丁度、会期の半ば&うんざりするほどの暑さ、ということで、
きっと今日は来場者が少ないに違いない!
と踏みまして、ダリ展、行ってきました。
チケットショップで前売り券は入手済みだったので、
チケットブースに並ばなくていいもんねー、と思っていたら、
今日はまったく並んでいませんでした。
あらら。
そうです。
読み通り空いていましたよ。
10年くらい前にもダリ展がありまして、ちょうどその上野での会期中に
タイミングよく東京へ行くチャンスがあり、ラッキ~!と勇んで参りましたら、
恐ろしいほどの長蛇の列。
これに並んでいたら、他の予定が全部流れてしまう・・・・ということで、
泣く泣く見送ったのでした。
ですので、今回の京都開催は必ずや!と心待ちにしていました。
ダリというと、まず思い浮かぶのが、あの特有の髭。
ポートレイトも、たいがいは奇妙な顔つきで写っています。
ダリの絵画は、ぐんにゃりした時計や、金属に似た輝きの色彩、
見る人の心を落ち着かなくさせるような非現実的なものが代表作。
数々の奇行でも有名で、
天才かもしれないけど、奇人変人。紙一重の人でしょ?
と、そういうイメージが固まっていますよね。
わたしもそうでした。
たしかに、自己顕示欲も強かったでしょうし、
そういう演出をしていた向きもあったのかもしれません。
が、今回の展覧会を見て、ガラリとイメージが変わりました。
いや、変わったというよりかは、ダリ株急上昇、ってところですね。
今回の展示は、かなり作品数が多くて、量的にも見応えがあったのですが、
いわゆる、ザ・ダリ、みたいないかにもな作風のものは、それほどなくて。
十代のころから晩年までの、バラエティに富んだ作品が展示されていました。
そこには、時には眉をひそめられることすらある奇矯な画家ではなく、
大変な才能を持ち、技術も持ち、現状に満足することなく芸術を追求し続ける、
求道者のような姿がありました。
驚くべきは、二十歳そこそこの作品に、既に後のダリの姿が見えている、
ということ。
ありきたりな言い方ですが、やはり天才だった、としか言いようがないです。
まるで実験を繰り返すかのように、あらゆる作風、作画、思想も含めて、
ひと通り自ら手のものにしてみています。
その上で、それらのどれも選ばず、ダリ風と呼ぶほかない、
あの作風を生み出していったのですね。
現実離れした、突飛で奇抜なダリもどきの作品は、世にたくさんありますが、
そのどれともダリの作品は違うのだということが、
実際に見てみて、よくわかりました。
非常に精密です。きわめて精確なのです。
きっと、ものすごく繊細な人やったに違いない。
あー、やっぱり実際に間近に見てみなあきませんね。
そうすることによってしか感じられないものは多いです。
いやー、よかったなあ。
期待を超える展覧会でした。
ダリはすごいというのはわかるけれども、好きっていうんじゃないなあ、
なんて思っていたのですが、ちょっと好きになってしまいました。
あの才能の前には跪きたくもなるってもんです。