てきて、

それぞれの店主のお顔が目に浮かびます。

そしてやっぱり、読みながら涙ぐんでしまいました。

何なんでしょうね。

励まされるように感じ、うれしさに胸がいっぱいになると同時に、

自らを省みて、チクリと胸が痛む部分もあるのです。

 

11月に出版された「父と子の絆」も早く読みたいのですが、

ネット注文ではなく、この本はどうしても本屋さんで買いたくて、

あちこち行って探すのですが、まだ見つけられていません。

こうなったら、出会えるまで焦らずじっくり探しますよ。

消えてしまった内田善美さん

どこへも行かないお正月って、いいもんだなあ、と感じている2日です。

朝は7時に起き、洗濯をし、お雑煮とおせちっぽい常備菜などを食べ、

ナウシカ歌舞伎と宝塚スペシャルのテレビ番組を見てたらお昼。

お昼は、冷やご飯をあたため、ありもので済ませます。

ああ、極楽。

そして、卵の賞味期限が近いので、プリンを作って、冷ましているところ。

週に4日しか営業してないくせに、なぜだかいつも慌ただしいわたくしの日常。

そこから乖離した時間って、こんなに簡単に手に入れられるものだったんですねぇ。

わざわざ温泉宿や、避暑地に行かなくても、こんな風にのんびりするほうが、

ずっと骨休めになるんちゃうの?

ということに気づいてしまいました。

 

で、今日のブログも、やっぱり占いとは全然関係のない話です。

 

今朝、「ちくま」1月号を読んでいましたら、恩田陸さんが、

「現代マンガ選集 少女たちの覚醒」というアンソロジーを編まれた、

と書かれていまして。

恩田陸さんとは、年齢も近く、読んでいた少女漫画雑誌が、

「なかよし」「りぼん」「別冊マーガレット」「週刊少女フレンド

週刊マーガレット」「花とゆめ」「LaLa」と、ほぼ同じ。

なつかしー というだけのことが言いたいのではなくてですね、

このアンソロジーを編むに当たり、どうしても入れたかった作品がある、

という話なのですよ。

 

実は、私はこのアンソロジー内田善美の「ひぐらしの森」を入れるのが

一番の目標だった。悲願といってもいい。

 

とあり、おおお、内田善美さん! わたしも大好きですよ。ぜひ、ぜひ! 

とうれしくなって読み進めていましたら、それは叶わなかった、

ということがわかってきました。

内田善美さんは「消えた漫画家」と呼ばれているのだそうです。

誰も連絡先を知らなくて、連絡のつけようがないということは、

著作権者を特定できないために、載せられない、ということなのですよ。

この情報過多の世にあって、そんなことがあるんだ、と驚きました。

また、そんな理由で断念せねばならなかった恩田さんの無念さも

察するに余りあります。

ううう、残念すぎるー

 

ひぐらしの森」と並んで「空の色ににている」も紹介されていました。

そう。この2つの作品は、独特なしんとした深い世界観の、とても素敵な漫画です。

恩田さんにとって「特別な作品である」ように、わたしにとっても、

非常に思い出深いもので、引っ越しの際の書籍類大処分のときにも、

手放すことはありませんでした。

そういう事情であれば、今後も復刊は難しいでしょうから、

大事にとっておいてほんとうによかったと、胸をなで下ろしもしました。

 

しかし、ファンも多かったであろう内田善美さんのその後がわからないとは。

人ひとり、そんなにキレイに消えてしまえるものなんでしょうか。

ご本人が、漫画家をやめられるのは自由だから、残念でも仕方ないですが、

そういう形で、作品までもが、絶版ですらなく「品切れ」状態のままで、

この世界から消えていくのは惜しくてしょうがないですよ。

 

ああ、せつない。

2021年になりました

明けましておめでとうございます

旧年中は占庭と関わりをお持ちくださり、ありがとうございました

本年も変わりませずよろしくお願いいたします

 

みなさま、寒さが厳しくなりました新年、どのようにお過ごしですか?

