子どものときから習い事が嫌いです。
何かを習いたいと、親に訴えたこともなければ、
何かを習っている友だちを羨んだこともありません。
子どもの頃の願いは、ただ、もっと本が読みたい! だけで。
そんなわたしが唯一、続けているお稽古事がヨーガです。
三十歳前後の、まだ倉敷に住んでいたころのこと。
仕事のストレスから、めまいが持病になってしまい、
なんとか治したいと思っていたところへ「中国整体」の新聞チラシを見ました。
そのチラシによりますと、めまいにも効く、と。
で、ボキボキする整体ではなく、痛気持ちいい、感じである、
と書いてあったんです。
鍼灸も、整体も、マッサージすら受けたことがなかったので、
骨をボキボキいわされて、痛い思いをするのは恐怖です。
そうか、これならいいかも。
と早速、行ってみました。
そこは一軒家で、自宅の一部屋を使って開業されていました。
白衣を着た、三十半ばくらいの男性が迎えてくれ、石油ストーブをつけながら、
「いま、家内が出掛けていまして、すみません」
と、だから何なんでしょう? という挨拶をされてしまいました。
中国整体だけど、日本人でした。まあそうでしょう。
八畳くらいの洋間の真ん中に、煎餅蒲団がペラッと敷いてあり、
壁には太くて長い青竹が二本立てかけてありました。
・・・・・えっと、奥さんがいないお家の中で、
無防備に、このお布団に横になり、
あ、あの青竹で、わたしは一体ナニをされるというの?
と、ひるむ三十歳のわたし。
いやいやいや、これは商売や。
そら整体してくれる以外に何があるっちゅうねん!
と、気持ちを立て直しました。
人生にはだれしも何度か、ああ、まさにこれこそ俎板の上のコイ、
と思う瞬間が訪れますが、このときがそれでした。
中国整体というのは、足でグリグリされるんですね。
手よりも足を使うことの方が多いんです。
で、長い青竹は何だったのかと申しますと、
立って足で施術する先生が竹馬のように手に握り、
そこに体重をかけたり、バランスを取ったりする用のものだったのです。
あ、そういうこと・・・・
と、ほっとしました。
あの青竹は、何をするにしても、されるにしても、
見るからに痛そうな存在感をアピールしていたので。
で、結果として、そこの整体でめまいが良くなることはなかったんですけれど、
その後、その先生から、いろんなお誘いがありまして。
「気功をやりませんか?」
「太極拳に興味はありませんか?」
「操体というのがあるんですよ」
どれも、ご自分が興味を持ち、ひとりでやってもつまらないし、
良いものは伝えたい、というお気持ちらしく、
興味のありそうな整体のお客さんを誘ってはるようでした。
それらのレクチャーはいつも公民館などであり、
使用料は参加者で折半し、先生に対するお礼は一切なし。
数百円と実にリーズナブルで、良心的な会でした。
誘われたら、ほんならやってみようか、と出向いてみるものの、
元々お稽古事が大の苦手なので、続きません。
「詩吟はいいですよ」と言われたときは、丁重にお断りしました。
さすがに詩吟はないやろ、と。
始める前から、やめたい気持ちになりそうだったので。
そして、何も続かず、接点もなくなっていた頃、
一緒に気功などをやっていた人の紹介で、ヨーガ教室へ行って来られたんです。
それがとてもよかった、とその先生には珍しく興奮気味に電話がかかってきました。
で、また絶賛おすすめされたので、わたしも行ってみることにしたんですね。
ヨーガは以前、ダイエット目的で、
「麻生よう子の3分間ヨーガ 美しくやせて健康な心と体をつくる本」
を買って、しばらくやっていたこともあり、興味はありましたし。
そして、出会ったのが、その後わたしを占い師にすることになる、
ヨーガの先生だったのです。ああ、ここまでが長かった。
楽しいお教室で、それから引っ越すまでの間、
途中、仕事の関係で間遠になることもありながら、続けることができました。
向いていたらしく、ほぼ最短期間で上級までのお免状もいただき、
「もう教えてもいいのよ。みゆきちゃん、占いもできる先生なんて、人気出るわよ」
と勧められてもいて、いつかはヨーガ教室をすることになるんだろうなあと、
ぼんやりと思っていました。
けれども、その後関西へ引っ越すことになり、
転居先で、なかなかよい先生にめぐり会わず、
いまのお教室が見つかるまでブランクができ、身体もすっかり硬くなりました。
逆立ちなんて、もうムリムリ。
いつか教えられたら、という気持ちも、どこかへ消えてしまいました。
ヨーガの先生はもういいや。
これからも、ずうっと教わる側でいよう。
そう決めたら、なんだか心がほどけて自由になったようで、
いまは以前より、もっと自然体でヨーガをたのしめているように思います。