京都 四条高倉の占庭から

書きたい気持ち 読みたい気持ち

本日3月12日(日)の占庭 は、勝手ながら臨時休業させていただきます。

ごめんなさい。

 

本が好きで、自分も物語を書きたいと思い、

童話のようなものを最初に書いたのは、小学3,4年生の頃だったと思います。

同じ4年生のときは、学芸会の劇の脚本も書きました。

楽しかったですねぇ。出来は実にひどいものでしたけれど。

その後も物語や駄文をいっぱいノートやワープロで書き連ねましたが、

まったくモノになりそうな気配すらありませんでした。

それでも大人になってから、川柳や短歌、原稿用紙5枚以内の作文とかは、

賞をもらったりしたので、どうもわたしは長くなるとあかんらしい。

昔は作家に憧れがあって、自分より若い作家が出てくると、

むやみに嫉妬なんかしたりして、あれ、何やったんやろ。

 『群像』でデビューしたい。

 『すばる』は若い女性は顔選考があるからムリ。

なんて考えていて、いやはやお恥ずかしい。

まさに若気の至りでありました。

 

今はもう物語を書きたい、という熱はとうに消え失せ、読む専門。

その読む専門も、もはや「本が好き」と言えないレベルになってまして、

この程度で読書が趣味って言うてええもんでしょうか?

と思うくらいです。

けどまあ、わたしにとって読書は現実逃避そのものだったので、

それが必要なくなっているということは、歓迎すべきことでもあります。

近年、お酒に弱くなったのも、同じくよい傾向ってことでしょう。ははは。

 

今日は若い作家の作品をご紹介。

 

「ナラタージュ」島本理生 

正々堂々たる恋愛小説です。
作者は現役大学生。
プロローグがすごくうまくて、ああ読みたいという気になりました。
あのプロローグがなかったら、こんなに若い恋愛小説は

途中で投げてしまったかもしれません。
まだ大学生なのですから、作家としての技量はなくて当たり前。
けれど、これを書きたい、伝えたいという思いは強烈に伝わってきました。

(少々独りよがりなのも、許容範囲です)

三十年前なら、号泣。二十年前なら胸が痛みもしたでしょうが、

押しもされもせぬオバハンとなった今では
「わかる。言いたいことはわかるよ。

 でもそれは唯一無二の恋愛ではないかもしれなくてよ」
と唇の端でわらう余裕すらあるわたし。

恋愛の甘美、辛苦、醜さ、美しさをひととおりくぐってきましたもの。
恋愛が、そのどれかひとつに集約されるものではないことを

身をもって知っているわけですよ。
お若いひと、オバハンは初めからオバハンではなかったのよ。

このシミにもシワにも意味があるんでっせ、

と読みながらいらん説教のひとつも垂れたくなりました。

けれども、この余裕。

いまの夫なくしてはのたまえないのも事実。

人間はひとりでは、やっぱりいろいろとつらい。

(2007/1/14)