わたしは例年でしたら、新春イベント占いに出たり、帰省したりで、

年末年始をべったり自宅で過ごすことはないのですが、

今年はそれらもなく、気になるところを掃除して、おせちも注文し、

あとは自分たちが食べたいものだけをちょこちょこっと作っておいて、

初詣も初売りにも出掛けず、家でのんびり過ごしています。

こんなお正月は初めてかもしれません。

 

昨年、新型コロナがどんどん広がり始めたとき、

未知のウィルスだし、生まれてこのかた「疫病」を恐れるという経験もなく、

こんな時、どうすべきなのか、さっぱりわかりませんでした。

とにかく、まずは、

〈 間違った情報に翻弄されず、正しい情報を得なければ。どうすれば? 〉

と思ったわけですが、その状態が今に至るまでずっと続いている状態です。

1年近く経ちましたが、まだまだわからないことだらけのウィルス。

見えない、匂わない、触れられないものを避けるというのは、

なんと難しいことでしょうか。

 

緊急事態宣言が出て、お店を休業した自粛期間は、とにかく

「うつるのも怖いが、知らぬ間に誰かにうつしてしまうのはもっと怖い」

という恐怖に囚われて苦しかったです。

緊急事態宣言解除後は、手指の消毒や、換気する、密を避けるなどの

基本的な自衛手段を心がけつつ、しずしずと日常生活を送ってきました。

そうして、しずしずと暮らしていれば、

その内、少しずつ下火になっていくんじゃないか、

と淡い期待もあったのですが、やはり風邪のようなウィルスだけあって、

気温が下がり、空気が乾燥するにつれ、猛威を振るってきました。

残念ではありますが、まあ、そらそうやな、という気もします。

 

海外ではワクチン投与も始まっていて、それがどのような効果を発揮し、

また、副作用等のリスクが発生するのかも気になるところ。

それらもまた、「情報」から信用できそうなものを見極めていかねばなりません。

新聞、雑誌、TV、ラジオ、ネットと、とめどなく情報が流れてくるので、

膨大さにのまれてしまいそうになります。

たくさん見聞きすればよくわかる、というんでもないので、

質のよさそうなものを選んでいくことも重要です。

楽観的、悲観的、どちらの情報もあるわけですが、

それらの信じたい方を信じるのではなく、

・いま現実に起こっていることを見て、自分なりに考える。

・避けようのあるリスクは避ける。

・不安を煽らないよう、煽られないようにする。

というごくごく基本的なスタンスを守っていこうと思っています。

 

そして、これもずっと考えていることですが、

たまたまこの時代に生まれついたわけですから、

リアルタイムで経験した者として、どのような経過をたどり、

どのような幕引きとなるのかまでをきちんと見届けたいですよね。

そのためには、ウィルスに斃れるわけにはいかないのだー

いやいや、健康を害するのはウィルスに限ったことじゃないですね。

心身に気を配りつつも、なるべくほがらかに過ごし、

新型コロナウィルスの終息まで生き延びねば、ですよ。

 

あ、新年早々のブログなのに、なんかおめでたいムードじゃなかったですね。

ごめんなさい。

 

年初ブログっぽく業務連絡もしておきますと、

占庭の新年の仕事始めは、7(木)の予定です。

今年もふつうに営業を続けていけるのかどうか、甚だ不透明ですが、

状況を見ながらやっていきますね。

年末です

よその占いのお店はどうなのかは知らないのですけれど、

占庭の場合、例年、年末は結構ヒマで、年明けから春先くらいまでが、

繁忙期になります。

新年になると「今年はどんな年になるのかしら?」と気になってくる

ってことですね。

けれども、気忙しい年の瀬にも関わらず、リピーターさんのなかには、

締めくくり的に「年内にもう一度行っておこう」と思っておいでくださる方もあり、

ほんとうにありがたいなあと染み入ります。

 

2020年は新型コロナの流行で、生活も世の中も一変し、

占庭も2か月間、休業しました。

現在も、感染する人はどんどん増え、変異種が相次いで発見されてもいて、

冬場ということもあり、今後どうなっていくのかわかりません。

一時、どっと増えていた京都中心部の人出も、目減りしてきています。

占庭の年末年始休業は、12/28(月)~1/6(水)としていますが、

ひょっとすると休業期間を延長することになる可能性も否めないなあ、

と考えているところです。

世の中の動きを見て、自分の考えと合わせて、臨機応変にやっていきますね。

営業についてや、空き状況などは、随時Twitterでも発信していますので、

こちらもご参照いただければと思います。

うらないし@占庭 (@uranaishimiyuki) | Twitter

 

