京都 四条高倉の占庭から

ガケさん

北白川にあったガケ書房さんのことを我が家では、ガケさんと呼んでいました。

倉敷にある古書店蟲文庫さんのことを蟲さんと呼ぶのと同様に。

 

ユニークな書店として人気だったガケ書房さんが閉店・移転し、

ホホホ座というお店になると知ったときは、すごい違和感がありました。

あの白川通の信号の角っこにある、アヴァンギャルドな雰囲気を醸し出す外観。

店内は書店の概念にとらわれない品揃えが楽しくて。

雑貨も、CDも、古本も。それとたくさんのフリーペーパーも魅力でした。

そしてガケ書房という屋号が、マッチしてるようなしてないような感じで、

それらの集合体としてのガケさんが好きやったんです。

あの場所を離れ、屋号もホホホ座になるというのが、なんか受け容れられない。

ただのお客のひとりなのに。

でも、そういうお客さんも多かったと思うんですよねー

 

その店主である山下さんが『ガケ書房の頃』という本を出版されました。

先に読んだ『わたしがカフェをはじめた日』はインタビュー形式でしたが、

こちらはエッセイです。

というか、半生記という感じですね。

 

山下さんと、お話ししたことはないけれど、店舗内でお見かけして、

お顔は知っていました。 

なかなかの二枚目で、飄々とした雰囲気というとありきたりですが、

なんというかなあ、風をまとってはるような風貌の方なんですね。 

じたばたするとか、カッとなるとかが、似合わなそうな感じでね。 

要するに、そんなに苦労なさったような気配を漂わせてはいない方なわけですよ。 

けれど、そこはかとなく、タダモノではなさそうな匂いはする。 

きっとね、年上好きの若い女子とかに、絶大な人気があるやろな、

っていう男性です。 

 

そういうイメージが勝手にわたしの中で固まってたもので、

この本は結構、衝撃でした。 

こんなロックなお人やったとは。 

 

ちょっと変わった子ども時代を過ごし(それがわたしの従弟とまったく同じで)、

がんばらない中高生時代を過ごし、家出。 

 

家出! 

家出って、昔の方がよく聞いたような気がします。 

最近の子で家出ってあんまり聞かないなあ。 

まあ、最近の子はみんなスマホを持っているので、居場所を見つかりやすい、

というのもあるのかもしれないですね。 

それにも増して、リスクを負いたくない若者も増えている気がします。 

 

それから、一貫性のない色々な職を転々とし、そこで考え、選び直しを繰り返し、

お家の事情もあって京都へ戻って来られます。 

そして、それから書店・ガケ書房への道を進んで行かれることになるわけです。 

それまでの間の、たくさんの葛藤も、迷いも、あきらめも、現実も、

淡々と書かれています。 

情緒に流れず、かといって斜に構えるでもなく。 

けれど、敢えて書かなかったものだって、きっとあると思うんですよね。 

その書く、書かないの選択や、ご自身や読み手に対する

誠実さと自負みたいなものを強く感じました。 

誰かにいい顔をするということはなく、できるだけ正直に、

けれど自虐には堕ちないあたりが、とてもロック。 

 

ガケ書房がなくなってしまう、というのはとても残念だったのですが、

そう考えるのはお客の勝手な感傷だったなあ、とちょっと反省。 

 

自分は実は何か突出した才能があるのではないか? 

トクベツな存在になれるのではないか? 

と心の隅っこで思いながら、何の行動にも出られない若い人や、いい年の大人まで、

この本を読んでみたら、きっとそれぞれに感じるところがあると思います。 

 

夢も現実も、思い通りになんかならない。 

生きていくのは大変で、みじめだったり、カッコ悪かったりもします。 

そこから目を背けずに、できるだけ自分であることを手放さずにいるというのは

どういうことか。 

 

生まれて死ぬまでの間、どう生きたいのかというのは、ほんとに人それぞれで、

どれが正解なんてのはないわけですが、山下さんの生き方は、

かなりしんどい生き方の部類だと思います。 

だからこそ読んで心が震えるし、これからのホホホ座を応援したいなあ

という気持ちにもなるのでしょう。 

 暑苦しく語らなくても、本気は伝わるということですね。