京都 四条高倉の占庭から

明智光秀のイメージ

今日は久し振りの雨でした。

エコ除草のヤギさんたちは、雨でお休み。

なかなかホワイトな職場のようです。

 

わたしはテレビ好きではないですが、朝ドラは習慣で見ているし、

大河ドラマも録画を見ています。

真田丸」での明智光秀は、ちょろっと出て、あっちゅう間に消えていきましたね。

この明智光秀という人、いろんな小説に登場しますが、

その扱い方や、人間性のとらえ方には、えらい相違があります。

三日天下という表現に象徴されるようにバカにされたり、

真面目さを評価されたり、悲劇の人扱いであったりと。

いずれにしても、あまり人気のある武将ではなく、

マイナスイメージの方が強いのではないかと思います。

わたしも別に好きっていうこともなかったんですが、

真保裕一さんの『覇王の番人』を読んでから、ちょっと明智光秀贔屓になったかな。

 

真保裕一さんと言えば、やや社会派寄りのミステリ作家というイメージですが、

この作品はバリバリの時代小説です。

わくわく、つるつる読める作品ではありませんが、非常におもしろかったです。

 

『覇王の番人』 真保裕一  

 

明智光秀と、その下忍から見た戦国の世の惨さと、

不条理に翻弄される人々の物語です。 

 

マンガで『三国志』を読んでいるときも、

あまりにも大量の民が命を落としていくのに、

だんだん感覚が麻痺していくというか、オーバーな話やで、、、、 

みたいな感覚になっていってしまったんですが、

この小説でも、それに似た気分を味わいました。 

ひとつひとつの命の重さの感覚が、麻痺してしまうのです。 

賞賛される勇敢な討ち死にも、弾除けの死も、作戦ミスによる大量の無駄死にも、

どの命も同じ命なのに。 

 

戦国時代というのは、ほんまに血腥い惨い時代であったんやな、

としみじみ感じます。 

そう思わせる時代小説というのは、案外少ないようにも思うので、

そこが時代小説家が書いた時代小説ではないからこその、感覚なのかも知れません。 

 

少々明智光秀贔屓な小説ですが、織田信長の強さとしたたかさ、

冷徹と知略と愚かさも、よく描かれていました。 

秀吉の絵に描いたような成り上がり魂も。 

家康の忍耐強さと、急がない聡明さも。 

 

戦国の世だからこそ、血に狂った侍に家族や友をことごとく殺された少年が、

侍の忍びとして生きていかねばならない不条理。 

忍びであれ、大将であれ、侍の妻であれ、どんな世であっても、

できる限り心正しく、感情に自分を見失わず、

他人を赦して生きるという姿勢を貫くことは、できなくはない。 

貫き通すことは困難でも、その志を喪わずに生きていくことはできる。

 

平和ぼけの現代(の日本)に生きていても、それなりの戦いというのは、

日々ないわけじゃない。 

ただ命を脅かされる、という恐怖に曝されることは、ほぼないですよね。 

それがどんなにありがたいことか。 

そのありがたさをかみ締めて生きていれば、もっと謙虚に、

もっと心豊かに生きられ、大事なことを見失わずにいられそうにも思うのですが。

 

(2010/2/1)