毎年、年末になれば大掃除もしたくなるし、年賀状も書きたいし、

年越しそば、お雑煮の準備、おせちもちょっとは作りたい、

とまあ、わたしも人並みに、ああ、忙しい忙しいモードに突入します。

が、今年は世の中全体が、クリスマスムードも迎春ムードも控えめですし、

我が家も初めて、年始の帰省を取りやめて、ずっと自宅で過ごすことになり、

いつもほどの切羽詰まった感はないんですよねぇ。

これは、思い返せば、4月5月の自粛期間中に、昨年末に積み残していた

掃除や片付けをやっていたからかな、と。

もっと思い返せば、マンションの外壁、ベランダの防水工事などもあって、

ベランダの大掃除もやりました。

そしてそして、冷蔵庫が壊れてしまったことで、一旦中身の総点検は終えていて、

新しい冷蔵庫は当然ながら、まだぴかぴかなので、こちらも気にならない、

といういろんな我が家的要素も加わっているのでした。

 

年末、あれもこれもと気になって、キリキリした挙句、毎年時間切れになり、

「埃では死なない」「汚れていても新年は来る」とお決まりの諦念に至る、

を繰り返してきました。

が、今年は「できるだけ家で過ごそう」という状況ですもんね。

もうゆっくりでいいか、という気持ちになりました。

医療の最前線で必死に働いてらっしゃる方々のことを思うと、

家でゆっくりするのは大変贅沢であり、申し訳なくも思うのですけれど、

わたしたちがいま、一番心がけねばならないこと、大切なことは、

できるだけ心身を健やかに保つことですよね。

それが、自分のためにも、周りのためにもなるわけで。

 

占庭の営業は、明日12/27(日)が、年内最終となります。

なんとかこうして、元気で年の暮を迎えられ、ありがたいなあと、

今年は格別に感じられます。

なぜ愛しすぎてはダメなのか

日曜日の朝のこと。

地下から四条大橋に上がると、歩道の人たちが手を振っているのが見えました。

いったい、何が??

と見ると、列を成して走っているバイク乗りさんたちが、

みんなサンタやトナカイの扮装をして、道行く人たちに手を振っていて、

信号待ちの人たちも、笑顔になり、彼らに手を振っていたのでした。

この風景は、以前にも見たことがあるので、もしかしたら毎年のことなのかな?

寒さが増してきた師走の街で、こころがなごむ風景でした。

こういうことに、たまたま遭遇すると、すごくラッキーな気分になりますね。

 

先日、久し振りに会った友人との会話で、映画の話になりました。

彼女がその名を知らない鳥たち』2017年に封切られたものです。

kanotori.com

映画好きの友人は、映画館で観ていたのですが、わたしはいまごろになって、

WOWOWの録画で。

(ネタバレしますのでご勘弁を)

 

あらすじはこちら。

15歳年上の男・陣治と暮らしながらも、8年前に別れた男・黒崎のことが忘れられずにいる女・十和子。不潔で下品な陣治に嫌悪感を抱きながらも、彼の少ない稼ぎに頼って働きもせずに怠惰な毎日を過ごしていた。ある日、十和子が出会ったのは、どこか黒崎の面影がある妻子持ちの男・水島。彼との情事に溺れる十和子は、刑事から黒崎が行方不明だと告げられる。どれほど罵倒されても「十和子のためだったら何でもできる」と言い続ける陣治が執拗に自分を付け回していることを知った彼女は、黒崎の失踪に陣治が関わっていると疑い、水島にも危険が及ぶのではないかと怯えはじめる――。

 

まあ、出てくる人、出てくる人、どの人もひどいんですよねぇ。

「イヤな女」十和子  蒼井優

「下劣な男」陣治  阿部サダヲ

「ゲスな男」水島  松坂桃李

「クズすぎる男」黒崎  竹野内豊

どの俳優さんも、好感度の高い人ばかりなんですけれど、役柄はサイテーです。

 

