京都 四条高倉の占庭から

パチパチ

この炎天下に、今日もエコ除草のヤギさんがご出勤。

が、5頭の内、2頭はぐったりしており職場放棄。

連日の食べ放題で、最近、お腹周りもふっくらしてきていて、

もしかしたら、もう草を見るのもイヤなのかも・・・・て、そんなことないか。

日陰がまったくないところなので、ヤギさんの熱中症が心配です。

 

さて、今日8月8日は、そろばんの日。

パチパチ、ということね。

〇〇の日というのは、最近、やたらめったらあるんですけれど、

このそろばんの日は、わたしが小学生の時からありました。

40年以上前ですね。(うわー  すごい昔)

その頃、わたしはそろばん塾に通っていて。

それはもう、すんごいイヤイヤ。

そもそも、そろばんを習いたいなんてまったく望んでいないのに、

母が、自分が子どもの時に習いたいのに行かせてもらえなかったから、

という理由で娘に習わせるって、おかしいでしょ。

それでも、覇気のないコドモだったわたしは、唯々諾々、なすがまま。

近所の仲の良い友だちも一緒なのは救いでした。

 

が、好きでもないことをやる気もないのに通っていて、

上達するはずがありません。

一緒に通っている友だちは、そろばんが好きだったらしく、練習もちゃんとして、

ぐんぐん上達していきます。

そこで「悔しい!」とか「恥ずかしい」とか「わたしもがんばらないと!」と

思うような子ならば、後々こんな人生を歩んじゃいませんよ。

ひたすらぼーーーーっと行って、先生に叱られながら早く終わらないかなー

とだけ考えていて、帰り道は星がきれいだなーと空ばっかり見ていました。

そんなもんで、検定を受けてもなかなか合格しません。

受かってもうれしくないんだもん。

5級なんて3回も落ちたので、先生が、もう5級は飛ばして4級に行きなさい、

って言わはったくらいで。

それなのに、周りの友だちはみんな優秀でねぇ。

毎年8月8日のそろばんの日には、あちこちのそろばん塾から選抜されて、

そろばん競技大会が行われていたんですけれど、それに軒並み参加することに。

もちろんわたしは、全然アウトやったんですけれど、先生が、

いつも一緒に通って来てるのに、ひとりだけ連れて行かないのはかわいそう、

と思われたみたいで、わたしもお情けで連れて行ってもらうことに。

 

もうね、全然、ありがたくなくて。

ひとりだけ行けなくても、全然オッケーだっちゅうの。

 

何もこんなめっちゃ暑いときでなくっても・・・と思うわけですが、

そろばんの日だから、ってことで、必死でそろばんを弾く8月8日。

みんな、超真剣。

それをわたしは、すごいなあと感心して見ていました。

当事者のキモチじゃないんです。ギャラリーです。ドキドキすらしません。

一緒に行った子たちは、残っていくわけですが、当然わたしは初戦敗退です。

それなのに、なぜか「読み上げ算」の部だけは、わたしひとりが残ることに。

わけのわからない奇跡です。えっと、ビギナーズラックみたいなもん?

 

誰もわたしが残るとは予想していないので、窓にはりつくようにして、

みゆきちゃーーーーん! がんばってぇぇぇぇ!」と応援してくれます。

それを見ながら、がんばらなくちゃ、と思うはずもなく、

「まぐれで残ったのに、ムリムリ」と思う、己を知るワタクシ。

 

競技大会が終わって、先生が運転される車で帰るときも、話題は、

みゆきちゃんが残った!」というオドロキでもちきりです。

一番驚いていたのが、誰あろう先生で。

長年教えてきたけれど、まさかこんなことがあるなんて! みたいな。

サプライズをプレゼントできてよかったっす。

 

このころから持って生まれた試験運の強さが出ていたわけですねぇ。

みんなにホメられて、その後、そろばんに精を出したなんてことはもちろんなく、

やっぱり4級も落ちる始末。

さすがに見込みがないと察した母が、ため息交じりに、

「3級まで受かったら、やめてもいい」と言ったもんだから、

「えっ! ほんまにほんま?」

やめられる!という喜びで、3級は一発合格。

わたしも、やる時はやるんやなあ。ふっふっふ。

 

要はモチベーションなんですよね。

子どものお稽古事にしても、やる気がなけりゃ意味がない。

ということを痛いほど感じていたので、自分の子どもには、

「やりたい」と言ったことだけしかさせない、と決めていました。

なので、え、それがやりたいの??と思うことであっても、

子どもの意思を尊重しました。

そして、やっぱりそれは正解やったなー と思うことがたくさんあったんですよ。

親が「子どものためを思って」与えることって、時々、的外れがあります。

どんなに思いが強くても、的が外れてたら、ありがた迷惑です。

「あ、違ったか」

と思ったら、ちゃんと謝って方向転換したらいいと思うんですよねー

親だって間違うし、子だって間違う。

そこはあれです、お互いさま、ってーことで。