十和子は、タチの悪いクレーマーで、ストーカー気質で、イケメンというだけで、

見境なくメロメロになる、自立できない女。

陣治は、不潔で、がさつで、下品で、周りが全然見えない男。

水島は、見た目のよさを利用する、情のない女好き。

黒崎は、エエカッコしぃで、ルーズで、流されるままに堕ちていく暴力的な男。

要するに、みんな中身がスカスカな人ばっかりなんです。

他の登場人物も、どこかヘンだったり、明らかにおかしかったりしていて、

どの人に対しても、まったく共感できないんですよ。

こんな映画も珍しい。

しかし、このキャスティングがめちゃくちゃ嵌っていて、驚きます。

 

陣治(阿部サダヲ)は、ただひたすらに、一目惚れした十和子(蒼井優)を愛し、

十和子のためだけに全身全霊を捧げます。

十和子が生きているだけでいい、笑ってくれていたら最高にうれしい!

すべては十和子のために。十和子の望むままに。

 

そう聞くと「純愛」であり「無償の愛」であり、素敵じゃないか、

と思われるかもしれませんが、やっぱりそこまでいくと、

それは閉ざされた世界であり、狂気です。

 

友人が、

「陣治みたいに尽くされたら、好きでなくても、わたしやったらほだされてしまう。

 あんな風に愛されてみたかったなあ」

と言うのですが、たぶんそうはならないと思うんですよ。

男も女も、それほど好きでもない相手からどんなに愛されても、尽くされても、

それに対して、ほんとうに感謝したり、喜んだりはしないものです。

他の誰にも目移りせず、ただひたすらに相手を肯定し、求め、愛していたら、

相手はその上にあぐらをかくようになります。

何をしても、何を言っても、愛してくれる相手に、最初こそ驚いたり、

感動したりするかもしれないけれど、次第にそれは当たり前になり、

相手を軽んじるようになっていくんですよね。

という話をしてると、友人も、

「あ、そうかも。わたしも若いころ、相手が必死すぎる時は、

 どこか軽んじてたとこがあったなあ」

と言っていました。

この友人は情に厚く、また、情に流されるところもある、熱くて誠実な女性です。

その人をもってしてもこうなんですから、そういう感覚って誰しもがもっている、

人間のどうしようもない部分なのではないかと思います。

 

誰かを必死で愛しているときって、

「こんなにこの人のことを深く愛した人は他にいない」という自己満足や、

「死ぬほど好きな人がいる自分」に酔っていたりするところもあります。

そして、こう思うんですよ。

「いつかわかってくれる」

「喪ったときに、あんなに愛してくれた人はいない、と思い知るに違いない」って。

 

でもね、そんなことはないんです。

相手は一瞬そう感じたとしても、すぐに忘れてしまいます。

覚えてたって、そんなこともあったなあ、くらいですよ。

あれほどの衝撃にさらされた映画のなかの十和子だって、

ひと月もすれば忘れるんじゃないかと思います。

ひと月せずとも、イケメンと知り合ったら、その瞬間に忘れるのが十和子です。

 

で、何が言いたいかといいますとね、

滅私的な尽くし方、愛し方はしちゃダメ、ということ。

「ほっといて! これがわたしのしあわせなんだから!」

と思う人もあるかもしれませんが、それはダメなんですよ。

その恋はあなたの人生を豊かにすることはない、と断言しましょう。

 

って、いつもは「断言」をしないわたしが珍しいでしょ。

なぜかというと、自分が若かったときに、誰かがそう言ってくれていたら、

わたしの人生は変わってたかもしれないなあ、と思うから。

 

友人とも、同じことを言い合いました。

「なんで周りにいた大人が本気で叱ってくれへんかったんかなあ」って。

だけど、

叱ってもろても「わたしはこういう愛し方しかできない」とか言って、

いうこときかへんかったやろなあ~

とお互いに笑い合ったのでした。

 

ああ、今日は長くなってしまいました。

お読みくださりありがとうございました!